11月21日説教原稿

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11月21日説教原稿

家庭礼拝のための説教原稿と祈りです。本日は子ども祝福礼拝です。説教も子どもを意識したものとなっています

エフェソ6:21-24 「喜びが伝わる」
パウロは知ってほしい
今日は子ども祝福礼拝ですから、説教もこども礼拝向けです。時間も短くします。でも、大切なことはちゃんとお話ししたいと思います。今読んだ聖書は手紙です。パウロという人が書きました。パウロはもともとはイエス様が言われたことを嘘だと思って憎んでいた人でした。ところがそのパウロがキリスト者を捕まえようと思って出かけて行ったときに、突然強い光に照らされてイエス様と出会います。それから、イエス様は本当のことを言われたんだ、イエス様は本当に神様の子だったんだ、とわかって、そのことを多くの人に伝えました。そしてあちらこちらで教会を造りました。そのパウロが作った教会がエフェソにもあったようです。そのような懐かしい教会に向けて書いた手紙です。今日のところはその手紙の最後です。そこでパウロが最も言いたいのは「私がどうしているかよく知ってほしい」ということです。そして、その目的はエフェソの教会に集まっている人たちが元気になることです。

パウロの教会イメージ
では、パウロの様子を知ると何で教会が元気になるのでしょうか。昔イエス様のことを教えてくれた先生の様子がわかってうれしいからでしょうか。たしかに、そういうこともあります。でも、それだけではありません。ここでこの手紙のもっと前の方でパウロが書いていた教会のイメージ、教会とはこういうものだ、ということが書いてあるところを読んでみます。この手紙の4章です。「こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」(4:14-16)今読んだところで、イエス様は、キリストという役割を示す呼び方で出てきます。そこでイエス様は何だと書いてあったでしょうか。そう、「頭」です。イエス様は、教会の頭に譬えられています。そして、教会はその体で、しかも、イエス様に向かって成長していく、とも書いてあります。ところで今イエス様はどこにいるでしょうか。天におられるのですね。その天におられるイエス様とこの地上の教会はつながっていて、いつでもイエス様からいいものをもらってイエス様に似たものになるように強められていく、これがパウロの書いた教会の姿です。

パウロの闘い
ところで、この手紙を書いたときにパウロがどうしていたのか、といいますと、そのことは実は一つ前のページに書いてありました。こちらも読んでみましょう。「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。」(6:20)ここでは鎖につながれて、とありますけれども、これは、何らかの形で捕らえられている、という意味です。狭い牢屋に押し込められていたかどうかはわかりませんが、何か悪いことをしたからではなく、ただ、イエス様が神様であり救い主だ、ということを語って歩くと、それが嫌な人たちとの間で争いが起こってしまって、もちろんパウロは自分からけんかを受けて立ったりしませんが、こんな騒ぎが起きるとはけしからん、というそれだけの理由で捕まってしまう、ということは何度もあったようです。そんな捕らえられたパウロの様子がわかるところがフィリピの信徒への手紙にありますのでこちらも読んでみます。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」(フィリピ1:12-14)。

パウロは幸福
この所では兵営とありますので、パウロは伝道旅行の途中で混乱があってローマ軍によってとらえられ裁判を待っている状態だと思われます。しかし、その所で何が起きたのかといいますと、パウロにとっては囚われの身であることは決して悪くなかったという結論になります。私たちは、警察に捕まって、刑務所にいれられたら人生の終わり、のように考えてしまいがちですけれども、パウロにとっては違っていました。パウロは捕まっている場所でみんなに理解してもらえた、と言っています。「私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他すべての人々に知れ渡り」とあるように、パウロが悪いわけではない、むしろ、トラブルに巻き込まれてしまったのだ、ということがみんなに、ということは、パウロをとらえている側の人たちもよく理解してくれている、というのです。現代で言えば、裁判官も、刑務所の人たちに当たるような人たちも、実はパウロが正しいことを知ってくれている、というのです。何でそうなったのか、と言いますと、パウロが語ることが周りの人たちにちゃんと伝わったからです。またそれだけではなく、パウロのそのような姿に励まされて、仲間たちも、ますます、イエス様のことを話すようになったと続いています。一言で言うと神様がパウロと仲間たちを強くしてくれたということです。捕まって牢獄にいるのはうれしくないことですが、パウロ達にはそこでも神様の恵みがたくさんあって、むしろ喜んでいるというのです。

みんなで強くなる
それで、エフェソの手紙に戻ります。ティキコという人が出てきます。パウロの仲間です。一緒にイエス様のことを話して回っていた人です。とてもしっかりした人のようです。「彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕えるものです」と書いてあるように、パウロにとても信用されている仲間です。そして、このティキコという人がエフェソの教会に行く目的が何かというと、みんなが元気になるように、そのためだというように22節で書いてあります。「彼をそちらに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです」。とある通りです。パウロとその仲間たちにとって良くないことのように思える時にも、神様が働いてくださって、かえって、すばらしい時に変えてしまわれた、そのような良い知らせを聞いて、みんなも一緒に喜べるようにティキコを送ります、というのです。

喜びが伝わる
それは、パウロが無事だったからうれしい、というだけではありません。パウロがそうであったように、いろいろな時に大変な思いをしている人を神様は見て下さっていて、きっとその大変な時をよい時に変えて下さる、ということがわかって、心が強くなるということです。神様と一緒に生きている仲間に神様の助けがいつもあると知って心が強くなるのです。そのように、神様から良い時をいただいた仲間の喜びが伝わって一緒に喜ぶそんな喜びがたくさんあるようにとパウロはこの手紙を結んでいます。

祈り
父なる神様、み名を賛美します。私たちは、すでに主イエスによって、あなたの平和をいただいています。たとえこの世界によくないことがあっても、私たちは、神様の守りの中にいます。そして、目の前の出来事の中によいことを見つけていくことができます。何よりも神様が与えて下さる喜びを分け合うことができます。そのようにして、この週もまた、神様の平和と愛の中に生きられますように。主イエス・キリストのみ名によってお祈します。

毎週日曜は礼拝の日

新座式志木教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週火曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
午前10時30分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕拝
午前16時30分~17時30分
日曜の午後に開かれます。こちら必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会祷会
毎週火曜日 19時00分から20時00分
毎週火曜日の夜に開かれるお祈りのため集会です。聖書を学び、皆と共に祈りを捧げます。お仕事などの都合で日曜日に教会に来られない方は是非どうぞ。

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