6月21日説教原稿

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6月21日説教原稿

家庭礼拝のための説教原稿です

牧会祈祷
恵み深い神様。あなたは天と地と海とその中にあるすべてのものを、み旨のままに創造され、今に至るまで大能の御手をもって支配し、守り導いておられます。この御業をおぼえて、心からあなたを賛美し、栄光をたたえます。
この日、私たちが、この場に集められ、また、なお、ウイルス対策として、それぞれの家庭で、あなたと共に過ごし、み言葉と御霊によって豊かに養われておりますから感謝します。あなたは、私たちに聖書を与え、御霊によって解きあかし教えてくださっておりますことを覚えます。
私たちは、イエス・キリストを知り、また、キリストに従って生きる救いの道を示されています。しかし、このような大きな憐れみをいただきながら、なお私たちには生まれながらに罪の性質があり、日々罪を犯すものです。いま、私たちは自らの罪を認め、悔い改めます。それゆえ、イエス・キリストによる赦しをお与えください。
私たちに、主イエスが十字架において、ご自身を贖いのささげものとして下さったこと、三日目に復活して、罪と死の縄目から私たちを解放してくださっていることをますます確信させてください。また、このようなあなたの慈しみによって、私たちを、新しい命を楽しみ味わうものとしてください。私たちが、この喜びを自らのものとして、その豊かさを、兄弟姉妹と、また、隣人と分かち合い、あなたによって遣わされます日々の生活の中でも、福音を示すものとしてくだいますように。今日、私たちの教会に新たに執事が与えられました。これもまたあなたの御業であり、み旨の実現です。選ばれた兄弟をあなたが、支え用いて下さり、また私たちも共に手を携え奉仕を共に担っていくことができますように、群れを整えてください。
日本においては、新型コロナ・ウイルスの感染が、一旦は抑えられておりますことを感謝します。しかし、世界に目を向ければ、むしろその事態はより深刻になっていることを知っています。私たちが、なお当たり前の生活を送る日は見通せていません。どうぞ感染被害を防ぐために労苦しておられる、すべての方を、支えてください。今、感染に苦しんでいる方たちに、癒しを与えてください。残念ながら家族を失った方たちをねんごろに慰めてください。また、今はそれぞれの所で礼拝を持つ兄弟姉妹をあなたが格別に覚えて顧み、それぞれの家庭にあって支えてくださいますように。今日も勤労に従事なければならない方たちをささえていてください。
主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。

ガラテヤ1:1-5 「神がくれたもの」
挨拶の特徴
ただいま読みましたガラテヤの信徒への手紙の最初の5節は、いわゆる挨拶の部分です。でも通り一遍の挨拶ではありません。「使徒パウロ」このところのギリシャ語聖書を確かめてみますと、その書き出しが、「使徒パウロ」で始まっています。もちろんこれは、言葉の構造の違いがある、と言っていいでしょう。日本語では結論が文の後ろに来ないと落ち聞きませんが、ギリシャ語や英語では、まず結論が先にきて、その後に説明の言葉が並ぶ、という構造になっているのは間違いありません。とはいえ、同じくギリシャ語聖書を見ますと、「人々からでもなく、人を通してでもなく」という言葉が、「使徒パウロ」という言葉に続いています。それゆえ、パウロが最も言いたいことが、ここにすでに姿を現しているのです。しかもさらにその後を読みますと、イエス様の死者の中からの復活の言葉まで含まれています。このような書き出しは、パウロの他の手紙にはありません。その意味では、この書き出しにこそ、パウロが言いたいことがギュッと詰まっている、これから語ろうとしていることの多くが、実はすでにこのところで顔を出している、そのように読みたいのですし、そういうわけで、今日は、この挨拶の言葉をたどりながら、ガラテヤ書の特徴を明らかにしたい、そのように願っています。

