2021年11月14日「きよくなれ」

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聖句のアイコン聖書の言葉

8:1 イエスが山から下りて来られると、大勢の群衆がイエスに従った。
8:2 すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。
8:3 イエスは手を伸ばして彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
8:4 イエスは彼に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ行って自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じたささげ物をしなさい。」マタイによる福音書 8章1節~4節

原稿のアイコンメッセージ

 7:27までのJの山上の説教も終り、7:28、29は言います。「群衆はその教えに驚いた。イエスが彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」

 律法学者たちは「誰々はこう述べている」などと言い、自分の考えを偉い先生や昔からの伝承によって権威づけました。しかしイエスは、例えば5:22「しかし、私はあなた方に言います」と、神の権威をもって語られたのでした。

 今朝は8:1以降に進み、主イエスが教えだけでなく御業(みわざ)においても、私たちを真に愛し、救うことのおできになる方であることを学びます。

 1節、イエスが山を下りられますと、大勢の群衆が従いました。2節「すると見よ」と、マタイは驚きを伝えます。2節「ツァラアトに冒された人が御許に来て、イエスに向ってひれ伏し、『主よ、お心一つで、私を清くすることがおできになります』と言った」からでした。

 ツァラアトとは、何らかの病気を指すヘブル語であり、今ではよく分りません。別の日本語聖書は「重い皮膚病」とか「既定の病」と訳しています。とにかく昔のユダヤでは、祭司がこの病だと判定しますと、病人はレビ記13:45、46が記しますように、人前に出る時は「(私は)汚れている、汚れている」と言い続け、また隔離されて生きなければなりませんでした。

 従って、この病の人は、体の辛さに加えて、社会的にも宗教的にも疎外され、苦痛と孤独の中で生き、本当に悲惨でした。そういう人が群衆の前でイエスに近寄ったのですから、驚きだったのです。

 幸いにも、彼はイエスに癒されました。

 そこで、まず私たちは彼の信仰に教えられたいと思います。どんな信仰でしょうか。

 第一に、それは何が何でもイエスに救って頂きたいという、切実で真剣な信仰でした。この種の病人は、下手に人前に出れば、皆から罵られ、石を投げられることもありました。しかし、この人は大勢の群衆の前でイエスに近寄りました。必死だったのです。イエスの教えを聞き、癒しの力も見てきて、「この人こそ神の約束の救い主だ。この方以外に私の希望は一切ない」という必死の思いで来たのです。

 ここに、私たちは信仰の根本を教えられます。つまり、十字架で命を献げ、復活して私たちの罪を償って下さったイエス・キリスト以外に、この絶望的な罪人の私を救える方は一切いないという切実な信仰です。人がどう思い、何を言おうと、関係ない!私にはイエス・キリスト以外に救いはない!これです。

 第二に、それは謙った信仰です。2節、彼はイエスに近寄り、「ひれ伏し」ました。謙虚だったのです。そして「私を清くすることが」と言いますように、病だけでなく、自分の罪と汚れをも深く自覚していました。まさに彼は、マタイ5:3が言う「心の貧しい」真に謙った信仰者でした。何と大切な信仰でしょうか。

 第三に、それは確信のある信仰です。彼は2節「主よ、お心一つで私を清くすることがおできになります」と告白します。お心一つで、イエスは神の力で私を清め、私をお救いになれる!イエスの数々の御業(みわざ)を知り、イエスの真実な教えを聞き、旧約聖書のメシア預言も思い出したでしょう、彼は疑いながらではなく、イエスが神の約束の救い主だと確信をもって信じたのでした。ヘブル11:1は「信仰は、望んでいることを保証し、見えないものを確信させる」と言い、ヤコブ1:6は言います。「少しも疑わずに、信じて求めなさい。」信仰の根本をここに教えられます。

 こうして切実な思いをもってご自分に近付き、ひれ伏し、信仰を表明するこの人を、イエスはどんなに喜ばれたことでしょう。マタイは、その主イエスの愛と力を伝えていますので、次にそれを学びたいと思います。

 第一に、イエスの力は完全です。3節「イエスは手を伸ばしてその人に触り、『私の心だ。清くなれ』と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトは清められた。」

 ここと同じ出来事を伝えますルカ5:12によりますと、この人は「全身」を患っていて、誰が見ても分る位、病はひどいものでした。けれども、イエスにより3節「ツァラアトは清められた!」それも「すぐに!」です。イエスの救いの力は完全でした。

 従って、私たちが如何に罪深く、不信仰で汚れた者であっても、心から悔い改めて主イエスを信じ、なお救われないことなど、絶対にありません。イエスの救いの力は完全です。

 同時に私たちは、イエスの温かい愛を教えられます。イエスは3節「手を伸ばしてその人にさわ」られました。イエスは神の御子です。手を伸ばしてさわる必要はありません。しかし、イエスはそうされました。どうしてでしょうか。ご自分が、人間の病に何の影響も受けない神であることを示す点もあったかも知れませんが、何よりこの辛い人生を生きてきた人への愛でなくて何でしょう。イエスは、今もご自分に近付く者に温かく手を差し伸べ、触れて下さるお方なのです。

