2021年06月24日「人の立場になって」

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聖句のアイコン聖書の言葉

 2:17 従って、神に関る事柄について、憐れみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスは全ての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥め(なだめ)がなされたのです。
 2:18 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。ヘブライ人への手紙 5章17節~18節

原稿のアイコンメッセージ

 5月6日以来の久し振りの祈祷会となります。ご一緒に祈れる恵みに心から感謝致します。

 ご承知のように、昨日6月23日は、76年前、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日です。今日はそれとの関連で、「人の立場になって」と題し、少し自由にお話させて頂きたいと思います。

 2007年11月1~3日、日本・韓国・台湾のキリスト教病院会議が沖縄であり、私も淀川キリスト教病院からの代表者6人の1人として参加しました。そして会議終了後、私だけ更に3日間沖縄に残り、沖縄戦に関係する所を少し回りました。

 私が沖縄戦に特に強い関心を抱いたのは、1980年頃、静岡市で『姫百合の乙女展』があり、当時牧師をしていました富士市から見に行き、大きな衝撃を受けたことが大きいと思います。

 

 太平洋戦争の末期、沖縄にある21個の全ての中等学校から、大勢の男子生徒と女子生徒が軍に駆り出されました。また90日間に及ぶ「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の猛烈な艦砲射撃によるだけでなく、様々な形で沖縄の住民は、人口の1/3、兵隊も含め十数万人が殺される悲惨な体験を強いられました。本土決戦を少しでも遅らせる時間稼ぎのために、沖縄は捨石にされたと言われます。

 私は一体、国のための戦争とは何なのか、生きるよりも死を選ぶべしという軍国教育の下、折りしも梅雨の時期、連日の豪雨の中、沖縄本島南部へどんどん追い詰められていった人々の恐怖や苦悩はどうであったかなどを思い、是非、沖縄に行こうと思いました。しかし、その機会をなかなか作れずいました。そこで先程の会議の後、独りで残りました。

 旧海軍司令部壕、姫百合の塔・平和祈念資料館、沖縄県平和祈念資料館、対馬丸記念館、沖縄県立博物館にだけ行きましたが、それでも実際に行ってみて、やはり良かったと思いました。

 例えば、小禄(おろく)という所にある旧海軍司令部の結構大きな地下壕へ降りてみました。全てツルハシとスコップで掘られ、また暗く狭い壕に4千人の兵が生活したことを知り、とても驚きました。特に手榴弾で自決した跡が生々しく壁に残っている所では、たまたま私の前にも後ろにも人がいなくなり、私1人になった時、正直な所、私は戦慄を覚えました。

 皆が追い詰められていった本島南部は、想像していた地形とは違い、私の思っていたより、もう少し長い時間、きっと皆は恐怖を体験しただろうと思いました。

 姫百合資料館には、姫百合学徒隊、つまり、沖縄県立師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と教師18名、計240名全員の写真が貼られ、一人一人に短いコメントが書かれていて、思いを搔き立てられました。生き残った人たちの証言も記録されていました。元姫百合学徒隊員のお一人から、直接話も聞けました。

 姫百合学徒隊で一番多くの犠牲者が出た、姫百合の塔のある伊原第三外科壕の暗い岩だらけの内部を再現したジオラマもあり、私は覗き込んで上を見上げました。すると狭い入口から空が僅かに見え、その壕で皆が息を潜め、どんな思いで過したかを思わずにはおれませんでした。

 沖縄タイムスと琉球新報という新聞も買って読み、集団自決の記述を巡る教科書問題に対する沖縄の方々の生の声と気持を知ることもできました。

 実際には、私はホンの少ししか知りませんし、分っていません。それでも、現地へ行き、そこに実際に身を置いて、初めて分ることが沢山あるということがよく分りました。

 それで思うのは、神の独り子イエス・キリストは、何故、痛みや苦しみなどのある私たちと全く同じ人間性をもって世に来られたのだろうか、ということです。これは神学のテーマの一つであり、ラテン語で、クール・デウス・ホモ、「何故神は人となられたか」と言います。無論、私たちに代って私たちの罪を背負い、償い、救いを与えるためです。

 しかし、聖書を見ますと、この中心的なことの回りに、他にもやはり恵みがあることを教えられます。その一つは、この罪の世で避けることのできない私たち人間の様々な悲惨である痛み、悲しみ、苦悩、恐怖、涙をも体験されることで、ご自分を信じ助けを祈り求める者に、「主イエスは、私のこの辛さも味わわれたのだ」と気付かせ、また実際に慰め助けるためでもあった、ということです。

 もう一度ヘブル2:17、18を読みます。「従って、神に関る事柄について、憐れみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスは全ての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥め(なだめ)がなされたのです。イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」

 人となって世に来られ、罪故の人間の苦痛や涙も身をもって味わい、私たちを分って下さる主イエス・キリストへの信仰により永遠の救いに与り、主の御慈しみを覚え、励まされると共に、私たちも少しでも人の立場になってものごとを考え、特に試練に苦しむ方々に、主の愛をもって真実に仕える者でありたいと思います。

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