聖書の言葉 使徒言行録 23章12節~22節 メッセージ 2026年5月31日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録23章12節~22節 「命を救われたパウロ」 1. 今朝、この礼拝にお集まりのお一人お一人の上に主イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります、アーメン。 先ほどは、使徒言行録23章のちょうど中ほどにある12節から22節のみ言葉をご一緒に聴きました。 先週はペンテコステ礼拝のため使徒言行録を離れましたので、これまでのところを少し振り返ってみたいと思います。初代教会の指導者、また世界伝道の立役者であります使徒パウロは、三度の伝道旅行を終えてユダヤの都エルサレムに帰ってきました。異邦人宣教の報告をすること、異邦人教会からの献金を届けることが目的でした。ところが、パウロを憎んでいたユダヤ人たちにエルサレム神殿の中で見つけられてしまい、彼らから乱暴され、命を狙われることになりました。神殿の中がパウロを巡って混乱状態になりましたので、エルサレムの治安を守るローマ軍によってパウロは保護されました。ローマの千人隊長は、パウロがローマの市民権を持っていることを知るや否や態度を豹変させます。パウロを鞭で打つことを中止しただけでなく、五旬祭の祭りのために神殿に詣でていたユダヤ人たちに対する弁明の機会さえ与えてくれたのです。 しかし、パウロの弁明を巡って再び混乱が生じましたためにパウロは再び保護され、今後の彼の処遇はユダヤの律法評議会、最高法院にゆだねられたのでした。この後パウロは、主イエス様が最高評議会で死刑判決を受け、次にユダヤの王であるヘロデ、そしてローマ総督ポンテオピラトのもとへと送られたように、次々と裁判にかけられることになるはずでした。 今朝の御言葉の前の日に行われた最初の法廷では、パウロ自身が火を点けた主イエス様の復活と一般的な死者の復活の議論から大混乱に陥り、判決が出せないまま終わりました。パウロは再びローマ軍に保護されました。そしてその夜に、パウロは復活の主イエス様が来て下さるという素晴らしい恵みを体験したのです。 主イエス様は、パウロを励ましてくださり、更に「あなたはローマでも福音を証ししなければならない」と言うローマ伝道の使命をも与えてくださいました。今朝の御言葉の直前11節に記されている主イエス様の御言葉をお読みします。「勇気を出せ。エルサレムでもわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」。 さて、先ほど、このあとパウロは主イエス様が十字架に架けられた時のように次々に裁判に架けられると言いました。けれども主イエス様とパウロとの間には決定的な違いがあります。それはパウロがローマ市民権を持っていることです。そのためパウロはローマ軍から丁重に扱われており、最後にはローマ皇帝への上訴へと進んで行くのです。つまりパウロは命を救われたばかりでなく、彼自身の思いを越えた形でローマ行きが実現する運びとなるのでした。 今朝の御言葉は、その一部始終を語っています。この日、パウロ殺害の計画が一部の過激派ユダヤ人の間に起こります。パウロは夜明けを持って再び最高法院に召喚され、そこで陰謀に陥るはずだったのですが、エルサレムに住んでいるパウロの甥っ子の働きと千人隊長の機転によって、最高法院には送られず直ちにカイザリヤに移送されることになるのです。パウロは、彼自身の力ではなく、外側から働く一連の出来事により、ただ恵みによって命を救われたのであります。それはまさしく「勇気を出せ」と励まして下さった主イエス様のお取り計らいによるものでありました。すべてにおいて主イエス様の恵みが働いていたのです。 わたしたちは毎週の礼拝の中でハイデルベルク信仰問答を問答しています。わたくしは、今朝の御言葉を読みました時、その第一問を思い出しましのです。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」、答「わたしがわたし自身のものでなく、身体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。」 