◆辻幸宏牧師作成文書

2018.4.15 月報「知ることから始まる」 ~大宮教会牧師就職にあたって~
  牧師は、語る働きが求められているかと思います。しかし、実際には多くの情報を目で読み、また耳にして知ることなしには、語る言葉を獲得することは出来ず、人の魂に語りかけることは出来ません。語る者は、まず聞く耳を持たなければなりません。
 では牧師は、何を知らなければならないでしょうか。5つ挙げてみました。

1.神さまのご計画
 聖書の御言葉の説き証しをするためには、聖書を知らなければなりません。もちろん、一言一句御言葉に聞こうとするために聖書を読み、研究することが求められます。しかしそれだけではありません。聖書全体における聖書箇所の位置付け、天地創造から主イエスの時代・現在・神の御国の完成にいたる救済史における位置付け、さらには信仰告白(ウェストミンスター信条)における教理的な位置付けを確認して行かなければなりません。教理的な位置付けに関しては、別の機会に、説明していくことといたします。

2.時代状況
 次に、私たちが生きている世界の時代状況を確認しなければなりません。それが私たちの住む日本と共に世界における社会、科学、自然、政治の状況です。主なる神さまは、私たちに一般恩恵において、これらの社会を私たちにお与え下さっています。つまり私たちはクリスチャンとして社会の一員であって、これらに関心を示さないことも、またこれらを特別視することも行ってはなりません。

3.改革派教会、東部中会
 続けて教会を知ることです。私自身、日本キリスト改革派教会の牧師を続けてきており、この点では変化はありません。改革派教会が積み上げて来た70余年の歴史の上に生きることであり、それは同時に宗教改革500年の歴史に生きることです。その中心は、「神の御前に生きる」ことであり、「私が」ではなく、つねに神さまがお与え下さった恵みに感謝しつつ、神の栄光を求めて、神さまを讃美しつつ生きることです。このことも後日、説明させていただきます。
 しかし、私にとって東部中会は、15年ぶりの復帰です。その間、中会も世代交代が行われ、大きな変化を遂げて来ております。また私は以前、甲信から中会を見ていたのであり、今回は首都圏の中、中会にも積極的に携わる立場になります。そうしたことから、東部中会を知り、中会が私にどのような働きが求めているのかを確認して行くことにより、大宮教会牧師としての私のスタンスも定まってきます。

4.さいたま市大宮区
 続けて地域性です。前任地岐阜県と大宮では、まったく住環境が異なります。そのため必然的に、地域の人たちの生き方そのものが違いますし、また地域の人々の教会に対する意識も異なります。すると必然的に、伝道の仕方も異なってきます。そのため、大宮を知ることは、生活に慣れること以上に福音宣教にとって大切なことです。

5.大宮教会と教会員
 そして最後に、大宮教会と教会員一人ひとりを知ることです。すでに永沼牧師をはじめ、長老方、執事方に色々と聞きながら働きに就かせていただいていますが、今まで大宮教会において積み上げて来たことを引き継ぎつつ、さらに互いに話し合いつつ会員合意のもとに新たな歩みをすることが求められているのでは無いかと思っています。
 そのために大切なことは、第一に過去を知ることです。週報、月報(希望)、年報、小会記録を初め、教会に残されている資料を確認し、教会がどのような経緯で今を迎えているのかを確認することが求められます。そのためには、もうしばら時間を頂き、諸資料の整理を行いつつ、それらの資料を確認して行く必要があるかと思っています。
 そしてもう一つ、教会員、教会に連なる多くの方々と、交わりを持つことです。一人ひとりが、生きています。家庭があり、生活があります。魂の奥底に福音を届け、祈るためには、その一人ひとりを知り、それぞれが何を求め、何が必要かを知ることが必要です。そのため、できる限り交わりを持ち、出来れば個別に話し合い、可能であれば訪問もさせていただきたいと願っています。

