2021年11月11日「信仰とユーモア」

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:13 さて、イエスが山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せられると、彼らはみもとに来た。
3:14 イエスは12人を任命し、彼らを使徒と呼ばれた。それは、彼らをご自分のそばに置くため、また彼らを遣わして宣教させ、
3:15 彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16 こうしてイエスは12人を任命された。シモンにはペテロという名をつけ、
3:17 ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
マルコによる福音書 3章13節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 今日は「信仰とユーモア」という題でお話致します。

 今お読みした聖書箇所は、神の御子イエスが、弟子たちの中から12使徒を選ばれた時のことを伝えています。彼らに託された使命の重大さを思いますと、12使徒の選出は大変厳粛な事柄です。しかし、そんな厳粛な時ですのに、イエスは何人かにあだ名を付けられたのでした。

 12使徒のリーダー的存在であるシモンには、16節「ペテロ」と名付けられました。ギリシア語で「岩」という意味です。シモンに期待されていることが何であるかを表し、これはもっともなあだ名だと言えるでしょう。

 しかし、ゼベダイという人の二人の息子、ヤコブとヨハネには、17節「ボアネルゲ、すなわち、雷の子」というあだ名を付けられました。とても厳粛な場面ですのに、主が弟子たちにあだ名を付けられたこと自体驚きですが、更に驚きなのはその中身です。イエスは、ヤコブとヨハネに「雷の子」と名付けられた。これは二人の性格、性質を見抜かれてのことでしょう。事実、のちにイエスが弟子たちとサマリア人の村に入られた時、サマリアの人々がイエスを受け入れませんでしたので、ヤコブとヨハネが「主よ、私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と非常に過激で乱暴なことを言い、イエスに戒められたことをルカ福音書9:51以降が伝えています。

 ヤコブは早く天に召されますが、ヨハネは長生きし、ご承知のように、のちには愛の使徒と呼ばれる人となります。けれども、元は兄のヤコブ共々激しい気性であり、それを見抜いてイエスは「雷の子」という少し楽しいあだ名を付けられたのでした。こんなあだ名をもらった二人の兄弟は、この時、頭をかきながら笑わざるを得なかったでしょうし、きっと皆も緊張を解かれて笑ったことでしょう。主イエス・キリストのユーモアを感じます。

 旧約聖書にヨナ書があります。そこにユーモアを見るキリスト教の学者もいます。もっとも、聖書であからさまにユーモアを教える所は殆どないと思います。

 ところが、キリスト教伝統の中では、ユーモアは実はずっと尊重されてきました。天地の創り主なる真の神の、御子イエスを通しての絶大な救いの愛を知る時、小さな自分を客観視して自分を笑えるなど、健康的なユーモアが自然と尊ばれてきたのでしょう。

 元上智大学教授A.デーケン氏は「諸外国のホスピスに共通しているのは、末期患者さんのケアに当る人たちが、いつも実に明るくユーモアたっぷりなことです」と言われます。つまり、キリスト教信仰とユーモアは切り離せず、人生を神の前に完成する上で、ユーモアは欠かせないということでしょう。

 ユーモアは、ラテン語で液体を表すフモールから来ています。人の体液をフモーレスと呼び、中世にはこれが命の本質で、その流れが人体に活力や創造的な力を与えると考えられていたそうです。しかし、段々ユーモアから本来の意味が薄れ、あってもなくてもいい存在となりました。それでも、キリスト教信仰の中では、ユーモアはずっと尊ばれてきました。

 その一例として、死を前にしてもこれを忘れなかった英国の人文主義者トマス・モア(1478~1535年)がいます。ヘンリー八世の無法な政治に反対し、無実の罪で1535年に処刑されました。しかし、自らの信念を貫く厳しさと共に、死刑の直前にもユーモアを忘れず、処刑台で首切り役人に「勇気を出して君の仕事を果しなさい。私の首は短いから、よく狙いをつけて。腕の見せ所だよ」と話し掛けたといいます。

 トマス・モアには「ユーモアの恵みを求める祈り」というこんな祈りが残されています。

 「主よ。私に丈夫な胃腸と、それを満たすべきものとをお与え下さい。

 …主よ、私に善いもの、清いものをしっかり見つめる聖なる心をお与え下さい。罪を目にしても恐れることなく、物事の正しい在り方を回復する手立てを見つけることができますように。

 退屈を知らず、不平も溜息も嘆きも漏らさぬ心をお与え下さい。そして私がこの思い上った『自分』などというものについて、あまり心配し過ぎることのないようにして下さい。

主よ、私にユーモアのセンスと冗談を解する恵みをお与え下さい。人生においてささやかな喜びを見出し、それを人々に伝えることができますように。」

 ストレス一杯の現代社会ですが、楽しいユーモアが私たちの体と心の健康にとても良い影響を与えることが、科学的にも実証され注目されています。淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫先生もユーモアの大切さを色々な折によく話され、著書にも記しておられます。

 主イエスの愛とユーモアを覚え、人にも自分にも優しく楽しいユーモアを、改めて大切にしたいと思います。

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