「慰め」と訳されているドイツ語は、単に悲しみを軽くする、慰めるというだけでなく、「支える」とか「頼りになる」とも訳せる言葉です。 第一問の答えはそのあとも続きます。「主イエス様のものである。主イエス様のものになる」ということはどういうことかと説明します。それは十字架による罪の赦しにあずかること、生涯における神様の摂理による導きと守りを受け、そして聖霊による恵みをいただくと告白しています。つまり主イエス様が、「ご自身のもの、つまり所有物、家族、あるいは一つの体の一部として」わたしたちを扱ってくださるという恵みです。それは、今朝のパウロだけに与えられたことではありません。およそ主イエス様を信じ、洗礼を受け、教会につながった人すべてに与えられている恵みなのです。 2、 さて、パウロは千人隊長の保護のもと、兵営に監禁されていましたが、夜、主イエス様から「勇気を出せ」と励まされました。夜が明けた次の日に、ユダヤ人たちの間にパウロ暗殺の陰謀が計画されました。40人以上のユダヤ人たちが、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓ったと12節に記されています。旧約聖書の律法は、軽はずみな誤った誓いを禁じていますから、この人たちは、明らかに律法違反を犯しています。また今現在、パウロが最高法院において裁判にかけられているさなかであるにもかかわらず、その結果を待ちきれない、あるいはそれとは無関係に、とにかくパウロを殺害したいという熱心を抱いています。いわばユダヤ教の過激派、テロリスト、殺し屋です。当時のユダヤにはこのような過激派のグループがいくつも存在していたことが分かっています。その一つは、主イエス様の12弟子の中にもこのグループ出身の人がまじっていたことでも知られていますけれども、熱心党、ゼーロータイと呼ばれた人々です。ローマ帝国に妥協的な祭司長たちやファリサイ派に反対して、武力に訴えてでもユダヤ民族の独立を勝ち取りたいと運動していた人々で、彼らは度々反乱を起こしています。もう一つは、更に過激なグループでシカリ派とよばれていた人々です。シカリとは短剣と言う意味で、懐に短剣を隠し持っているグループと言うことでこう呼ばれました。いわば暗殺団です。 おそらく、パウロを暗殺しようとする40人は、このシカリ派に倣った人々であります。考えてみますと、パウロ自身も主イエス様に出会う前は、そのようなユダヤ教の過激派でありました。ユダヤ教の教義や伝統を破壊するキリスト教の一派、異端的な人々を牢に入れ、時には殺害する、そのために日夜、働いていました。40人以上の暗殺団、それは一人一人がかつてのパウロの姿であります。あるいはそれよりも更に過激な人々でありました。 「誓いを立てた」と訳されている元の言葉は、自らを呪うという言葉です。このことが成し遂げられないときには神に呪われても良い、そう神に誓ったのです。食べたり飲んだりしない、このような「もの絶ち」をすることは誓いの真剣さをあらわします。「殺すまでは」というのですけれども、いったい何日くらいの時間を考えていたのでしょうか。必ず殺す、とにかく早く、明日にでも殺したかったということでしょう。 彼らの計画は、最高法院の一部を巻き込んでローマの千人隊長をだまそうとするものです。最高法院における昨日の裁判では、議員たちは、パウロに同情的な人々を含むファリサイ派とそうではない祭司長たちサドカイ派とに分裂していました。暗殺団はサドカイ派の人々のところに行きました。そして、さらに詳しく調べるという口実でパウロを引き出してほしいと頼みました。その上で、「わたしたちは、彼がここに来る前に殺すつもりです」と殺害計画を打ち明けて祭司長に協力を求めました。もちろんこの計画は、千人隊長はもちろん、ファリサイ派にもわからないように進める必要がありました。しかし、あくまで暗殺団が犯行を行うので、最高法院には決して迷惑をかけないと説得したのだと思います。 3、 祭司長たちが、この計画に乗ったかどうかは記されていません。しかし、この計画は彼らが最高法院を訪れる前に、外部の人物に漏れてしまいました。16節に「この陰謀をパウロの姉妹の子が聞き込み」と書かれています。パウロは、キリキア州のタルソス生まれでしたが、そののちに家族でエルサレムに移り住んだことが22章2節に記されています。