2020年06月04日「主の祈りの学び 9 第二祈願 2」

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主の祈りの学び 9 第二祈願 2

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
    (新改訳聖書 2017年度版)
マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 2月26日以来で、久し振りの祈祷会となりました。前回に続いて、今日も主の祈りの第二の祈願「御国が来ますように」を学びたいと思います。

 前回は、「御国」とは神の清いご支配であること、それに二つの面があり、一つは人が神を喜んで受け入れる時、目に見えませんが、そこに存在する神の恵みのご支配のことであり、もう一つは、世の終りにその全貌を表す神の国のことです。前回はまた、人間の自己中心の罪とサタンの力が阻止され、平和と秩序に満ちた神の支配があるようにというのが、この祈りの主旨であることを見ました。今日は、この祈りの特徴に少し触れたいと思います。

 第一に、これは誠に尊い隣人愛の祈りと言えます。「御国」、つまり、神の清いご支配が自分や自分の家庭に、いいえ、もっと広く、隣人と全世界にあることを願うからです。

 神のご支配を拒み、人間が自分を過信する時、必ず人間は自分を駄目にし、サタンに振り回され、様々な問題を起すことを、聖書を学んだ人たちは皆、気付いてきました。ですから、キリスト教は歴史を通じて常にイエス・キリストの福音を周囲に伝えてきました。

 この祈りは、祈るだけで何もしないでいることは出来ません。「神様の清いご支配を、私の友人や全ての国に来(きた)らせて下さい」と祈るなら、私たちは自分を捧げずにはおれません。この祈りは、人のために自分を差し出すことを、自ずと私たちに促します。「神様、あなたが私と出会わせて下さる多くの隣人を導いて下さい。神の愛と主イエスの救いの恵みを彼らが受け入れ、罪とサタンの支配から解放され、素晴らしい永遠の救いに、どうか与れますように、私をお用い下さい」と願わないではおれず、そのために自分を捧げないではおれないのが、この祈りです。まさに隣人愛の祈りと言えます。

 第二に、この祈りは世の終りの到来を絶えず私たちに自覚させ、特に歴史に対する鋭い感覚と責任を促す祈りと言えます。

 「御国が来ますように」と祈る時、私たちはすぐ思います。

 「そうだ、この世は永遠ではない。永遠の御国の到来と共にこの世は終り、神の審判がある。その時、最後まで不信仰だった者は、サタンと共に永遠に裁かれる。その時が必ず来る。

 それなら、私は、そのことを全然知らない者のように、今さえ良ければとか自分さえ良ければいいというような自己本位な罪の生活を、どうして続けられるか。

 よし、私はもう無責任で刹那的な生き方はしない!主が私を生かしておられる歴史の今を、主の憐れみに感謝しつつ、責任をもって生きるのだ!神様、私を導き、あなたが期待しておられるこの世での私の使命と役割を、私に残されている人生の中で果たさせて下さい」と祈らずにはおれません。

 この祈りは、世の終りの到来を私たちに自覚させ、特に歴史に対して、鋭い感覚と責任を促す祈りと言えます。

 第三に、この祈りは、自分の救いの完成を神に切に求める極めて真摯な祈りと言えます。

 「御国が来ますように」と祈る時、私たちは人のためにだけ、これを祈ることは出来ません。まず自分の心と生活に神の清いご支配があり、自分が変えられることを、当然願うと思うのです。

 実際、私たちが自分の心と生活を聖書に照らして見ると、どうでしょうか。例えば、神の戒めの中心である神と人と教会に、具体的に自分を献げる愛において、どれ位出来ているでしょうか。ずるさや傲慢さ、頑なさのない人がいるでしょうか。

 聖書知識も正統的・体系的教理知識も不十分で不正確な所が多く、僅かなことで、すぐ自分を失う弱い私たちです。そういう自分を思うなら、次のように祈らずにはおれないと思うのです。「神様、私はまだまだ本当に未熟な者です。ですから、どうか私を支配し、救いの完成に、また全人格の完成へとお導き下さい。私の全てをあなたに明け渡します。」この祈りは、自分の救いの完成を神に切に求める極めて真摯な祈りなのです。

 ところで、こうして自分を主イエスにより神の支配に繰り返し明け渡して生きた人は、どのような死を迎えるでしょうか。スイスの有名な心理学者ユングは、「人は自分が生きてきたように死ぬ」と言いました。これは本当にその通りだと思います。そして正(まさ)に「御国が来ますように」という主イエスのお教え下さったこの祈りを繰り返し祈ることの最も幸いな理由の一つも、ここにあります。

 常日頃、こう祈り、神の清いご支配に、謙虚に、また真摯に、喜んで、自分を明け渡して生きてきた人は、当然、神の恵みの支配と守りの内にこの世での最後を迎えます。そして愛と慈しみに満ちた主イエスに迎えられ、栄光の天の御国に移されている自分を、またどんなに感謝しても足りない自分自身を、聖化された多くの兄弟姉妹たちの中に発見することを許されるでしょう。

 「御国が来ますように!」

 この祈りは短いです。簡潔です。しかし、計り知れない祝福が伴っています。ご自分の御子イエス・キリストにより、このような祈りを私たちに教え祈らせることで、私たちを最高の祝福に与らせようとしておられる天の父なる神の熱い愛と励ましを覚えないではおられません。ですから、私たちはこの祈りを、天に召される時まで何度も何度も繰り返し祈って行きたいと思います。

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