2021年11月28日「神の真実」

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアを妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
1:25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。マタイによる福音書 1章18節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 お早うございます。伝道礼拝にようこそお越し下さいました。感謝致します。今年は今日からアドベント、つまり、神の御子イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望む期間に入ります。そこで今朝は、クリスマスに関係する聖書箇所の一つに注目したいと思います。

 先程お読みしましたマタイ1:18以降は、イエス・キリストの誕生の次第を伝えています。マリアはヨセフと婚約していましたが、二人がまだ一緒にならない前に、聖霊により身ごもっていることが分りました。身に覚えのないヨセフは悩みます。しかし、マリアを訴えれば、婚約は当時のユダヤでは結婚と同じ重みがありましたので、彼女は死刑になりかねません。そこでヨセフは密かに離縁し、何とかマリアを助けようと考えていました。

 そのヨセフに天使が夢で現れ、マリアを妻に迎え、生れる男の子をイエスと名付け、またそのイエスがやがてご自分の民を罪から救うお方になることを告げました。事実、イエスはやがて救い主として働きを全うされます。

 今朝注目したいのは、マリアが聖霊によって身ごもり、神の御子イエスを産むこの出来事により、22節が説明しますように「主(つまり、まことの神)が預言者を通して語られたことが成就」したという点です。23節にありますその預言は、実はイエスが生れられる七百数十年も前に神の預言者イザヤが語ったもので、旧約聖書のイザヤ7:14にあります。

 聖書は何を言おうとしているのでしょうか。イエス・キリストが処女マリアから誕生されたことは、神が数百年も前から知らせておられたことの成就に外ならず、ここに神の真実が見事に現わされているということです。

 今朝は詳しく話せませんが、神の約束が成就していることは他にも見られます。例えば、救い主がダビデの家系に生れることは、旧約聖書のⅡサムエル7:12、13で神がダビデに約束しておられました。ダビデはイエスより千年も前のイスラエルの王です。

 また救い主がユダヤのベツレヘムで生れることも、旧約聖書のミカ5:2で預言されていました。それがマタイ2:6で、少し違う言葉ですが、引用されています。

 もう十分でしょう。救い主イエスの誕生という歴史上の出来事は、神の真実を見事に証ししているのです。神の御言葉・聖書は、天地を創られた真(まこと)の神が全知全能の聖なる正しい方であり、愛や憐れみに満ちた方であることを伝えていますが、それに加え、「神の真実」をも歴史の事実を通して証ししているのです。神は真実!従って、父なる神また御子イエスが語られ約束されたことは、必ず実現する、ということです。

 私たちは神は何でもおできになると信じていると思います。それはそうなのですが、敢えて言いますと、神にはできないこともおありなのです。驚かれたでしょうか。でも、そうなのです。ではそれは何でしょうか。神またイエス・キリストは決して偽ることができない、ということです。Ⅱテモテ2:13は言います。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」

 私たち人間は何とよくごまかし、嘘をつくでしょう。罪の性質は、生れる前から私たちの内に宿っています。ですから、幼い子供でも、自分に分(ぶ)が悪いと思うと、嘘をつきます。人に責任をなすりつけもします。

 しかし、神は決して偽ることができません。そしてそれは神にとって不名誉ではなく、名誉なことなのです。それが御子イエスを通してご自分を紹介された真(まこと)の神というお方なのです。

 では、このことは何を意味するのでしょうか。第一に、私たちは決して神を侮ってはならないということです。ガラテヤ6:7は言います。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもするのです。」従って、たとい洗礼を受けたクリスチャンであっても、神を侮って不信仰な生き方をしていますと、いつ突然、神が命を取り上げ、裁かれるか分りません。神は真実です。ご自分を侮る者を神は必ず罰せられ、放っておかれません。ですから、ヘブル3:12、13は言います。「兄弟たち。あなた方の内に、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、誰も罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」本当に心に深く留めたいと思います。

 しかし第二に、自分の不信仰と罪を心から悔い改め、私たちの罪を背負い十字架で命を献げて下さった神の御子イエスを心底救い主と信じ、依り頼むならば、必ず罪を赦され、永遠の救いに入れられます。ヨハネ3:18は言います。「御子を信じる者は裁かれない。」使徒16:31は言います。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」主イエスも言われます。マルコ16:16「信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。」これが、聖書で神が私たちに約束しておられる福音の中心です。