パウロの姉妹、彼女は姉か妹かはわかりませんが、その一家がエルサレムに住んでいても不思議ではありません。パウロ暗殺計画を知ったこの人物は17節18節19節20節、そして22節で、連続して「若者」と呼ばれています。若者という言葉は、青年とも訳されます。40歳までの若い男性で、大体24歳から40歳くらいまでの男性を示すそうです。たぶんこの甥っ子は、どんなに若くても10代の後半であったと思われます。 そんなに若いにもかかわらず彼は勇気を出して、パウロが保護されているローマ軍の兵営を訪ね、パウロに面会しました。パウロの姉妹の嫁ぎ先がどんな所であったのかはわかりませんが、ローマ軍に顔の利く立場であったのではないかと思います。パウロは、形の上では、兵営に囚われている囚人でしたが、ローマの市民権を持っています。それゆえ、外部の人との面会が自由であり、周囲の兵隊たちとも話ができるという良い待遇を受けていることがわかります。 暗殺団の陰謀を聞いたパウロは、このことを千人隊長に伝えて助けてもらおうとを考えました。まず百人隊長に、この若者、つまりパウロの甥っ子を千人隊長のところに連れて行って話を聞いてほしいと頼みます。百人隊長は、パウロの言う通りに若者を千人隊長のもとに連れて行きました。 千人隊長は若者を人のいないところに連れて行き、知らせたいことは何かと尋ねました。パウロの甥っ子はギリシャ語が話せたのでしょう。 「最高法院、つまり祭司長が明日パウロを連れてきてほしいと願うと思います。それを承諾しないでほしい。それは、パウロを暗殺する陰謀です。」こう語ります。暗殺団の計画は、早速明日にでも実行されることがここで初めて明らかになっています。 千人隊長は、このことをわたしに知らせたことは誰にも言うなと釘を刺し、早速行動を起こしました。明日の陰謀を切り抜けたとしても、なにしろ40人以上の刺客たちがパウロの命を狙っているのです。エルサレムにいては危険だと判断したのでしょう。直ちに、カイザリヤにいるローマ総督のもとにパウロを送ることにしました。 さて、使徒言行録では、12弟子のペトロやヨハネも投獄されていますが、たいていは主の天使や神の不思議な力によって助け出されます。パウロ自身も、使徒言行録16章ですが、フィリピで捕らえられた時、大地震が起き、鎖が外れ、牢の戸が次々と開くという奇跡を経験しています。ところが、この23章では神様は、不思議や奇跡ではなく、初めから終わりまで、徹底的に人を用いてパウロを助けようとなさっていることに注目したいと思います。 まずパウロの甥っ子は、ことが起きる前に暗殺団の計画を知ることが出来ました。彼は勇気を出してローマ軍のところに行き、これをパウロに伝えます。パウロの機転によって、この若者は千人隊長のところに送られます。そして直接、暗殺団の陰謀を伝え、千人隊長は直ちにパウロを助ける手はずを整えます。 これらのことは、ただ単に、若者にとってパウロが親戚だからと言う理由で、あるいは、ローマの百人隊長や千人隊長は、ローマの市民権を持つ者を保護することはローマ軍の義務だからという理由でなされたのです。確かに、それぞれの行動、出来事には、それなりの理由がありました。 しかし、考えてみると、これらの出来事が次々と連鎖して働くことは決して当たり前のことでも偶然でもないのです。わたしたちはパウロ自身がローマの信徒への手紙8章28節でこう記していることを知っています。 「神を愛するものたち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています。」 その根拠は、このみ言葉の前後にある8章27節と34節に記されています。神を信じるものに対して聖霊の神様が父なる神の御心に従って私たちのために執り成してくださると書かれています。それは同時に、天上の主イエス様の執り成しによるのです。 4、 陰謀を知った千人隊長は、その日のうちに大げさとも思えるほどの護衛をつけて、パウロをエルサレムから脱出させようとします。彼は百人隊長を二人よび、こう命じました。「今夜9時、カイザリヤへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」さらにパウロのために馬を用意するようにとも付け加えました。 カイザリヤには、ローマ総督の官邸がありました。千人隊長は、ローマ総督のもとにパウロを送りその処置を願い出ております。