2021年12月09日「信仰者エリサベツ」

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信仰者エリサベツ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ルカによる福音書 1章39節~45節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
1:40 そしてザリアの家に行って、エリサベツに挨拶した。
1:41 エリサベツがマリアの挨拶を聞いた時、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
1:44 あなたの挨拶の声が私の耳に入った、丁度その時、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」 ルカによる福音書 1章39節~45節

原稿のアイコンメッセージ

 今日は、クリスマスに関係する人物の一人、エリサベツに注目します。

 彼女は夫のザカリア同様、ルカ1章にだけ伝えられていて、詳しいことは殆ど分りません。マリアと比べますと脇役的存在ですが、どんな人物だったでしょうか。

 彼女は「アロンの子孫」(1:5)、すなわち、祭司アロンの子孫で、ユダヤでは名門の出でした。彼女は名家に生れ、自分もまた祭司の妻となりました。1:6は、この夫婦について「二人とも神の前に正しい人で、主の全ての命令と掟を落度なく行っていた」と伝えます。名家でしっかり信仰教育や人格教育を受け、結婚してからも夫と共に信仰者として敬虔に生きてきたことが想像されます。

 二人には子供がなく、1:7は当時の一般概念に従って彼女を「不妊だった」と伝えます。名家であっただけに、周囲からの期待を感じ、彼女は長い間、辛い思いをしてきたことと思われます。

 妊娠が分った時、彼女は1:25「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いて下さいました」と言いました。子供が出来ないことを自らの恥と思って生きてきた彼女の悲しみの表れと言えるでしょう。名家に育ち、名家に嫁ぎ、社会的にも尊敬される祭司の夫を持って恵まれ、敬虔な生活を送っていた彼女。けれども、実際には人知れず、焦りや自分を肯定できない恥の意識と悲しみをも抱えて生きてきたのでした。

 しかし、そういう所があっても、彼女の信仰深さと神から与えられた彼女の愛すべき人柄が失われたわけではありません。そのことが、先程お読みしました39節以降、つまり、主イエスの母となるマリアの訪問と挨拶を受けた時の彼女の様子から伺えます。

 41、42節「エリサベツがマリアの挨拶を聞いた時、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声で叫んだ。『あなたは女の中で祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。』」

 「大声で叫んだ」とありますが、元のギリシア語では「叫び声で叫んだ」という言い方になっています。よほど大きな声で力強く叫んだのでしょうね。勿論、聖霊に満たされてのことですが、彼女は、話し方や物腰が静かでしっとりとしたシニア世代の奥様というより、むしろ明るく、声も結構大きく、元気で闊達な婦人であったのかも知れません。あくまで印象ですが…。

 彼女がマリアに語りました42節以降の言葉にも、彼女の人となりが、よく表れていると思います。彼女は言います。42節「あなたは女の中で祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。」マリアは、エリサベツが昔からよく知っている親類(36節)の一人の若い娘に過ぎませんでした。ところが、今や何と救い主を身ごもっている!しかし、エリサベツはマリアを少しも妬ましく思わなかったどころか、心から祝福し、喜んでいます。

 また彼女は謙虚な信仰者でもありました。43節「私の主の母が私の所に来られるとは、どうしたことでしょう」と、心からマリアの来訪を喜び、「私にはもったいない」と言わんにばかりに感謝しています。

 更に、彼女の喜びが、非常に大きなものであったことが、44節から分ります。彼女はマリアに言います。44節「あなたの挨拶の声が私の耳に入った、丁度その時、私の胎内で子供が喜んで躍りました。」これは41節でも言われていますが、エリサベツは、お腹の子供が喜んで躍ったことを実感する位、全存在を上げて喜んだのでした。

 もう一つ、彼女の信仰がよく表れている言葉が45節にあります。彼女はマリアに言いました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」

 若い娘マリアは、主の言葉が必ず実現すると信じ、神の御子を身ごもりました。一方、祭司という、恵まれ、人々に尊敬される務めに長年従事して来たにも関らず、自分の夫は天使の言葉を疑い、口が利けなくなっていました。夫の不信仰を妻として重く受け止め、彼女は信仰者として何が最も大切かをここで述べています。これはいわば彼女の信仰告白と言えます。

 無論、妊娠中の数か月間も夫婦でよく話し合い、何が真実な信仰かを、きっと確認し合ったでしょう。ですから、約束の子が生れた時には、1:59、60が伝えますように、当時の習慣に反してでも、その子にヨハネと命名して譲りませんでした。

 エリサベツは、イエス・キリストの到来に人々を備えさせる働きをした洗礼者ヨハネの母という、さらに脇役的立場とも言えます。しかし、彼女を伝え紹介しているルカの筆使いは温かく、ここにも神の愛の豊かさがよく表れていると思います。

 信仰者エリサベツを選び、大切な役割を与えられた神が、色々欠けがあり、夫々何らかの苦しみ、悲しみを、それどころか傷さえ抱えている私たちをも、素晴らしい主イエス・キリストの福音のために、是非是非、豊かにお用い下さいますように!!

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