 以上5つの点で、私が今知る必要があるものを確認して来ました。語る前に、知ること、聞くことをしなければ、牧師としての働きを始めることは出来ません。
 カルヴァンは、『キリスト教綱要』の導入部において、「真の知識は『神を知ること』と『自分を知ること』の二つから根本的に成り立っている」と語ります。自らの罪が示され、謙虚にさせられる中、神を知り、隣人(教会員)を知る時、そこから主は語るべき言葉をお与え下さいます。
 大宮教会の会員一人ひとりに語りかける言葉は、これから築き上げられていくことになります。そのためにはもうしばらく時間が必要です。互いに時間を割き、互いに理解し合い、信頼関係を築いて行くことを積み重ねていくことが大切です。この時、主は、一人ひとりの魂に響く言葉を私をとおして語りかけ、救いの生命に生きる福音が教会全体に、そして地域の人々に届けられていくものと確信しています。


2018.4.15  祈祷会について

 4月より、朝の聖書の学びと祈りの会(am10:30~)を再開し、夜の祈祷会(pm7:30~)と共に行われています。祈祷会は、主日礼拝と共に、教会の命そのものです。主の御前に礼拝を献げて、救いの喜びに生きる民とされる私たちは、同時に、主にすべてを委ねた生活を行うため、日々の生活に感謝と喜びを祈り、そして日々の必要、教会の必要のために、願い求めます。個人礼拝、そして家庭礼拝における祈り同様に、祈祷会が活発になることは、霊的に主なる神さまとの交わりが深まり、それは同時に教会における交わりが深まることとなります。このことが、教会が成長していく原動力となります。現在は集会室において行われていますが、入りきれない人が集い、礼拝堂で行わなければならない日が来ることを願っています。そのために、教会員一人ひとりが祈祷会を覚えて、できる限り出席して下さいますことを切に願っています。
 さて祈祷会においては、旧約聖書に何が語られているかを一書毎に学び始めようと思っています。4日、11日は、その前提として、「なぜ私たちは聖書を読み、学ぶのか」という根本的なことを、ウェストミンスター信仰告白第1章「聖書について」から学びました。聖書は、私たちに何を語りかけ、私たちにどのような信仰と信仰に伴う生活を求めているかということを、確認しました。そして、次回の18日には、天地創造から始まり旧約の時代、イエス・キリストの時代、使徒の時代、新約の時代、キリストの再臨と神の国の完成という救済史全体を確認しつつ、それぞれの書簡の位置づけを確認して行こうと思っています。その後、創世記から初めて、各書簡の概説を学んでいきます。それぞれの書簡が、どのような時代に、誰に対して、どのような意図をもって記されたのかを知ることにより、私たちが聖書の各々のテキストを読むにあたっても、その御言葉が今に生きる私たちに、何を語りかけているかを理解する手がかりになります。
 是非、午前の聖書の学びと祈祷の会、もしくは夜の祈祷会に関心を持ち、出席していただければと思います。



2018.4.15  礼拝中の信仰告白について

 礼拝中に信仰告白としてハイデルベルク信仰問答を問答してきましたが、それが終了し、
中断していましたが、今日から再開します。信仰告白に用いるのは、ウェストミンスター
信仰規準(信仰告白、大教理問答、小教理問答)で、松谷好明先生の訳を用います。ただ、
毎週、順番に告白するのではなく、礼拝説教に関係する箇所を告白することとなります。
つまり信仰告白を、説教とのつながりを覚えつつ告白することにより、御言葉の説き証し
である説教が語ろうとする方向性を確認していただけるかと思っています。
 ウェストミンスター信仰規準は、私たちの教会が属します日本キリスト改革派教会の信
条であり、私たちの信仰の基盤となるものです。私たちが聖書を理解し、キリスト者とし
てどのように生活するのか、聖書が語る御言葉に道筋を付けてくれます。聖書全体の枠組
みを知ることが大切であると同時に、ウェストミンスター信仰規準の全体像を理解するこ
ともまた、大切なことです。このことは、5月から再開します夕拝において、順番に解説
していこうと思っています。私たち一人ひとりの聖書と教理(信仰告白)の理解を深めて
いく時、私たちの信仰が主によって養われ、信仰の成長、強いては家庭や地域・職場など
において、主を証しする者へとなります。伝道はしなければならないものではなく、私た
ちがクリスチャンとして存在すること自体が伝道であり、主の証しです。



2018.4.15  牧師をうまく用いて下さい! 

