聖書の言葉 使徒言行録 21章27節~36節 メッセージ 2026年4月12日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録21章27節~36節「神殿で保護されたパウロ」 1、 この場所におられる方々、また画面を見ておられる方々、すべての方々の上に、父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 先ほどご一緒に聞きました使徒言行録21章後半の御言葉は、当時のユダヤ教の総本山であるエルサレム神殿の中で使徒パウロが神殿にいる大勢のユダヤ人の群衆から暴行を受け殺されそうになったことが記されています。このエルサレム神殿での騒動、混乱を見たローマの千人隊長がパウロを保護いたしました。新共同訳聖書は、「パウロ、神殿の境内で逮捕される」と小見出しをつけていますが、このとき千人隊長はパウロが一体だれで、どんなことをしたのか全く分からなかったのです。とにかく、騒動の原因となっている人だと言うことで捕らえて群衆から引き離したので、逮捕というより保護がふさわしいと思いまして、説教題は神殿で保護されたパウロといたしました。同じユダヤ教の神を信じるユダヤ人と使徒パウロとの間に起きている対立、ここにも感情的な対立があったと言うことが出来ると思います。使徒言行録の時代のキリスト教会とユダヤ教の対立は、大きく見れば同じユダヤ教の中から起きていたものと言えます。一方は、この人間はユダヤ人の律法を学んだ人物であるのに、ユダヤ人の伝統、旧約聖書の律法、そしてエルサレム神殿を無視するよう教えていると非難します。パウロの方は、そんなことはない、むしろ聖書が教えていている最終的な救い主メシアが現れたと主張します。待ったく噛み合わないのです。 ユダヤの民にとって神殿は、律法つまり旧約聖書と並んで大切な役割を果たします。荒れ野の幕屋の時代に起源を持ち、ダビデ、ソロモンによる神殿建築、そのような歴史を経て与えられたエルサレム神殿こそ、神様が民と会見して下さる場所でした。バビロンに捕囚されていた民の悲しみは、単に異教の地に捕らえられている悲しみだけではなかったのです。最も深い悲しみは、神の臨在の場所であった神殿が破壊されてしまったことです。また自分たちの国が無くなってしまったという悲しみでした。やがてエズラ記やネヘミヤ記の時代になり、神殿は再建されました。けれども神の民イスラエルは引き続き大国の支配におかれ、その独立は果たされませんでした。 28節をお読みします。パウロを捕らえたユダヤ人は、こう叫んでいます。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところで誰にでも教えている。」この男、つまりパウロは、ユダヤ民族と律法と神殿を無視することを教えていると叫んだのです。ユダヤの民にとって神殿は目に見える民族の砦であり、モーセ律法に基づく儀式と生活がそれを支えていました。 エルサレムに住んでいるユダヤ人ではなく、アジア州から来たユダヤ人たちがこのように叫んでパウロを捕らえたと書かれています。エルサレムは、今、五旬祭という祭りの中にあり、離散しているユダヤ人たちが各地から巡礼のためにやってきているのです。 アジア州から来たユダヤ人とは、おそらくアジア州の首都であるエフェソの町でパウロと対立していた人々でしょう。パウロを襲うためではなく、五旬祭のためにやって来たエルサレム神殿でパウロを発見したのです。 今朝の週報にエルサレム神殿の地図を挟み込んでおきました。エルサレム神殿は、南北500メートル、東西300メートルの広さがあります。都会の小学校の少し小さめの校庭くらいの広さでしょうか。その敷地全体は城壁で取り囲まれていて、その中に、いわば本殿にあたる聖所と至聖所があり、その前には動物犠牲を捧げる祭壇が築かれていました。この場所は、ユダヤ人以外は入ることのできない特別の敷地の中で、14段、もしくは12段の階段と石造りの垣根によって囲まれたテラスのようなところでした。いわば奥の院といったところでしょうか。 石造りの垣根には、いくつもの石碑が置かれていて、こう書かれていたそうです。「異邦人は、神殿の周りの柵の内側に入ってはならない。ここで逮捕されるものは、その結果についての責任、すなわち死罪を自ら追うことになる」。 このような決まり事は、ユダヤ教とエルサレム神殿の最高責任者である大祭司がユダの王とローマ総督の許可を得て定めたものです。