2021年03月25日「祈りについて (10)」

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聖句のアイコン聖書の言葉

16:23 その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。
16:24 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。ヨハネによる福音書 16章23節~24節

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 今日も祈りについて学びます。10回目となります。

 前回は、今お読みしましたヨハネ16:23、24、また15:16や14:13、14でイエスがお教えになりますように、「イエスの名によって祈ること」の意味と意義を学びました。すなわち、祈りはあくまで仲保者イエス・キリストの執り成しによって捧げるということです。

 私たち罪人には本来、全く義にして聖なる天地の創り主、真(まこと)の神に祈りを捧げる資格はなく、捧げ得るとすれば、ただ主イエスの執り成しによります。そして仲保者イエスの名によって祈る時、イエスは私たちのために弁護して下さり、宗教改革者カルヴァンの表現を借りれば、私たちはイエス・キリストご自身の口をもって祈る者のように見なされるのです。神の御子イエスが私たちの仲保者でいて下さるとは、何という恵みでしょうか!

 今日は、もう一つ大切な点を見ておきます。それはイエス・キリストの御名によって祈るなら、私たちの祈りは聞かれる、ということです。16:23、24をもう一度読みます。「その日には、あなた方は私に何も尋ねません。まことに、まことに、あなた方に言います。私の名によって父に求めるものは何でも、父はあなた方に与えて下さいます。今まで、あなた方は、私の名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなた方の喜びが満ち溢れるようになるためです。」

 細かい説明は省きます。大事な点は、イエスの名によって祈り求めるなら、天の父はそれを叶えて下さる、とイエスが約束して下さっていることです。それだけではありません。前回も言いましたが、イエスの名によって祈るなら、実はイエスご自身も叶える、とお約束下さっています。イエスは言われます。14:13、14「また私は、あなた方が私の名によって求めることは、何でもそれをして上げます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなた方が、私の名によって何かを私に求めるなら、私がそれをして上げます。」

 Ⅰテモテ2:5が言う通り、「神と人との間の唯一の仲保者であられる」キリスト・イエスは、ご自分を通して私たちが天の父に祈る時、それが叶えられることをこのように強調され、信仰者に与えられている特権と幸いに気付かせ、私たちを励まされます。

 しかし、もう少し踏み込んで、イエスのこの約束について見ておきます。

 それは私たちが「イエスの御名によってお祈りします」と唱える時の気持ち、信仰についてのことです。「イエス様、あなたは『私の名によって求めるものは、何でも父が叶えて下さる』と約束され、しかも『私も叶えて上げる』と約束されました。主よ、あなたは確かにそう約束されました。ですから、そのお約束の故に、私はあなたの御名によって、~をお願いします!主よ、聞いて下さい!あなたのお名前によって祈ります。アーメン。」このように、「叶える」と言われたその主の約束に、まるでしがみつき、食らいつくかのように祈るのです。

 でも、私たちごとき者が、主のお約束を型(かた)に取って願うようなことは許されるのでしょうか。許されます!では、聖書のどこにそんなことが見られるでしょうか。Ⅱサムエル7:18~29にダビデの祈りがありますが、彼はこう祈りました。27~29節「イスラエルの神、万軍の主よ。あなたはこのしもべの耳を開き、『私があなたのために一つの家を建てる』と言われました。それ故、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。今、神、主よ、あなたこそ神です。あなたのお言葉は、まことです。あなたはこのしもべに、この良いことを約束して下さいました。今、どうか、あなたのしもべの家を祝福して、御前にとこしえに続くようにして下さい。神である主よ、あなたがお語りになったからです。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家がとこしえに祝福されますように。」

 ダビデはあくまで神のお約束の故に願いました。私たちも同じです。イエスは「私の名によって願うなら、何でも父が、また私が叶えて上げる」と約束された。ですから、私たちも祈り願って良いのです。

 無論、御言葉や律法に反するようなことは一切願いません。しかし、人のことであれ、自分や自分の家族の緊急のことや大事なことのために、主イエスのこの約束にしがみつき、激しくすがりつくように主に祈るのです。「主よ、あなたは約束されました。しもべはそれ故、あなたの御名によって祈ります。主よ、聞いて下さい。アーメン。」

 私たちは、どういう気持で「主の御名によって祈ります」と唱えているでしょうか。これは通り一遍の祈りの終りの言葉などではありません。主の約束を信じ、それにすがる真剣な言葉なのです。

 では、こう祈りますと、何もかも聞かれるのでしょうか。無論、神の御心でなければ、私たちの願った通りにはなりません。けれども、これを教えられた主イエスの愛とお約束の故に、しっかり主の御名によって祈る祈りに、天の父は必ず最善に応えて下さいます。そのことを信じて、これを唱えたいと思います。

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