7月19日説教原稿

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7月19日説教原稿

家庭礼拝のための祈りと説教原稿です。朗読などによって用いてください。

牧会祈祷
恵み深い神様。あなたは天と地と海とその中にあるすべてのものを、み旨のままに創造され、今に至るまで大能の御手をもって支配し、守り導いておられます。この御業をおぼえて、心からあなたを賛美し、栄光をたたえます。
この日、私たちが、この場に集められ、また、なお、ウイルス対策として、それぞれの家庭で、あなたと共に過ごし、み言葉と御霊によって豊かに養われておりますから感謝します。あなたは、私たちに聖書を与え、御霊によって解きあかし教えてくださっておりますことを覚えます。
私たちは、イエス・キリストを知り、また、キリストに従って生きる救いの道を示されています。しかし、このような大きな憐れみをいただきながら、なお私たちには生まれながらに罪の性質があり、日々罪を犯すものです。いま、私たちは自らの罪を認め、悔い改めます。それゆえ、イエス・キリストによる赦しをお与えください。
私たちに、主イエスが十字架において、ご自身を贖いのささげものとして下さったこと、三日目に復活して、罪と死の縄目から私たちを解放してくださっていることをますます確信させてください。また、このようなあなたの慈しみによって、私たちを、新しい命を楽しみ味わうものとしてください。私たちが、この喜びを自らのものとして、その豊かさを、兄弟姉妹と、また、隣人と分かち合い、あなたによって遣わされます日々の生活の中でも、福音を示すものとしてくだいますように。
新型コロナ・ウイルスの感染が、世界で、また日本でも増加しております。この事態には、多くの忍耐と知恵が必要であることを覚えます。どうぞ感染被害を防ぐために労苦しておられる、すべての方を、支えてください。今、感染に苦しんでいる方たちに、癒しを与えてください。残念ながら家族を失った方たちをねんごろに慰めてください。また、今はそれぞれの所で礼拝を持つ兄弟姉妹をあなたが格別に覚えて顧み、それぞれの家庭にあって支えてくださいますように。この日も体調を崩している方たち、ご高齢の兄弟姉妹たちの生活を顧みてください。今日も勤労に従事なければならない方たちをささえていてください。
主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。

「見えないものによって」
歴史的視点?
歴史小説というジャンルがあります。例えば、少し前なら、司馬遼太郎さんの作品がとても人気がありました。NHKの大河ドラマでいくつも映像化されています。ただ、司馬さんご自身が言われていることですが、あの小説はかなり創作が入っているそうです。本当のことと、そうでないことが混ざっている、小説として面白くするために、いろいろと手を入れている、ということです。その意味では、いわゆる本当の歴史と、そうではないものとは、区別しなければならない、という事になります。一方で、歴史について何かを書く、という場合には、どうしても大きな出来事が、中心になってしまいがちです。さらに言いますと、多くの場合、男性のしたことが中心になっている、と言えるかもしれません。例えば、今日の聖書でも、その枠組みを決めているのは、エジプトの王であるファラオの命令です。ファラオが無茶な命令を出して、それがうまくいかないとさらに無茶な命令を出す、ユダヤ人たちはそれに翻弄される、というのが、大きな流れと言えばそうなるのかもしれません。しかし、そこで別の視点から見ますと、それは全く違った姿を現すのです。その際、特に注目したいのは、ここでは三人、ないし五人のうら若い女性たちが活躍しているという事です。

五人の娘
前回読みました、1:15節以下では、特に二人の助産婦が活躍していました。ファラオは、ユダヤ人たちの人口が増えて、このままでは、エジプトに敵対する勢力であるヒクソクという部族の残党と手を組んで、国をひっくり返されてしまうかもしれない、という恐れにとりつかれていました。それを防ごうとして、ひどい重労働を命じますが、うまくいきません。そこで助産婦を呼びつけて、男の子を殺すように、と命じますが、二人の助産婦、シフラとプアという女性は、機転を利かせて、この命令を骨抜きにしてしまいます。それは神様の御心の現れでした。彼女たちは神様を恐れて行動していましたので、神様は彼女たちを祝福し、やがて彼女たちも結婚をして家庭を持つようになった、と21節に書いてありました。しかし、ファラオはさらにひどい命令を出してきます。それが、22節にある言葉です。「ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」」。今度はエジプトの全国民に向けて、「ユダヤ人の赤ん坊のうち男の子を見つけたら、有無を言わせずナイルに放り込んで殺してしまえ」。という命令を出しています。そしてこの政策が最終的に成功したのか、すなわち、ファラオの狙い通りユダヤ人の人口を大いに減らして、弱体化することに成功したかどうか、実は出エジプト記からははっきりとわかりません。