次の25節から30節には、千人隊長からローマ総督のフェリクスに宛てた手紙の文面が明らかにされています。これには突っ込みどころがいくつもありますが次回に扱いたいと思います。 パウロの護衛のために付けられた兵隊の数は合わせると四百七十名となります。じつに千人隊長の部下の半数近くのものを一緒に行かせます。このうち、騎兵七十名以外は、途中のアンティパトリスまで護衛し、直ちにエルサレムに帰らせます。エルサレムの警護がおろそかになってはならないためでしょう。騎兵はカイザリヤまで同行しています。千人隊長は、パウロが暗殺団40名のほかにも、多くのユダヤ人から憎まれており、命を狙われていると判断したので、ローマ市民権を持つパウロのために手厚い護送をつけたのでしょう。 暗殺団と共に、パウロをおびき出そうとした最高法院の一部の議員は、ユダヤの国の政治家たちです。一方で、彼らの陰謀を阻止し、パウロを助け出したのはユダヤの国を植民地としているローマ帝国の千人隊長であります。国家の権力が複雑に絡み合う中で、神はご自身の計画のためにお働きになられます。 パウロの持つローマの市民権は、ここでは神からの賜物として神のために用いられています。四百七十名の護衛もまた神の賜物です。パウロの甥っ子の勇気がパウロを助けました。神が、これらすべてのことを相働かせて益としてくださいました。パウロが主イエス。キリストの者とされているからです。 わたしたちは、それらすべての背後に父なる神、子なる神、聖霊の神の三位一体の神様の大いなる恵みがあることを知っています。 主イエス様は、勇気を出せとパウロを励ましてくださいました。同じお方、主イエス・キリストはわたしたちにも恵みと力をくださることを信じます。神は、万事が益となるよう共に働く、神が働いてくださる、このことを信じようではありませんか。祈ります。 祈り 神様、あなたは不思議や奇跡ではなく、多くの場合、普通に起こり来る様々なことを用いて私たちを守り助けて下さることを信じて感謝します。その背後に主イエス様の執り成しがあり、恵みが注がれていることを忘れることがないようにしてください。主の名によって祈ります。アーメン。
2026年5月31日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録23章12節~22節 「命を救われたパウロ」
1.
今朝、この礼拝にお集まりのお一人お一人の上に主イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります、アーメン。
先ほどは、使徒言行録23章のちょうど中ほどにある12節から22節のみ言葉をご一緒に聴きました。
先週はペンテコステ礼拝のため使徒言行録を離れましたので、これまでのところを少し振り返ってみたいと思います。初代教会の指導者、また世界伝道の立役者であります使徒パウロは、三度の伝道旅行を終えてユダヤの都エルサレムに帰ってきました。異邦人宣教の報告をすること、異邦人教会からの献金を届けることが目的でした。ところが、パウロを憎んでいたユダヤ人たちにエルサレム神殿の中で見つけられてしまい、彼らから乱暴され、命を狙われることになりました。神殿の中がパウロを巡って混乱状態になりましたので、エルサレムの治安を守るローマ軍によってパウロは保護されました。ローマの千人隊長は、パウロがローマの市民権を持っていることを知るや否や態度を豹変させます。パウロを鞭で打つことを中止しただけでなく、五旬祭の祭りのために神殿に詣でていたユダヤ人たちに対する弁明の機会さえ与えてくれたのです。
しかし、パウロの弁明を巡って再び混乱が生じましたためにパウロは再び保護され、今後の彼の処遇はユダヤの律法評議会、最高法院にゆだねられたのでした。この後パウロは、主イエス様が最高評議会で死刑判決を受け、次にユダヤの王であるヘロデ、そしてローマ総督ポンテオピラトのもとへと送られたように、次々と裁判にかけられることになるはずでした。
今朝の御言葉の前の日に行われた最初の法廷では、パウロ自身が火を点けた主イエス様の復活と一般的な死者の復活の議論から大混乱に陥り、判決が出せないまま終わりました。パウロは再びローマ軍に保護されました。そしてその夜に、パウロは復活の主イエス様が来て下さるという素晴らしい恵みを体験したのです。