 4月から教会カレンダーを一新させていただきました。
 一つは記念日を入れることにより、教会員一人ひとりを覚えてお祈りいただきたいからです。
 また一ヶ月分の礼拝奉仕者・説教題・讃美歌を入れております。礼拝に出席する前に、事前に聖書の御言葉に聞き、また奉仕者一人ひとりを覚えて祈りつつ、礼拝に集っていただきたいと願っています。
 さらにもう一つ、教会内の礼拝・集会と共に、中大会の行事も覚えていただくことでありますが、同時に、空白の日・空白の時間も忘れないでいただきたいと思います。カレンダーにおいて、牧師の奉仕、出席行事などがほぼ分かるわけであり、空白の時間は、それらの準備を行うこととなります。それは同時に、牧師が自由に用いることが出来る時間でもあります。その時に訪問したり、訪問を受けたりすることを行います。できる限り皆さまとの交わりを行うように努力しますが、根本的に出不精な者ですので、なかなか訪問して欲しいと願いつつも、それが適わない人もいるかも知れません。そうした時に、電話をかけていただくか、声をかけていただくことにより、時間をとり、訪問したり話し合ったり、また祈る機会をつくることが出来るかと思います。
 ここで「忙しい先生に申し訳ない」といった気遣いはしないで頂きたいと思います。牧師として、したい仕事、しなければならないことは、いくらでもあります。そして、こうした仕事に逃げることも可能です。しかし、大宮教会牧師としての働きに召された私の働きにおいて第一にしなければならないことは、教会において与えられた御言葉の奉仕を行うことであり、同様に大切にしなければならないことは、教会に集う方々一人ひとりの魂の配慮です。そのために、教会の皆さまと向かい合うことが疎かになれば、他の働きが認められたとしても、牧師としては失格になります。
 また、牧師としての一つひとつの言動において、躓きを与えないように心がけていきますが、それでもなお不快に思うようなことがあるかもしれません。その場合、遠慮なく私自身、あるいはそれが出来なければ長老・執事に相談していただきますよう、お願いいたします。私も弱さを持つ人間ですので、なかなか改善されないこともあるかと思いますが、注意を受けたことを心に留め、改善をしようと努力いたします。
 教会は、牧師が立て上げるのではなく、教会に集う一人ひとりが霊的に満たされ、喜びをもって生き、奉仕を行っていただける時に、教会は成長し、前進して行きます。牧師は、御言葉をもって、その方向性を定めるに過ぎません。大宮教会の成長のために、協力して歩み始めましょう。

「牧師文書」ページに戻る

2018.5.20  ホームページを用いましょう!

 3月末に引っ越して以来、私自身の片付けと共に、教会備品の整理など慌ただしくしていましたが、ようやく少しずつ落ち着いて来ました。一服してしまい、牧師室の整理が後回しになっている部分もありますが、機会を改めて行っていこうと思っています。
 さて4月末には、教会のホームページもリニューアルさせていただきました。ホームページは、今や教会の顔であり、教会に来ようとする人たちが最初に出会う教会であり、教会にとって欠かせないものです。そのため、是非皆さんも教会のホームページを見ていただき、より良いページにするために積極的に提案をしていただければ幸いです(https://www.rcj.gr.jp/ohmiya/)。
 しかし、私にとって教会のホームページは、何も新来者だけに見ていただきたいのではありません。教会員に積極的に利用していただけるものを目指しています。礼拝に集えなかった人たち、ゆっくりと説教に集中することが出来なかった人たちが、改めて説教を聞くことが出来るように礼拝の録音をアップしています。1ヶ月分程度の礼拝説教は残しますので、少し前の礼拝を確認することも可能です。
 またあわせて、週報に掲載しています説教要約や諸文書もアップしています。過去の週報を保存されていないかたも多いかと思いますが、ホームページを見ることにより、大宮教会において何が語られ、どのような教会を作ろうとしているのかを、繰り返し確認して頂きたいと思っています。
 また、私たちの属しています日本キリスト改革派教会大会のページと共に、改革派教会にとって大切な文書でありますウェストミンスター信条(信仰告白・大教理・小教理)や教会規定、宣言(創立宣言~70周年宣言)、教会と国家の問答集等も、リンクしています。これらの諸文書もまた、私が管理しており、大会のホームページにアップしていただいています。こうした教会にとって大切であり、また基礎的な文書を、教会の皆さまが読んでいただき、少しずつでも理解を深めて下さることにより、教会としての基盤が作られ、伝統を形成することが可能となってきます。
 もちろん、個人的に読んでも理解出来ないことも少なくないかと思います。その場合、いつでも質問して頂ければ、喜んで説明させていただきます。
 
