2022年04月07日「私たちの弱さをも味わわれたイエス」

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私たちの弱さをも味わわれたイエス

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヘブライ人への手紙 4章14節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:14 さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、全ての点において、私たちと同じように試みに遭われたのです。
4:16 ですから私たちは、憐れみを受け、また恵みを頂いて、折に適った助けを受けるために、大胆に恵みの御座(みざ)に近づこうではありませんか。ヘブライ人への手紙 4章14節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 昔からの教会暦では、今年は3月2日からイースターの前日の4月16日までがレント(四旬節)であり、主イエスの受難を覚えて特に祈り深く過ごす期間になっています。日曜日を除くその40日間は、マタイ4章にありますように、公生涯の初めにイエスが40日40夜、断食されたことから来ています。

 それはともかく、今日は、イエスの苦難を改めて心に留めたいと思います。

 イエスの苦難というと、私たちはすぐ十字架を思い浮かべると思います。それは当然です。罪のない神の御子イエスが命を捧げられた十字架の苦難は、全世界の罪を贖って、なお余りある、絶大な救いの力を持つ特別なものです。

 その苦しみは、どんなに辛いものだったでしょう。通常の十字架刑の苦しみに加え、全世界の全ての罪に対する神の怒りが、一挙にイエスの上に臨んだのですから、想像を絶する苦痛だったでしょう。

 しかし、今日特に心に留めたいのは、イエスは、十字架のものだけでなく、実は私たちがこの世で味わう諸々の苦しみや痛みも、私たちと同じように味わわれたという点です。

 イエスは、その本質において神です。父・子・聖霊という三つの異なるご人格がありつつも、本質において一つであられる三位一体の神の第二人格、子なる神であられます。

 しかし、人類の始祖アダムにおいて、神に背き、堕落し、生れながらに腐敗した罪の性質、すなわち、原罪を持ち、現実にも思いと言葉と行いにおいて数限りなく罪を犯し、そのままだと永遠の裁きに至る私たちを、罪とそれがもたらす悲惨から救うために、神の御子は人間と同じ性質を取って世に来られました。ということは、その人間性の故に、イエスは私たちと同じようにこの世で様々な苦痛をも当然味わわれたのです。

 例えば、マタイ4:2が伝えますが、イエスは40日40夜にわたる断食の後、「空腹を覚え」られました。主も飢餓の苦しみを味わわれたのです。

 マタイ8:24によりますと、嵐のために大波を被って揺れている小さな舟の上でも、イエスは「眠っておられ」ました。イエスは絶えず福音を人々に語り、悪霊につかれた人々や色々な病気に苦しむ人たちを癒しておられたため、体は疲れ切ってヘトヘトになっておられたのでした。

 ヨハネ11:35によりますと、マルタとマリアの弟ラザロが病気で死んだベタニア村へ行かれた時、イエスは「涙を流され」ました。私たちと同じ人間性において、イエスも感情に突き動かされ、涙を流して泣かれたのでした。

 ルカ22:44によりますと、イエスは十字架の前夜、ゲツセマネの園で祈られた時、「苦しみ悶えて、いよいよ切に祈られ…汗が血の雫のように地に落ち」ました。

 こうして見ますと、罪は犯されませんでしたが、主は私たちと全く同じ弱い体と感性をもって地上の生涯を歩まれたことが分ります。従って、幼い時から、イエスもケガの時には出血し、ズキズキして傷が痛み、風邪や色々な病気にもかかり、発熱や痛みやダルさも味わわれたことでしょう。

 また、イエスはありもしないことで誹謗中傷され、罵られ、家族からも理解されず、人に裏切られた時には、どんなに悲しく、淋しい思いをされたことでしょう。

 イエスが世に来られる何百年も前、やがて神の許から来られる救い主について、イザヤ53:3が「彼は蔑まれ、人々から除け者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった」と預言していた通りでした。

 命を捧げられた十字架の苦難は特別なものであり、そのお蔭で私たちは、ただイエスを救い主として心から信じ、受け入れ、依り頼むだけで、あらゆる罪の赦しを本当に頂けます。ですから、私たちの身代りとしてのイエスの十字架の苦しみを、どんな時にも忘れないでいたいと思います。

 と同時に普段の生活でも、罪は犯されませんでしたが、イエスが私たちと同じ弱さを持つ一人の人間として様々な苦しみ、痛み、悲しみ、淋しさも体験されたことを忘れないでいたいと思うのです。私たちの弱さとそれ故の試みにも主は遭われ、それも私たちのために遭われたことを思いますと、主の愛を一層身近に感じ、本当に嬉しくなります。そして励まされ、ますます主を賛美し、主ともっとご一緒に歩まないではおれなくなるのではないでしょうか。

 ヘブル4:14~16をもう一度読んで終ります。「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、全ての点において、私たちと同じように試みに遭われたのです。ですから私たちは、憐れみを受け、また恵みを頂いて、折に適った助けを受けるために、大胆に恵みの御座(みざ)に近づこうではありませんか。」

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