無理な命令
ただし、二章の終わりから三章を見ますと、相変わらず強制労働が激しくなされている様子が描かれていますので、男の子を減らす人口抑制策はあまりうまくいかなかったのかもしれません。そして、おそらくその理由の一つにこのところの出来事が関わっているのではないか、とわたしは見ていますが、これはそれこそ、司馬さんではありませんが、この見方には私の想像が入っていますので、その点だけ最初にお断りしておきます。そのうえで、最初にはっきりとさせたいことがあります。それは、このファラオの命令は、とんでもない命令である、という事です。その根本にあるのは、自分、あるいは自分たちエジプト人の立場を守りたい、という身勝手な願いです。そしてそのためには、ユダヤ人をいくら殺してもかまわない、むしろ、自分たちの敵になる可能性があるのなら、早いうちに始末してしまった方がよい、というものです。そして、このような命令は、全く神様の喜ばれるところではありません。それゆえ、あえて言いますが、神様は不正義を、不正義のままに見逃されない、とわたしは信じています。そして、無理な命令は、神様の手によって、より具体的には、立場を超えて神様の御心をなす人たちによって、覆されるという事を今日の聖書は示しているように思えるのです。

結婚と出産から始まる抵抗
このところでは、まず、レビの家の若者が登場します。若い二人の名前は示されません。彼らは、このような困難な状況の中でも結婚をしています。この点もまた、現代の私たちに一つの問題提起をしているように思えます。それは、時代状況ばかりを見て、こんな社会だから結婚をしない、あるいは、こんな社会だから子どもを持ちたくない、というように考えることが、本当に正しいのか、という事です。むしろ、このカップルはファラオに抵抗して、神の守りを信じて結婚をしているように見えます。しかし、それはさておいて、この妻となった女性は、同じ出エジプト記の6章を見ますと、ヨケベトという名前になっていますが、彼女は男の子を出産します。そして、あのファラオの命令に逆らって、この子を隠して育てます。「その子がかわいかった」と聖書にあります。当然かわいいはずですが、単にかわいいというよりも、神様が、この子を生かすように、彼女に働きかけたのではないかとわたしは、見ています。そしてこれもまた想像ですが、このようにして、男の子を生かしておくという出来事には、仲間の、ひょっとしたらあの助産婦たちの協力があったのではないか、と考えたいのです。しかし、そのようなこともやがて無理になった時に、彼女はできるだけのことをして、この子を生かそうとして、ナイル川に赤ちゃんを託しています。

ファラオの娘と神の手
もちろん、その場合、ただ投げやりに、男の子を放置したのではありません。4節を見ますと、「その子の姉が遠くに立って」、とあります。彼女もまた、名前がありませんが、後にモーセの姉、ミリアムとして登場します。しかし、この時はまだ、本当に小さい女の子です。その彼女が、弟がどうなるのかじっと様子をうかがっていた、というのです。そして、そこに、エジプトの王女が、登場します。ちなみに、このところは口語訳や新改訳では、「パロの娘」と訳していました。こちらの方がヘブライ語通りの訳です。彼女もまた、若い未婚の娘でした。エジプト人がナイル川で水浴びをする、というのはごくありふれたことであったようです。しかし、神様はここでも、彼女に一つの発見を与えるのです。それは葦の中に置かれたかごです。彼女は周りで見守っていた召使に命じてかごを取ってこさせています。そして、赤ん坊の泣き語を聞いています。この声を聞いたとき、彼女は「不憫に思った」、と6節にあります。この一連の言葉は、しかし、大変重要なことを示しています。この少し後、神様がイスラエルの声を聞いてくださる、という事を描いた場所を読んでみます。「出3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。」