 またイエスは「私の心だ」と言われました。ここは直訳しますと、「私は願う」です。イエスは、この人が願ったからそうされただけでなく、彼の信仰を大変喜ばれ、そこで彼の癒しと清めをご自分から願い望まれたということです。

 ここにも私たちは、主イエスを心から信じ、イエスに一切を委ねようとする者に対するイエスの愛を思います。しばしば、臍を曲げたり、ヤケを起したりするそんな愚かで情けない私たちの救いをも、主は願っておられます!「私は願う。清くなれ。」ですから、信仰の薄い私たちですが、自分の救いを決して諦めないでいたいと思います。

 更に4節でも私たちは主の愛を教えられます。4節「イエスは彼に言われた。『誰にも話さないように気をつけなさい。ただ行って自分の体を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じた献げ物をしなさい。』」

 昔のユダヤでは、神がモーセを通して示された定めに従い、清くなったかどうかの判定やその後の指示を祭司から受け、献げ物をして、ようやく社会的にも宗教的にも復帰できました。イエスが言われたのは、そのことです。しかし、「誰にも話さないように気をつけなさい」と言われたのは何故なのでしょう。これは昔から色々解釈されてきました。例えば、この人が皆にしゃべると、皆はイエスを、罪からの救い主というより、当時ユダヤを支配していたローマ帝国からの政治的解放者だと誤解するから、というのがあります。しかし、癒しの奇跡は群衆の前で公然とされたのですから、今更隠しても意味がありません。

恐らくイエスは彼に、一刻も早く祭司に見せて必要なことを済ませ、清められ救われた者として、喜んで神と人に仕える感謝の生活を早く始めなさい、と言われたのでしょう。辛い人生を送ってきたこの人へのイエスの温かい愛がここにあると思います。

 こうして、厳しい病と共に生きてきた彼の信仰、また彼に向けられた主の癒しと救いの力と愛を教えられます。

 このことは、その後の歴史に少なからぬ影響を及ぼしたと思います。例えば、ハワイのモロカイ島で、ハンセン病患者のために生涯を捧げたダミアンがいます。本名をヨゼフ・デ・ブーステルというダミアン神父は、1840年ベルギーで生れ、19歳で神と人に仕えることを誓い、24歳の時、ハワイのホノルルへ宣教師として来て司祭になります。

 しかし、ハンセン病患者がモロカイ島の北に突き出た場所に送られ、誰にも世話されずに死んでいくことを知り、胸を痛めた彼は、病人の世話をすることを申し出て許可されます。ハンセン病患者以外の者で、常駐するためにモロカイ島へ向うのは彼が初めてでした。

 1873年、33歳の時、独りで赴任した彼は、余りにも悲惨な状況を知り、生活環境の改善から取り組みます。方々へ手紙を書き、訪問して訴え、多くの人の理解と協力を得、生活改善は進みました。しかし、患者たちと彼の間には壁があるままでした。彼だけが健常者だからです。悩んだ彼は、段々、患者たちの患部にイエスのように触れ始めます。

 1884年、44歳の時、脚に異変を感じました。感染していたのです。しかし、その時から彼は、それまでの「あなた方ハンセン病患者」という言い方を「私たちハンセン病患者」に変え、ようやく皆との壁が取れ、彼は喜びました。その後も働き、病は進み、ついに1889年4月15日、多くの人に見守られながら49歳の生涯を終え、主の許に召されました。

 こういうダミアンの生涯を思いますと、病と孤独に苦しむ人に手を伸ばして触られた神の御子イエスの愛を思わないではおれません。

 彼だけではありません。1997年9月5日。87歳で天に召されたマザー・テレサもそうです。インドのコルカタで極度の貧困の中、ぼろきれのように道端に放置されていた人たちを、彼女は抱き起し、引き取り、体に触れ、ハンセン病患者の世話も精一杯し、彼らに人間としての品位と笑顔を取り戻させ、看取りました。

 2005年の1月、私は淀川キリスト教病院からチャプレンとしてバングラデシュへ2週間行きました。ミャンマーとの国境に近いチャンドラゴーナにあるキリスト教病院は、実によくやっていました。特にハンセン病の方々が安心して過ごせるように、広い敷地を提供し、感心するほど、本当によくケアをしていました。

 日本でも同じように、主の愛に倣い、どんなに多くのクリスチャンがハンセン病の方々に関ってきたことでしょう。

 「私の心だ。清くなれ」と言われ、今天におられる主イエスは、私たちを用いて、多くの人の体と心と魂に、尊い救いと癒しをもたらそうとしておられます。信仰の薄い私たちですが、是非、福音の宣教、そして様々な具体的な愛の働きにより、喜んで神と人に仕える者であり続けたいと思います。

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