 「牧師文書」ページに戻る
  
 
2018.5.27  公的祈祷としての牧会祈祷と献金感謝祈祷
 
  先週の礼拝説教では、「祈祷の生活」との説教題において、御言葉より聞きました。祈祷には種類があり、誰に対して祈るのかということを確認しました。これらの祈祷は、家庭における個人の聖書と祈祷(個人礼拝・デボーション)と共に、公同礼拝における牧会祈祷においても同様の祈りが求められます。ただ公同の祈祷であれば、教会・共同体としての祈り、そして社会や世界に目を向けた祈りがより多くなってくると言って良いでしょう。
 そしてもう一つ、公同礼拝における祈祷である献金における感謝祈祷に関して、少し説明させて頂きます。大宮教会においては、献金時の感謝祈祷は、第五週を除いて執事にお願いしています。このことは教会においての感謝祈祷の目指す方向を物語っていると言って良いかと思います。つまり、執事は、教会内外における愛の業に仕えております。献金・会計を管理するのは、単に事務作業を担当するのではなく、富の配分、つまり必要を求める者に対する施しを行うからです。そして、執事を中心に牧師と共に、教会員一人ひとりを覚えて、執り成しを行います。礼拝における感謝祈祷では、献金として集められた捧げ物が適切に用いられ、祈りが必要な人たちへの執り成しが行われるように、祈ることが求められます。
 大宮教会では献金・感謝祈祷の後に報告が行われていますが、報告が行われて、教会員、ならびに教会外における施し・執り成しの必要を確認した上で、献金・感謝祈祷が行われる教会もあります。礼拝順序に関しては、他の部分も含めて、小会において話し合い、私たちの教会に相応しい礼拝式順がどうあるべきかを確認したいと願っています。
 
  「牧師文書」ページに戻る
  
 2018.6.10  大宮教会赴任2ヶ月が経って
 私が大宮教会に赴任して2ヶ月が経ちました。1週間の生活リズム、そして礼拝・祈祷会等を中心とする一つひとつの教会活動も、少しずつ馴れてきたように思います。教会員の皆さまにとりましても、牧師が代わり、当初の戸惑いなども徐々になくなり、私のペースが分かるようになり、日常の教会生活が戻って来た頃かと思います。
 さて牧師就職において大宮教会から私に求められていることは、①改革派教会を立てること、②信仰の継承が行われること、③宣教の拡大が行われることと、理解しています。
 そうした中、礼拝説教は、新約聖書・旧約聖書の御言葉に聞き、夕拝においては改革派教理の枠組みをウェストミンスター信仰告白から学び、そして朝・夕の祈祷会においては、聖書の全体を概論として学び続けています。改革派教会を立てることを意識しつつ、これらの学びをとおして、私たちの与えられている恵みの約束の確かさを確認して、喜びの信仰生活を歩んでいただきたいと願っています。また今後は、教会学校などにおいても、積極的に関わり、方向性を確認して行きたいと願っています。
 ただ、ここで立ち止まり、一つの言葉を思い出していただきたいと思います。それは、最初に赴任した時にした挨拶において語り、また4月15日の牧師就職式においても語らせていただいたことです。つまり、大宮教会は今までも改革派教会を形成してきたのであり、ここに集う長老・執事を初めとする教会員一人ひとりが豊かな賜物を持っておられます。教会を形成するのは主によって集められている教会員一人ひとりです。そして私は御言葉を取り次ぐ者として、皆さんが歩まれる道を御言葉によって示していくことが働きであると考えています。ですから、私が先頭に立って、皆さんを引っ張っていくというというよりは、教会の皆さま一人ひとりが与えられた恵みと賜物とをもって教会を形成しようとする時に、わたしが最後方におり、誤った道を歩まないように、御言葉によって歩むべき道を示していくことだと思っています。ですから、伝道においても、様々な集会においても、皆さんが積極的に企画し、実行して行って頂ければと願っています。