主イエス様は、パウロを励ましてくださり、更に「あなたはローマでも福音を証ししなければならない」と言うローマ伝道の使命をも与えてくださいました。今朝の御言葉の直前11節に記されている主イエス様の御言葉をお読みします。「勇気を出せ。エルサレムでもわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」。
さて、先ほど、このあとパウロは主イエス様が十字架に架けられた時のように次々に裁判に架けられると言いました。けれども主イエス様とパウロとの間には決定的な違いがあります。それはパウロがローマ市民権を持っていることです。そのためパウロはローマ軍から丁重に扱われており、最後にはローマ皇帝への上訴へと進んで行くのです。つまりパウロは命を救われたばかりでなく、彼自身の思いを越えた形でローマ行きが実現する運びとなるのでした。
今朝の御言葉は、その一部始終を語っています。この日、パウロ殺害の計画が一部の過激派ユダヤ人の間に起こります。パウロは夜明けを持って再び最高法院に召喚され、そこで陰謀に陥るはずだったのですが、エルサレムに住んでいるパウロの甥っ子の働きと千人隊長の機転によって、最高法院には送られず直ちにカイザリヤに移送されることになるのです。パウロは、彼自身の力ではなく、外側から働く一連の出来事により、ただ恵みによって命を救われたのであります。それはまさしく「勇気を出せ」と励まして下さった主イエス様のお取り計らいによるものでありました。すべてにおいて主イエス様の恵みが働いていたのです。
わたしたちは毎週の礼拝の中でハイデルベルク信仰問答を問答しています。わたくしは、今朝の御言葉を読みました時、その第一問を思い出しましのです。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」、答「わたしがわたし自身のものでなく、身体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。」
「慰め」と訳されているドイツ語は、単に悲しみを軽くする、慰めるというだけでなく、「支える」とか「頼りになる」とも訳せる言葉です。
第一問の答えはそのあとも続きます。「主イエス様のものである。主イエス様のものになる」ということはどういうことかと説明します。それは十字架による罪の赦しにあずかること、生涯における神様の摂理による導きと守りを受け、そして聖霊による恵みをいただくと告白しています。つまり主イエス様が、「ご自身のもの、つまり所有物、家族、あるいは一つの体の一部として」わたしたちを扱ってくださるという恵みです。それは、今朝のパウロだけに与えられたことではありません。およそ主イエス様を信じ、洗礼を受け、教会につながった人すべてに与えられている恵みなのです。
2、
さて、パウロは千人隊長の保護のもと、兵営に監禁されていましたが、夜、主イエス様から「勇気を出せ」と励まされました。夜が明けた次の日に、ユダヤ人たちの間にパウロ暗殺の陰謀が計画されました。40人以上のユダヤ人たちが、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓ったと12節に記されています。旧約聖書の律法は、軽はずみな誤った誓いを禁じていますから、この人たちは、明らかに律法違反を犯しています。また今現在、パウロが最高法院において裁判にかけられているさなかであるにもかかわらず、その結果を待ちきれない、あるいはそれとは無関係に、とにかくパウロを殺害したいという熱心を抱いています。いわばユダヤ教の過激派、テロリスト、殺し屋です。当時のユダヤにはこのような過激派のグループがいくつも存在していたことが分かっています。その一つは、主イエス様の12弟子の中にもこのグループ出身の人がまじっていたことでも知られていますけれども、熱心党、ゼーロータイと呼ばれた人々です。ローマ帝国に妥協的な祭司長たちやファリサイ派に反対して、武力に訴えてでもユダヤ民族の独立を勝ち取りたいと運動していた人々で、彼らは度々反乱を起こしています。もう一つは、更に過激なグループでシカリ派とよばれていた人々です。シカリとは短剣と言う意味で、懐に短剣を隠し持っているグループと言うことでこう呼ばれました。いわば暗殺団です。