使徒?
ところで、パウロが、何よりも「使徒」という事を強調しているのは先ほど見た通りです。それは実際にパウロが、福音を伝えていく中で、心ない批判、非難を受けていたらしい、という事と関係しているかもしれません。あれは、使徒とは言えないのではないか、あるいは、ペテロに使徒にしてもらったのではないか、いや、バルナバのお情けで、使徒を名乗っているのではないか、そんな批判があったのかもしれません。とはいえ、そのようなことが悔しくて、パウロがわざわざ、「俺は使徒だ」と書いているというのではありません。むしろ、パウロには、とても大切にしていること、どうしても譲れないことがあったのです。そして、そのパウロが大切にしていることと、パウロが使徒である事、もう少し言えば、使徒にされたこと、とは切っても切り離せないのです。それゆえに、この書き出しにおいて既に、「神によって使徒とされた」という事が書かれているのです。

人によらず
しかも、その神による、という事は、どのようなことなのかということ、その前の言葉に書かれています。「キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神」、パウロは、自分はこの両者によって、使徒にされた、と言います。ここでまず、キリストが登場しています。キリストこそはパウロにとって絶対に外すことができない存在です。使徒言行録の9章に詳しく描かれておりますけれども、イエス様ご自身こそ、彼の前に現れて、彼を全く新しく作り替えてしまった存在です。その意味では、まさに、キリストによって使徒とされた、というのはその通りなのです。しかし、そのキリストは、どのような存在なのか、と言いますと、その背後に「キリストを死者の中から復活させた父である神」がおられる、ということをパウロは言うのです。キリストがわたしたちの罪のために死んでくださったこと、三日目に復活されたこと、そもそも、復活とは何なのか、と言ったことについて、今日は、丁寧に語ることをしません。そこで、とりあえず、今は一つだけ確認します。それは、イエス・キリストと父なる神様とはバラバラにそれぞれの働きをしているのではなく、むしろ、一体的に一つの方向で物事を進めておられる、そして、パウロが使徒にされるのもまた、その一つの方向に沿ったことなのだ、明確な目的を持っているのだ、という事です。そしてパウロが大切にしたいのは、物事の一切についてさかのぼると神様の目的、御心にさかのぼる、神様が何を望んでおられるのかが大切だ、という理解です。

御心としての恵み
ではそのような神様の御心とは何か、という事になります。その場合に、3節の祈りの言葉は大切です。これもまた、すっと読んでしまえばそれまでの言葉かもしれません。「恵と平和があなた方にあるように」。しかし、これをただの挨拶、飾りの言葉にしてしまうのはあまりにもったいないことです。パウロは、コリントの信徒への手紙Ⅰ12章(12:28-31)で、教会は神様からいろいろな賜物をいただくのだ、という事を語っています。今日は、とてもうれしいことに古矢兄が先ほど、執事に任職され、また、この教会の執事に就職されました。これは、今年の会員総会で選挙が行われ、その後、準備の学びがなされ、さらに、小会の会議において試問が行われ、まことに執事にふさわしい、という事が確認されて、今日にいたった、というようにこれまでの流れをたどることができます。しかし、あえて言いますと、そのようなすべての背後において、ことを導いておられるのは神様にほかなりません。パウロは、自分が使徒にされたのも、あるいはほかの人が、使徒や、教師や、預言者や牧師や奉仕者にされていくのも、みな一切は、神様からの恵み、神様からいただくもの、賜物なのだ、と言います。しかし、そこでなお忘れてはいけないのは、このようにして神様から賜物をいただくという事は、そもそもの前提として、神様とわたしたちの間に平和がなければ成り立たないというのです。

御心としての平和
そして、その場合の平和とは、ただ神様との間に争いがない、という意味ではありません。むしろ、聖書における平和とは、関係の正しさです。神様が、神様として、人間に対して正しくある、それは、言い換えますと、神様が人をご自身のもとに導く、ご自身の民とする、改めてご自身の民にしていく、という事に忠実であることです。一方、人間が、人間として正しくあるとは、自分で自分の正しさを作り上げていくことではなく、むしろ、神様が、自分に対して約束してくださったこと、恵みを与えるという事、賜物を与えるという事に、信頼して生きていく、というあり方です。このようにして、神様が神様らしく、人間が人間らしくある時に、そこに何のかけもない、何のわだかまりもない、状態が現れるのです。それが聖書でいう平和です。パウロは、是非あなた方にこの平和があるように、と祈るのです。祈るだけではなく、それが実現するようにと、この手紙を書いているのです。しかし、そこにはある危機が忍び寄ってきているのです。ガラテヤ地方にあるいくつかの教会が、間違った方向に行こうとしている、その様子がパウロに見えるので、彼は強い言葉で、正しい方向に引き戻そうとして、この手紙を書いているのです。