 私の行動は、消極的に思われるかも知れません。それを否定するつもりはありません。しかし、伝道であり教会形成を行うのは、私の手腕で行うのではなく、主なる神さまが聖霊により、私という器を用いて、そして教会に集う一人ひとりの賜物を用いて成し遂げて下さる主の御業です。私が教会を立て上げるという人間の功績にしてはならず、主の御業に参与する思いです。そのために皆さまからの求めにより、主からの必要が私に示されたことに関しては、喜んで奉仕をさせていただこうと願っています。

   「牧師文書」ページに戻る
  

 2018.6.17  大会役員修養会報告
  6月12日(火)~14日(木)に豊橋市において、大会役員修養会が開催され、大宮教会からも吉村弘司長老と共に辻が出席しました。プログラムなど概略に関しては、6月3日の週報において記しましたので、今回はいくつか私が気付いた点を記させていただきます。
 特にハラスメントについては、特記すべきことであり、月報に記させていただきました。下記において紹介させて頂くのは、憲法委員会第一分科会の「平和に関する宣言作成に向けて」の発題です。当委員会としては、数年の内に平和に関する宣言を作成し、改革派教会創立80周年を迎える2026年を目指して、ウェストミンスター信仰規準の新しい翻訳をしたいとの予定を発表されました。そして、平和に関する宣言作成のための準備として、「ベルハー信仰告白」について紹介してくださいました。このベルハー信仰告白は、私にとっても初めて学ぶ信仰告白です。
 実は当委員会が、70周年記念宣言作成の準備段階で「現代世界における改革派信仰告白」(2010)という小冊子を出版していました。しかし、2011年に発生した東日本大震災のために、大会役員修養会も臨時大会や震災の報告等が中心となり、宣言作成のために準備された同小冊子を学ぶ機会が与えられませんでしたが、当委員会は、70周年記念宣言作成のためにベルハー信仰告白を含む当小冊子を参考にして、作成されました。

 ベルハー信仰告白は、1986年に南アフリカにあるオランダ改革派ミッションチャーチにおいて採択されました。ベルハーとは南アフリカの都市の名です。ご存じのとおり、南アフリカでは、1948年以降、アパルトヘイト政策が行われていました。アパルトヘイトが廃止され、全人種による総選挙が行われ、ネルソン・マンデラが大統領になるのが、1994年ですので、ベルハー信仰告白が採択されてから8年後となります。つまり、ベルハー信仰告白は、アパルトヘイト政策を批判し、「信仰の事態」として立ち上がった牧師たちにより告白された信仰告白であり、反アパルトヘイト運動を展開する中にあって、この信仰告白が運動の大きな力を持つものであったと言ってよいかと思います。
 下記に、信仰告白の添書の一部を紹介します。

 私わたちは、特定の状況の光の中で新たに信仰告白をする必要を感じるような、非常に深刻な瞬間が教会の営みの中には起こりうるということを、深く認識しています。そのような告白行為は決して軽く為されてはならず、ただ福音の中心が脅かされているとみなされる場合のみであることを、わきまえています。私たちの判断では、私たちの国における現在の教会と政治状況、とりわけオランダ改革派教会ファミリーにおけるそれは、そのような判断を求めるものなのです。ですから私たちがこの告白を為すのは、神学議論への寄与としてでも、私たちの信条の新たな要約としてでもなく、心からの叫びとして、私たちが立っている時代を鑑みた時に福音のために為さずにはおられない事としてなのです。私たちは、多くの人々と共に、罪を告白します。それは、私たちの状況において必ずしも十分明白に証言されて来ておらず、それ故にそのプロセスに共同の責任を負っている事柄においてです。そのプロセスにおいて、罪として経験されていたはずの事柄が、時と共に当然正しいことのように思われ、ついには聖書とは異質のイデオロギーとなってしまったのです。そのため、多くの人々が、現実に福音が危機に瀕しているわけでないという印象を与えられ続けてきました。私たちがこの告白を為すのは、したがって、真理のある側面だけをあらゆる種類の神学的議論があまりにもアンバランスに強調してきたために、それが実際上虚偽となってしまったと、私たちが確信したためです。