おそらく、パウロを暗殺しようとする40人は、このシカリ派に倣った人々であります。考えてみますと、パウロ自身も主イエス様に出会う前は、そのようなユダヤ教の過激派でありました。ユダヤ教の教義や伝統を破壊するキリスト教の一派、異端的な人々を牢に入れ、時には殺害する、そのために日夜、働いていました。40人以上の暗殺団、それは一人一人がかつてのパウロの姿であります。あるいはそれよりも更に過激な人々でありました。
「誓いを立てた」と訳されている元の言葉は、自らを呪うという言葉です。このことが成し遂げられないときには神に呪われても良い、そう神に誓ったのです。食べたり飲んだりしない、このような「もの絶ち」をすることは誓いの真剣さをあらわします。「殺すまでは」というのですけれども、いったい何日くらいの時間を考えていたのでしょうか。必ず殺す、とにかく早く、明日にでも殺したかったということでしょう。
彼らの計画は、最高法院の一部を巻き込んでローマの千人隊長をだまそうとするものです。最高法院における昨日の裁判では、議員たちは、パウロに同情的な人々を含むファリサイ派とそうではない祭司長たちサドカイ派とに分裂していました。暗殺団はサドカイ派の人々のところに行きました。そして、さらに詳しく調べるという口実でパウロを引き出してほしいと頼みました。その上で、「わたしたちは、彼がここに来る前に殺すつもりです」と殺害計画を打ち明けて祭司長に協力を求めました。もちろんこの計画は、千人隊長はもちろん、ファリサイ派にもわからないように進める必要がありました。しかし、あくまで暗殺団が犯行を行うので、最高法院には決して迷惑をかけないと説得したのだと思います。
3、
祭司長たちが、この計画に乗ったかどうかは記されていません。しかし、この計画は彼らが最高法院を訪れる前に、外部の人物に漏れてしまいました。16節に「この陰謀をパウロの姉妹の子が聞き込み」と書かれています。パウロは、キリキア州のタルソス生まれでしたが、そののちに家族でエルサレムに移り住んだことが22章2節に記されています。パウロの姉妹、彼女は姉か妹かはわかりませんが、その一家がエルサレムに住んでいても不思議ではありません。パウロ暗殺計画を知ったこの人物は17節18節19節20節、そして22節で、連続して「若者」と呼ばれています。若者という言葉は、青年とも訳されます。40歳までの若い男性で、大体24歳から40歳くらいまでの男性を示すそうです。たぶんこの甥っ子は、どんなに若くても10代の後半であったと思われます。
そんなに若いにもかかわらず彼は勇気を出して、パウロが保護されているローマ軍の兵営を訪ね、パウロに面会しました。パウロの姉妹の嫁ぎ先がどんな所であったのかはわかりませんが、ローマ軍に顔の利く立場であったのではないかと思います。パウロは、形の上では、兵営に囚われている囚人でしたが、ローマの市民権を持っています。それゆえ、外部の人との面会が自由であり、周囲の兵隊たちとも話ができるという良い待遇を受けていることがわかります。
暗殺団の陰謀を聞いたパウロは、このことを千人隊長に伝えて助けてもらおうとを考えました。まず百人隊長に、この若者、つまりパウロの甥っ子を千人隊長のところに連れて行って話を聞いてほしいと頼みます。百人隊長は、パウロの言う通りに若者を千人隊長のもとに連れて行きました。
千人隊長は若者を人のいないところに連れて行き、知らせたいことは何かと尋ねました。パウロの甥っ子はギリシャ語が話せたのでしょう。
「最高法院、つまり祭司長が明日パウロを連れてきてほしいと願うと思います。それを承諾しないでほしい。それは、パウロを暗殺する陰謀です。」こう語ります。暗殺団の計画は、早速明日にでも実行されることがここで初めて明らかになっています。
千人隊長は、このことをわたしに知らせたことは誰にも言うなと釘を刺し、早速行動を起こしました。明日の陰謀を切り抜けたとしても、なにしろ40人以上の刺客たちがパウロの命を狙っているのです。エルサレムにいては危険だと判断したのでしょう。直ちに、カイザリヤにいるローマ総督のもとにパウロを送ることにしました。