悪の世?
強い言葉、例えば来週の個所になりますが6節には「私はあきれ果てています」とありますし、3章には「ああ、物わかりの悪いガラテヤの人たち」という驚くべき言葉もあります。しかし、今日は4節の言葉に注目します。「この悪の世」。私たちが住んでいるこの世界は「悪の世だ」とパウロは言い切っています。これは、場合によっては大変失礼な言葉に聞こえるかもしれません。この世界には良いものがあり、美しいものがあり、善意をもって誠実に生きようとしている多くの方たちがいます。それをひっくるめて、「この世は悪だ」と言い切ってしまってよいのか?と思われるかもしれません。しかし、パウロがここで言いたいのは、この世界を別の角度から見た場合に、どうしても見えてきてしまうことがある、ということです。それに対して、あえて強い言葉を語っているのだろうと私は理解しています。では、その場合の別の角度から見た世界とは何でしょうか。

ガラテヤ、日本、どこででも?
例えば、先日、10代の男の子が拳銃自殺をしました。実際に、10代での自殺者数は増えているようです。また、ある日の新聞では、小学生の万引き発生数が増えているとのことでした。この事実に、すでに何かが見えているかもしれません。一つには幼い世代、若い世代に、希望がないのではないか、ということです。子どもは、社会の中で弱い立場にあり、弱い所には社会のしわ寄せが一番強く出てくる、という残念な事実があります。しかし、それと同じくらい困るのは、なぜ、若い人たちが苦しくなってしまうのか、私たちにその原因がよくわかっていないことです。私たち一人一人が、特別に悪いわけではないはずです。あえて誰かを苦しめようとしているわけでもないはずです。しかし、気が付けば、私たちの社会は、人を圧迫し、人を苦しめる社会になっていて、それをどうして良いのかさっぱりわからないようになっているのです。そして、自分が苦しくなければ、なんとなくそれでいい、あるいは自分が苦しいからそれで精いっぱい、それ以上のことは勘弁してほしい、と思ってしまっているかもしれないのです。パウロがいう「悪の世」とはこのことです。良く生きようとしているのに、よい社会にならず、むしろ、互いを苦しめるようになってしまうということです。その根本にあるのは、自分たちで考えて、自分たちで何とかしようという私たちの生き方です。

救い出す
わたしたちは、そこから出なければならない、とパウロは言うのです。それこそパウロが、4節で語っていることです。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」。良い社会にしようという努力が空回りしているような世界、神様はそこから人々を救い出そうとしておられる、そしてそのためにキリストをささげてくださったのです。自分たちが願う事を実現できない、という罪の状態を滅ぼすために、何よりも、自分が、自分が、という私たちの一番の欠点を滅ぼすために、それを死に至らせるために、キリストを十字架につけてくださったのです。

神がくれたもの
それは言い直すならば、私たちがキリストと一緒に死ぬ、ということです。私たちの限界を超えるために、キリストと一緒に自分に死ぬのです。それこそが、パウロが体験し、また、ガラテヤの人たちが体験した、「救い」です。それは、自分自身からの自由です。どこまでも自分に拘り続ける罪からの自由です。この自由は、私たち人間からは出てこないのです。人間ではなく、ただただ、神様からしか出てこないのです。パウロはすでに、この書き出しの挨拶において、よいものは神様からしか来ない、という決定的な事実を確認しているのです。

祈り
神様、あなたのみ旨は実現します。あなたのみ旨だけが実現します。私たちが、自分を王様にしてしまうのではなく、あなたによってたて上げられ、あなたのみ旨に信頼してこの週も歩むことができますように。日々の暮らしの中において、あなたがご栄光をあらわしてください。この礼拝を感謝しつつ、主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。

毎週日曜は礼拝の日

新座式志木教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週火曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
午前10時30分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕拝
午前16時30分~17時30分
日曜の午後に開かれます。こちら必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会祷会
毎週火曜日 19時00分から20時00分
毎週火曜日の夜に開かれるお祈りのため集会です。聖書を学び、皆と共に祈りを捧げます。お仕事などの都合で日曜日に教会に来られない方は是非どうぞ。

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