 日本に生きる私たちの教会が、平和の宣言を作成するということは、第二次世界大戦中に侵略した近隣諸国との和解を行い、平和憲法(第9条)に生き続けることの告白です。このことは同時に、安保法を成立させ、戦争を肯定し、平和憲法を破棄しようとしている現政権に対して、主なる神さまが求めている平和からかけ離れていることを、告白することが求められているのだと思います。
 
  「牧師文書」ページに戻る
 
 2018.6.17  弱者に配慮する教会をめざして
  先日6月12日~14日の日程で、大会役員修養会が行われました。そこにおいて、ハラスメントについての発題が行われました。昨今、世間において叫ばれていることですが、今回の発題は、女性教師が認められたことに伴い、大会に立てられた女性役員特別委員会において、前々から企画されていたものです。
 改革派教会において、正式にハラスメントについて話し合われるのは初めてです。教会においてハラスメントは無縁のものであるとの認識をもっておられる方もいるかも知れませんが、教会に集うキリスト者一人ひとりも、罪赦された罪人であり、また、来会者の対応においても、その危険性があります。そして誰もが、加害者にも被害者にもなり得ます。そうしたことから、教会において、ハラスメントについて理解することは大切なことです。
 さてハラスメントとは、「ことばや行為などによって、他者の人格、尊厳を傷つけること」と定義することが出来ます。発題者の橋谷英徳先生は、「大人のいじめ」と呼んでもよいとお語りになっています。今回の発題では、特にセクハラを中心に語られましたが、ハラスメントは、パワハラ、モノハラを初めとして、現在では30数種類に区分されると言われています。
 ハラスメントは、ある閉じられた空間で行われます。そして多くの場合、力関係の中で起こります。特に教会では、牧師・長老・執事という職務に、ある種の権威が存在します。そうした環境の中、ハラスメントは発生する可能性があります。そのために、牧師・長老・執事は、常に意識し、注意しなければなりません。
 特にハラスメントは、加害者の側が、その自覚がない場合が多いのです。昨今、官庁においけるセクハラにおいて、上に立つ者の発言が、そのことを物語っています。ハラスメントにおいて大切なことは、被害者の意識です。被害者の側が尊厳を傷つけられ、それがある種の客観性があれば、加害者の側にその意識がなかったとしても、それはれっきとしたハラスメントです。問題は、加害者の側が、被害者の思いを知ろうとしない「鈍感さ」にあります。ハラスメントの原因として、「想像力がないから」、「愛がないから」、「罪人だから」と語り、①性差、②年齢差、③個人差を挙げます。
 ここまでは発題に従って、ハラスメントについて確認して来ましたが、ここからは私の思いを語らせていただきます。私たちは、真剣にハラスメントに関して、考えなければなりません。しかし、他の話しでも同様のことが言えるのですが、対処療法では、問題を解決することができません。根源的なこと、つまり私たちは、各々が神さまによって生命が与えられ、神さまによって罪赦され救われたキリスト者である認識が大切です。だからこそ私たちは、今も生きて働いておられる主なる神さまの御前に、自らを顧みなければなりません。行い・口から発せられる言葉・そして心の中で、罪を犯してしまいます。私たち自身が気が付き、悔い改める罪もあれば、人から注意されることにより明らかになる罪もあります。さらには明らかにされない罪もあるのです。私たち自身の言動により傷ついた人自身が、そのことを口に出すことはあまりありません。だからこそ、主の御前に自らを律することが求められます。
 この時、私たちは、救い主である主を愛するように、主がお与え下さった隣人を愛することが求められています。隣人とは、私たちと親しい者たちばかりではありません。サマリア人への譬え(ルカ10:25~37)から、外国人であろうと、死に瀕している人であろうと、あなたの隣人であることが語られています。そして、隣人を愛しようとする時、私たちは、相手のことを知らなければ、真実に愛することはできません。だからこそ、相手の言葉に傾聴し、理解しなければなりません。
 金持ちの譬え(マタイ19:16~22)では、貧しい人々こそ、あなたの隣人であり、彼らに施しをするように、主イエスは求めています。貧しい者、社会的弱者、そしてマイノリティと呼ばれる少数者の一人ひとりを、私たちが受け入れ、彼らを知り、彼らを愛することが求められています。私たちは無意識的に少数者や社会的弱者を排除してしまう恐れがあり、注意しなければなりません。
 このように、私たち一人ひとりが、隣人を愛し、少数者や弱者を愛するようになる時、教会は愛の業を行うディアコニアに生きる教会へとなっていきます。
 そして、隣人を愛し、少数者・弱者が受け入れられる教会形成が行われる時、私たちは常に相手に配慮することが出来る者となり、ハラスメントに対しても、常に気をつけることが出来るようになるのだと思います。
 ハラスメントについて教会においても議論することが求められる今、私たちは改めて、主の御前に生きる私たち自身を見つめ直し、隣人を愛することが出来ているのかが、問われているのだと思います。
 