ユダヤ人にとっては自分たちの民族の権利がそこで保護されているという意味で大切なものでした。 柵の外側は「異邦人の庭」と呼ばれ、そこには誰でもが入ることが出来ました。主イエス様が、神殿で両替やいけにえの動物を売る商人たちを荒縄で追い出して「宮清め」をされたのは、この異邦人の庭です。しかし、その中にある「婦人の庭」から先の、いわば奥の院に異邦人が入ることは許されず、それは宮を汚す行為とされました。 27節には、清めの儀式のための7日間が終わろうとしていたときと書かれていますから、このときパウロたちは、異邦人の庭ではなく、ユダヤ人だけが入ることを許されている、さらに奥の場所にいたのではないかと思われます。 2、 アジア州から来たユダヤ人たちは、エフェソの町で三年間伝道したパウロのことを良く知っています。パウロは、二つのことで告発されています。パウロのエフェソ伝道は、使徒言行録19章10節にこう書かれている通りでした。「このようなことが二年も続いたので、アジア州に住むものはユダヤ人であれ、ギリシャ人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」 エフェソでも他の町と同じようにパウロが語る主イエス様の福音を聞き、信じて救われたものが起こされました。それと同時に、信じないもの、反発するものも多くいました。あるギリシャ人たちはエフェソの守り神であるアルテミスの女神の威光を損なう教えだと警戒し、ユダヤ人たちは、民族の伝統を破壊するものだと非難したのです。 ユダヤ教はユダヤ民族の宗教であり、ユダヤ民族のプライドと深く結びついています。パウロに対する告発の第一は、ユダヤ人が大切にしているモーセ律法と神殿を無視することを教えているというものです。それはパウロにとっては不当な言いがかりでした。なぜならば、主イエス・キリストの福音は、旧約聖書の預言とモーセ律法約束の成就、実現だからです。ユダヤ民族から出たものですが、しかし民族を超えるもっと大きな救いの教えです。 私たちも日本の国とそこで伝道している教会のことを考えないわけにはゆきません。明治維新のリーダーたちは、欧米の進んだ姿を見て衝撃を受け、欧米に学ぼうとしました。お雇い外国人とよばれた人の中には、多くの宣教師がいましたが、彼らは政府からも民衆からも歓迎されました。しかし明治の半ば頃から、キリスト教は、日本民族の伝統を破壊するものだと非難されるようになります。神社神道と天皇を民族の拠り所としようとした人々にとって、キリスト教は敵となります。内村鑑三は、天皇の御真影を軽んじたとして攻撃されました。現代の私たちもまた、日本人であることに変わりないのにもかかわらず、神社を拝礼しない、日本の伝統を軽んじるといって今に至るまで冷たい目で見られているところがあります。 わたくしが、教会に通い出しましたのは25歳のときでした。わたくしの家は、キリスト教ではありませんでした、そうかと言って特別な宗教を報じているわけでもありませんでした。わたしは学校を卒業して化学の会社に就職し独身寮に入っていました。母親との電話の中で、このごろキリスト教の教会に通っていると言ったところ、それはいいことだ、自分もミッション系の女学校を卒業したと返事がありました。しかし、そのあとでこう付け加えられました。「教会に行くのはいいけれど、深入りするんじゃないよ」 キリスト教を受け入れるということによって、なにか日本人の生活から遠く離れてしまうのではないか恐れたのだと思います。そんな母でしたが、やがて私が神学校に入る時にはそれを認めてくれ、体が弱って同居し始めてからは、一緒に教会に通うようになり、洗礼を受けることは出来ませんでしたが、教会でわたくしが司式をして葬儀を致しました。 キリスト教の信仰は、大和民族、日本民族と言う民族を超えて人類全体を救う福音です。日本だけが素晴らしいというような、狭い民族主義とは相容れないものです。しかし、同時に日本人や日本の伝統それ自体を敵視するものでは決してありません。何よりも私たち自身が否応なしに日本人であり、その伝統の中で生まれ、また生活しているからです。わたしたち日本人キリスト者は、福音それ自体をゆがめてしまうものでない限り、民族の伝統を受け入れ、大切にしないわけにはゆきません。自分を愛するように隣人を愛しなさいと言う主イエス様の教えからも、そうだと思います。 欧米には欧米の文化があり、韓国や中国にも独自の文化があります。言葉があり、料理があり、伝統衣装や生活の習慣があります。