2022年01月13日「祈りについて(26) 祈りは戦い 3」

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祈りについて(26) 祈りは戦い 3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヤコブの手紙 1章5節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:5 あなた方の内に、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、誰にでも惜しみなく、とがめることなく与えて下さ
  る神に求めなさい。そうすれば与えられます。
1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
1:7 その人は、主から何かを頂けると思ってはなりません。
1:8 そういう人は二心を抱く者で、歩む道全てにおいて心が定まっていないからです。」ヤコブの手紙 1章5節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 久し振りに祈りについて学びます。26回目の今日は、「祈りは戦い ⑶」と題してお話致します。

 何度も申しますが、私たちの祈りが真に神との対話、交わりとなり、また私たちの祈りが聞かれ、私たちが一層神を讃え、神を喜ぶことができる者となるためには、祈りが戦いであることを認識しておく必要があります。

 しかし、何故、祈りは戦いなのでしょうか。これまで理由を少し見て来ました。第一に、私たち罪人は本質的に怠け者であり、第二に集中力に欠け、第三に持続力にも欠けるからです。今日は四番目として、私たち罪人は根本的に神を疑いやすいから、という点を取り上げます。

 ヤコブ1:6~8は言います。「少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かを頂けると思ってはなりません。そういう人は二心を抱く者で、歩む道全てにおいて心が定まっていないからです。」

 私たちはこの御言葉をよく知っていて、この通りだろうと思っていると思います。それにも関らず、祈る自分を私たちが正直に振り返りますと、疑いが色々な時に自分に付きまとっていることを認めざるを得ないのではないでしょうか。

 疑いといっても、色々な内容とレベルがあります。神が天地を創られたことや、神が御子を救い主として旧約聖書の預言通り2千年前に世に遣わされ、御子が私たちの罪を償うために十字架で命を捧げ、しかし三日目に復活されたことなど、根本的なことについての疑いではなく、聖書のきよい倫理的な教えがまさしく真理であることも確信している。けれども、私たちが何か具体的なことを神に祈り願う時、私たちに付きまとう、そういう疑いがあります。

 この世で私たちは絶えず色々な不安や恐れ、苦しみ、また理解不可能な大きな問題に直面します。自分に直接関係する場合もあれば、家族や親しい友人、教会に関する場合もあります。社会と世界の様々な不条理や罪深い問題、悲惨な事象についての場合もあります。

 そういう時、当然、私たちは神の助けや介入、神による解決を一生懸命祈り求めます。皆そういう経験があるでしょう。

 しかし、私たちは、一生懸命祈り続けなければならないことはよく分っているにも関らず、どこか一歩後ろに身を引き、少し冷めているようなことはないでしょうか。それは心の隅に「疑い」と、それに基づく「神は聞いて下さらないかも知れない。無理かも……」という諦めの気持があるからではないかと思います。私たちは、神が全能者であられることは分っています。しかし、祈りに神は答えて下さるだろうかという疑い、またこれは無理なのではないかという諦めに近い気持ちを、しばしば払拭できないことがあると思います。

 こういう、どっちつかずで、ヤコブの言う「二心」に自分が当てはまりそうな時、私たちはどうすれば良いでしょうか。

 第一に私たちは、人類の始祖の堕落以来、頭では理解できても、神を中々信じ切れず、すなわち、どこかで疑いや、すぐ諦めるなどの弱さを持つ自分であることを認識することが大切だと思います。そこから初めて私たちは自分の不信仰と弱さを克服することができるからです。マルコ9:14以降に伝えられていますが、悪霊につかれ、ひどい状態にあった自分の子供の癒しを願い、「おできになるなら、私たちを憐れんでお助け下さい」と願った父親に、イエスは「できるなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできる」と答えられました。それを聞き、父親は直ちに叫んで言いました。「信じます!不信仰な私をお助け下さい!」この姿勢が大切です。

 第二に私たちには、祈りを初めとして信仰に関る何かをしようとする時、必ずサタンが働き、私たちの内に疑いと諦めの霊を吹き込むことを思い出したいと思います。そして、それに気付く時、直ちに「サタンよ、疑いと諦めの霊よ、イエス・キリストの名によって命じる。私から離れ去れ」と本気でサタンに言い、心をハッキリ仲保者イエス・キリストに向けるのです。

 第三に私たちは、ローマ8:28が約束しますように、ご自分を愛する者のために、神が最終的には万事を益として下さることをしっかり思い起し、自分自身と自分が祈り願っている方々のことも、最終的には神の憐れみと善意を信じて委ねることです。

 神は、私たちの願い通りのことを願い通りの時になさらないことがよくあります。しかし、私たちが神を愛し、イエス・キリストを通して真剣に願うことに、神が無関心であられるなど、絶対にあり得ません。神は、御子イエスの故にご自分の子として下さった信仰者の祈りに、ご自分の時にご自分の方法で必ずお応え下さいます。ですから、神の約束をあくまで信じて委ね、私たちは疑わず、諦めず、祈り続けたいと思います。

 特に人の救いのために祈ることに関して、息子アウグスティヌスの救いのために涙を流して祈った母モニカのことを思い出します。彼女に司教アンブロシウスは言いました。「涙の子は決して滅びることはありません。」それを聞き、モニカは一層神を信じて祈り続け、ついにアウグスティヌスは回心したのでした。

 イザヤ38:5は伝えます。「主はこう言われる。私はあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。」

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