先行きについて
ここでいくつか注目したい言葉があります。3:8で神は「下っていき」と語れます。さらに、3:7では「叫び声を聞き」とあります。さらに、3:8の最後では「導きのぼる」とあります。この一連の流れを見ますと、神様は、下り、聞き、引き上げる、というようにまとめることができます。しかし、それに先立って、このファラオの娘は、モーセに対して、ナイル川に下り、彼の鳴き声を聞き、不憫に思い、そして、モーセを水の中から、引きあげています、これは、神様がイスラエルの民に対してしてくださることを、まず、モーセに対してしておられる様に見えます。このファラオの娘は、もちろん、そのように意識していたわけではないでしょうが、これから神様のされることを、先取りして、モーセを助け出しているのです。それゆえ、彼女が、今日の10節の所で、モーセの名前を説明して、引き上げた、と言っていることはただの言葉遊びではありません。むしろ、これは、イスラエルの民が、紅海を渡ることによって、水の中を通って助け出されることを暗示しているようにみえます。

立場を超えた抵抗-王族の中に
その意味で、彼女のしたことは、みな、神様の御心に逆らうファラオの無理な命令を覆していく、神様のご計画を示している、というように見えるのです。そして、ファラオの娘のしたことは、これだけではありません。彼女は、ハッキリと、モーセがユダヤ人であることを意識しています。「これはきっとヘブライ人の子です」とある通りです。しかし、その時、様子を見ていたミリアムが、乳母を連れてきましょうか、と提案すると即座に受け入れ、「そうしておくれ」と返事をしています。これは、父王の命令に完全に背いて、ヘブライ人の男の子を、自分の子として育てることをその場で決意した、という事です。実際に、この後、モーセの母ヨケベトが現れると、彼女に養育費を払う、という約束をしていますし、その後、少年となったモーセが、母に連れてこられると、王族の一人として受け入れてさえいます。一体、このような娘の反発を、ファラオがどのように思ったのかは書かれていませんが、何しろ、王の娘が、王の命令に完全に逆らい、それでも特に罰せられることなく、むしろ、ヘブライ人の男の子が、王族の一員に加えられてしまったのですから、父王の命令、ユダヤ人の男の子はみんなナイルに投げ込んで殺せ、という命令は、もちろん、その犠牲になった不幸な男の子が、一人もないという事はないとしても、全体として、あまりうまくいかなかったのではないか、というように私には思えるのです。

見えないものによって
このようにしてみますと、歴史は、ファラオや、権力を持った男たちだけが作っているのではなく、むしろ、名前を書かれない、若い女性たちによって、あるいは、それを用いられる神様ご自身の御手によってつくられている、という様子が、よくわかるのです。そして、何よりも大切なのは、このようにして、小さな赤ちゃんのモーセの身の上におきた、様々なことは、いずれ、もっと大きな規模で、イスラエルの民の上に実現するだろうという事です。小さな小さな男の子が、無名の若い女性たちによって救われた、という小さな出来事は、やがて、もっと大きな出来事になっていくのです。私たちの教会で起きていること、あるいは私たちが教会の内外でできることは、いつの時代でも、小さな小さなことでしかないかもしれません。しかし、そこには、やがて現れる神様による、大きな出来事の芽生えが現わされているのではないでしょうか。

祈り
主イエス・キリストの父なる神様、あなたのみ名を賛美いたします。あなたはご自身の民の嘆きをつぶさに見て、その嘆きを聞いてくださる方であるゆえに感謝します。私たちもまた、先の見えない時代に生きております。しかし、なお、あなたの守りが確かにあり、また、私たちに与えてくださる日々のしるしの先に、あなたの偉大なご支配があることを覚えます。私たちが、目先の出来事に絶望するのではなく、まだ見ぬ、あなたの王国に期待して歩むことができますように、また、この週の歩みにあなたの希望が豊かにありますようにお願いします。主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

毎週日曜は礼拝の日

新座式志木教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週火曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
午前10時30分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕拝
午前16時30分~17時30分
日曜の午後に開かれます。こちら必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会祷会
毎週火曜日 19時00分から20時00分
毎週火曜日の夜に開かれるお祈りのため集会です。聖書を学び、皆と共に祈りを捧げます。お仕事などの都合で日曜日に教会に来られない方は是非どうぞ。

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