2019年11月27日「主の祈りの学び 6 第一祈願 3」

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主の祈りの学び 6 第一祈願 3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
    (新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今日もイエスが祈りの模範としてお教え下さった主の祈りを学びます。

 前回は、「御名(みな)が聖なるものとされますように」、つまり、「御名が崇められるように」という第一の祈願が、私たち自身の幸せをも含む恵みに満ちた祈りである点を学びました。今日は、これが全ての人の救いと究極の幸いをも願うダイナミックな祈りである点を見たいと思います。

 神は誰によって崇められるべきでしょうか。無論、全世界のクリスチャンと教会によってです。しかし、この祈りには特に限定は見られません。ということは、更なる広がりも当然考えられます。そして実際、この世界と私たちを造られた神が、全世界の人に崇められるようになるなら、何と素晴らしいでしょうか。

 そこには当然、この世から罪と悪がなくなるようにという隣人愛が含まれます。特定の人間や国家や民族が崇められることが如何に恐ろしいかは、「ハイル、ヒトラー」(ヒトラー、万歳、幸いあれ、繁栄あれ)というような恐ろしい言葉一つを考えても分ります。ですから、この祈りは、人間の罪のもたらすあらゆる悪や野望、独善が砕かれ、正義と公平と平和が全世界に見られるようにという隣人愛と一つなのです。

 またこれは、一人でも多くの人がイエス・キリストの十字架の贖いに与り、罪を赦され、清められ、永遠の救いを中心とする神の愛が分り、心から神を崇めることのできる幸いに与ってほしいと切望する意味でも、真の隣人愛の祈りと言えます。ですから、例えて言いますと、「神様、私や小数の者だけが救われ、幸せになってあなたを崇めるのではなく、もっともっと多くの方がイエス・キリストの福音に触れ、人を生れながらに縛っている罪の鎖から解放され、永遠の命に与り、様々な試練や困難の中でも、尚あなたを称えることのできる者にして下さい」という祈りです。この祈りが、全ての人の救いと真の幸いを願うダイナミックな隣人愛の祈りでもあるということがお分り頂けると思います。

 更に言いますと、これは海や山、動物や植物といった自然界、更に太陽や月、星などの天体、宇宙をも含む全被造物が神を称えるようにという壮大な祈りでもあります。

 詩篇148にこういう祈りがあります。

 「ハレルヤ、天において主をほめたたえよ。いと高き所で、主をほめたたえよ。

  主をほめたたえよ。全ての御使いよ、主をほめたたえよ。主の万軍よ。

  日よ、月よ、主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。全ての輝く星よ。

  天の天よ、主をほめたたえよ。天の上にある水よ。

  主の御名をほめたたえよ。主が命じて、それらは創造されたのだ。

  主は、それらを世々限りなく立てられた。主は、去りゆくことのない定めを置かれた。

  地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ、全ての淵よ。

  火よ、雹よ、雪よ、煙よ。御言葉を行う激しい風よ。

  山々よ。全ての丘よ、実のなる木よ、全ての杉よ。

  獣よ、全ての家畜よ。這うものよ、翼のある鳥よ。

  地の王たちよ、全ての国民よ。君主達よ、地を裁く全ての者たちよ。

  若い男よ、若い女よ。年老いた者と幼い者よ。

  主の御名をほめたたえよ。主の御名だけが崇められる。その威光が、地と天の上で。」

 これらは文学的表現ですが、大切なことを私たちに教えます。すなわち、私たちに自然界への愛と責任をも促します。

 今や人間の自己本位の欲望追及の罪の結果、神の造られた自然界のバランスは大きく崩され、自然破壊、温暖化が進み、動物も植物も生態系を著しく破壊されています。従って、自然界によっても神が賛美されるためには、私たち人間が神の前に徹底的に謙り、神が与えられた自然の特性を深く学び、それを生かした正しい管理方法を学ばなければなりません。

 結局、この祈りは、人間が自己本位の罪を心底悔い改め、造り主なる神の前に平伏し、人類や世界という、より普遍的なものに奉仕すること、それによりこの世に存在するあらゆるものにより、究極的には万物の造り主なる神の麗しさが最高に現され、神に栄光が帰されるように、という壮大な祈りなのです。

 無論、私たちの知恵も力も限られています。私たちも努力しますが、最終的には「神ご自身が、全ての人と世界に働かれ、御自分の御名が崇められるようにして下さい」と謙って神に強く願う、<終末を見据えての祈り>です。この祈り程、私たちの自己本位の罪を戒め、神と人と世界という、より普遍的なものへの愛と奉仕を熱く促す祈りはありません。

 「御名が聖なるものとされますように!御名が崇められますように!」

 この祈りにより、私たち自身が変えられますように!

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