さて、使徒言行録では、12弟子のペトロやヨハネも投獄されていますが、たいていは主の天使や神の不思議な力によって助け出されます。パウロ自身も、使徒言行録16章ですが、フィリピで捕らえられた時、大地震が起き、鎖が外れ、牢の戸が次々と開くという奇跡を経験しています。ところが、この23章では神様は、不思議や奇跡ではなく、初めから終わりまで、徹底的に人を用いてパウロを助けようとなさっていることに注目したいと思います。
まずパウロの甥っ子は、ことが起きる前に暗殺団の計画を知ることが出来ました。彼は勇気を出してローマ軍のところに行き、これをパウロに伝えます。パウロの機転によって、この若者は千人隊長のところに送られます。そして直接、暗殺団の陰謀を伝え、千人隊長は直ちにパウロを助ける手はずを整えます。
これらのことは、ただ単に、若者にとってパウロが親戚だからと言う理由で、あるいは、ローマの百人隊長や千人隊長は、ローマの市民権を持つ者を保護することはローマ軍の義務だからという理由でなされたのです。確かに、それぞれの行動、出来事には、それなりの理由がありました。
しかし、考えてみると、これらの出来事が次々と連鎖して働くことは決して当たり前のことでも偶然でもないのです。わたしたちはパウロ自身がローマの信徒への手紙8章28節でこう記していることを知っています。
「神を愛するものたち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています。」
その根拠は、このみ言葉の前後にある8章27節と34節に記されています。神を信じるものに対して聖霊の神様が父なる神の御心に従って私たちのために執り成してくださると書かれています。それは同時に、天上の主イエス様の執り成しによるのです。
4、
陰謀を知った千人隊長は、その日のうちに大げさとも思えるほどの護衛をつけて、パウロをエルサレムから脱出させようとします。彼は百人隊長を二人よび、こう命じました。「今夜9時、カイザリヤへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」さらにパウロのために馬を用意するようにとも付け加えました。
カイザリヤには、ローマ総督の官邸がありました。千人隊長は、ローマ総督のもとにパウロを送りその処置を願い出ております。次の25節から30節には、千人隊長からローマ総督のフェリクスに宛てた手紙の文面が明らかにされています。これには突っ込みどころがいくつもありますが次回に扱いたいと思います。
パウロの護衛のために付けられた兵隊の数は合わせると四百七十名となります。じつに千人隊長の部下の半数近くのものを一緒に行かせます。このうち、騎兵七十名以外は、途中のアンティパトリスまで護衛し、直ちにエルサレムに帰らせます。エルサレムの警護がおろそかになってはならないためでしょう。騎兵はカイザリヤまで同行しています。千人隊長は、パウロが暗殺団40名のほかにも、多くのユダヤ人から憎まれており、命を狙われていると判断したので、ローマ市民権を持つパウロのために手厚い護送をつけたのでしょう。
暗殺団と共に、パウロをおびき出そうとした最高法院の一部の議員は、ユダヤの国の政治家たちです。一方で、彼らの陰謀を阻止し、パウロを助け出したのはユダヤの国を植民地としているローマ帝国の千人隊長であります。国家の権力が複雑に絡み合う中で、神はご自身の計画のためにお働きになられます。
パウロの持つローマの市民権は、ここでは神からの賜物として神のために用いられています。四百七十名の護衛もまた神の賜物です。パウロの甥っ子の勇気がパウロを助けました。神が、これらすべてのことを相働かせて益としてくださいました。パウロが主イエス。キリストの者とされているからです。
わたしたちは、それらすべての背後に父なる神、子なる神、聖霊の神の三位一体の神様の大いなる恵みがあることを知っています。
主イエス様は、勇気を出せとパウロを励ましてくださいました。同じお方、主イエス・キリストはわたしたちにも恵みと力をくださることを信じます。神は、万事が益となるよう共に働く、神が働いてくださる、このことを信じようではありませんか。祈ります。
祈り
神様、あなたは不思議や奇跡ではなく、多くの場合、普通に起こり来る様々なことを用いて私たちを守り助けて下さることを信じて感謝します。その背後に主イエス様の執り成しがあり、恵みが注がれていることを忘れることがないようにしてください。主の名によって祈ります。アーメン。