 もう少し言いますと、悔い改めとは、自分の考えを第一とする生き方から180度方向転換し、私たちを創られ、御子イエスを賜った程に私たちを愛しておられる真の神をしっかり仰ぎ、神に向って生きることです。

 この時、特に大事なのが、親に信頼し自分の全てを預ける幼子のように、全世界を贖って、なお余りある程、絶大な救い主イエス・キリストに自分を全く明け渡すことです。

神の教えをある程度理解することは、無論、必要です。しかし、全部理解し、もしくは行えるようになったなら、自分もイエスを信じ受け入れるということではありません。

 どうでしょう。私たちは、自分の幼い子供が私たち親の言うことを全部理解し行えるようになったなら、初めて子供を赦し受け入れるでしょうか。違うと思います。まだよく分っていなくても、またできなくても、幼い子供が自分のした悪いことを「ごめんなさい」と言って素直に謝るなら、私たちの方から腕を差し伸べ、ギューッと子供を抱き締めてやると思うのです。

 同じように、神の教えをまだ全部理解せず行えなくても、大切なのは、こんな私たちのために十字架で私たちの罪を全部償って下さったイエス・キリストを、まさに幼子のように信じ、受け入れ、依り頼む信仰です。慈しみに満ちた神は、そんな私たちを諸手を挙げて喜んで受け入れ、赦し、ご自分の子とし、やがては慰めと喜びと感謝に溢れる天の国で永遠に共にいて下さいます!真実な神は、ご自分の約束に従って、必ずそうして下さるのです。

 三つ目をお話して終ります。神は、御子イエスを自分の救い主として心から信じ、受け入れ、依り頼む者を必ず守り、あらゆる試練に打ち勝たせて下さるということです。

 この世は人間の罪と悪のために大きく歪み、矛盾や不条理に満ちたものになっています。従って、私たちの人生には必ず何か苦しみが襲います。今日は大丈夫でも、あす、あさって、一週間後のことは、誰にも分りません。突然大きな事故や重い病気に見舞われ、あるいは最も大切な最愛の人を喪ったら、私たちはやっていけるでしょうか。誰も偉そうなことは言えないと思います。

 しかし、ここに福音があります!毎年12月に必ず迎えるクリスマスの主人公、イエス・キリストの福音です。中でも特にイエスの誕生において鮮やかに現された「神の真実」という福音です。もう少し具体的に言って、試練についてのどういう福音でしょうか。

 第一に、私たちの味わう試練は、自分だけでなく必ず誰かが経験していて、神は耐えられない試練には遭わせられないという約束です。Ⅰコリント10:13は言います。「あなた方が経験した試練は皆、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に遭わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えていて下さいます。」

 神を拒む人には何の保証もありません。しかし、イエスを信じる者には必ずこの約束は実現します。神は真実です。ですから、これを本当に心から信じ、静まって私たちは神の前にどこまでも誠実に歩みたいと思います。

 第二に神は、神を慕う者のためには、どんな辛い試練も最後には必ず益に変えて下さいます。すごいことですが、信仰者には本当にそう約束されています。ローマ8:28は言います。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となる…」と。

 このことは、真(まこと)の神を心から信じて生きた旧約時代のアブラハムやモーセやダビデ、また人間となって世に来られ、十字架で命を献げ、復活されたイエス・キリストにおいて見事に実証されています。神は真実です。ですから、神がどのようにして万事を益として下さるのかを期待しながら、私たちはあくまで神のしもべとしてまっすぐ歩みたいと思います。

 第三に、御子イエスを信じ、受け入れ、依り頼む者は、神の愛から引き裂かれることは、もう永遠にありません。ローマ8:38、39は言います。「死も、命も、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、力あるものも、高い所にあるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き裂くことはできません。」御子を信じる者を全宇宙が結託して神の愛から引き裂こうとしても、決してできません。宇宙も神の御手の中にあるのです!ですから、やがて時が来たら、信仰者は、天の神の御側(みそば)で、神の真実を全身全霊で味わい、思いっ切り神と御子イエスを、一生懸命誠実に生きた多くの信仰者たちと共に賛美している自分自身を発見しているでしょう。

 何かと慌ただしく落ち着かない年末を迎えます。しかし、私たちは御子イエスの誕生により鮮やかに示された神の真実を、いつにもまして何度でも心に留め、聖さと落着きをもって歩みたいと思います。

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