  「牧師文書」ページに戻る
 
 2018.6.24  リジョイス編集会議について
  先週6月21日に、大会機関紙編集委員会の依頼により、リジョイス編集会議に出席しました。私は以前から、いのちのパンの執筆を行ったり、編集会議に参加すること、校正を行うことにより、手伝わせて頂いております。この編集会議は、皆さまが毎日、家庭礼拝やデボーションを行うために用いて頂いているリジョイスを作成するための会議です。そもそも、リジョイスは、毎月発行されていますが、このために、当委員会ばかりか多くの協力者の働きがあります。そのことを、紹介させて頂きます。
 最初に委員会は、2~3年先の聖書日課の予定と執筆者を決め、順次、執筆者に原稿の依頼を行います。聖書日課の原稿〆切は発行の7ヶ月前です。原稿提出が遅れている場合、催促することも少なからずあります。1ヶ月分の聖書日課がそろった時点で、いのちのパン執筆者に聖書日課が送られ、いのちのパンの執筆が始まります。並行して、聖書日課の聖書本文の確認や誤字脱字等のチェックが行われます。
 そして発行3ヶ月前に、私が出席しました編集会議が行われます(今回は10月分)。編集会議は、西部中会が中心ですが、東部中会・中部中会、そして今年から四国中会においても行われています。今回の編集会議への出席は、当委員会の委員(編集長:望月信教師、山下正雄教師)の他、メディアミニストリーの熊田なみ子姉、菊池靖子姉、それに校正協力者の門脇陽子姉、そして協力者として坂井孝宏先生と私の7名です。編集会議では、1ヶ月分の聖書日課といのちのパンを読み合わせ、内容の確認を行って行きます。編集会議には、教師ばかりか、国語力に長けた方を中心とする一般信徒の方々も出席していますので、改革派教会の説教に相応しいかということが吟味されると共に、読んで理解出来るか、耳で聞いて理解出来るかなども確認されていきます。多くの原稿はその場で修正されますが、すぐに文書を確定できないものなどは、担当者を決めて宿題という形で文書を完成させることもあります。そしていのちのパンの編集は、聖書日課と同じ位の時間を要します。短い文書で、小学生(3~4年生)に理解出来る言葉で語ることの難しさを、今回の編集会議においても痛感しました。通常の会議でも午前10時半に始め午後6時頃までかかりますが、今回の会議は午後9時までかかりました。つまり1時間に3~5日分のペースです。
 そして編集会議において確認された文書は、委員会においてまとめて頂き、聖書日課であれば執筆者の確認を得たり、時には執筆者に加筆して頂くこととなります。
 この頃までには、他の原稿なども集まってきます。これらの原稿を、ワークホーム聖恵において印刷ベースの初稿を作成して頂くこととなります。初稿が完成した時点で、全国にいる校正協力者に送られ、校正作業を行うこととなります。校正は、ネット環境で行いますが、3~4校、多いときには5校まで行われ、リジョイスが完成し、教会を通して、各教会員に届けられていくこととなります。
 こうした作業が、毎月行われています。つまり当該委員会においては、担当者も決めて役割分担をしていますが、常に数ヶ月分の原稿を扱いながら、編集作業が行われているのです。

 私たちが毎日、聖書と共に、聖書日課といのちのパンを読み、御言葉の養いに与るために、こうした多くの方々の働きをとして届けられていることを理解して頂ければ、幸いです。そして今後、毎日リジョイスを手にとって読むことが出来ることが、神さまから与えられた恵みであることをお覚え頂ければと思います。
   「牧師文書」ページに戻る
 
 

 
COPYRIGHT(C) 2018 日本キリスト改革派大宮教会  ALL RIGHTS RESERVED