イエス様を信じたからといって、それらを捨て去らなければならないということは全くありません。 3、 パウロが告発された第二のことは、神殿の中にギリシャ人を連れ込んだというものです。これは全くの思い違いであったことが29節に明らかにされています。パウロと共にエルサレム教会を訪ねた異邦人教会の代表者の中に、アジア州出身のトロフィモとティキコがいたことは確かです。それは20章4節に記されています。そのアジア州から来たユダヤ人たちは、エルサレム市内でかねて知っているトロフィモを見たので、神殿の中にもパウロが彼を連れて入ったと誤解したのです。もしそれが本当であるなら、神殿を汚すとされる行為でした。また何よりも、ユダヤ人が民族の誇りにかけて勝ち取った権利をないがしろにすることとして赦すことが出来なかったのです それで都全体が大騒ぎになったと30節に書かれています。パウロたちは、境内の中の奥の院から異邦人の庭へと引きずり出されました。騒ぎは神殿全体にひろがってゆきました。門がすべて閉じられたと書かれているのは、異邦人の庭とその内側とを隔てている垣根にあるいくつかの門のことだと思われます。 アジア州のユダヤ人たちのパウロを告発する叫びは、エルサレム神殿に来ていた多くのユダヤ人を引きつけました。そんなことを許してはいけないという大合唱が起こったのです。 週報に挟み込みました地図を後で見ていただきたいと思います。異邦人の庭を囲んでいる城壁の北側の左、北東の場所にアントニオ要塞があります。これはエルサレムのユダヤ人を監視するために遣わされているローマ軍の兵営、駐屯地です。アントニオ城とも呼ばれます。その中に監視塔があって、そこからは神殿だけでなくエルサレム市内を展望することが出来ました。千人隊と呼ばれる一個の部隊がエルサレムには駐屯し、その総責任者は千人隊長です。この時の千人隊長は、クラウディウス・リシアという人であることが23章26節の「千人隊長からローマ総督に宛てた手紙」によってわかります。彼は生まれながらのローマ市民ではなく、他民族出身のローマ軍人でした。 監視塔の情報と神殿からの報告により、エルサレム神殿で民衆全体を巻き込むような騒ぎが開起きたことが千人隊長に知らされました。時は五旬祭です。特別に警戒を要する祭りの時でしたから、彼は敏感になっていて、直ちに兵士たちを伴って神殿に駆け付けました。人々はパウロを取り囲み、殺そうとして殴りかかかっています。それを見て、騒ぎを収めるべく、まずパウロを逮捕しました。二本の鎖で縛ったというのは、12章6節に使徒ペトロが投獄された時と同じように、二人の兵士によって鎖につながれていることを示しています。 千人隊長は、パウロを兵営に連れて行って保護すると共に、真相をつかむことを命じました。このとき、ユダヤ人たちがなおもパウロを攻撃するので、兵士たちはパウロを持ち上げて階段を上らなければならなかったと書かれています。 人々は叫びました。「その男を殺してしまえ」。このことは、主イエス様が捕らえられ、裁判にかけられた時に、エルサレムのユダヤ人たちが「殺せ、殺せ」と叫んだことを思い起こさせます。このときパウロは、神様の恵みによって殺されませんでした。しかし、かつてエルサレムに向かっているときに、ユダヤから来た預言者アガボの預言が実現しました。アガボは、パウロの帯で自分男手足を縛って、この帯の持ち主はエルサレムでこのようにされると預言しました。彼の預言は足をも縛られるというものでしたが、パウロは兵営の階段のところまでは自分で歩いて行ったようですから、預言は半分実現したとも言えるでしょう。 4、 今朝のみ言葉においては、パウロは全く孤独です。パウロに味方するものは誰もおらず、エルサレムの教会員たちの姿は見えません。 事件を引き起こしたのは、アジア州でパウロたちからキリストの福音を聞いたけれども、それを拒否した巡礼のユダヤ人たちです。そして彼らに扇動された人々、狭い民族主義に凝り固まったユダヤ人たちが一つになってパウロを苦しめています。しかし殺されそうになったパウロは、ローマ帝国の千人隊長によって助けられました。これこそ、パウロを遣わした神の御配慮でありました。ここでは神ご自身がパウロの味方でありました。 このあと、パウロは何をしたのでしょうか。パウロは、千人隊長の赦しを得て、自分を殺そうとしている同胞たちに向かって、自分の回心を証しすることになります。 普通ならば、一刻も早くこのユダヤ人たちから逃げたいと思うはずです。しかし、そうはしなかったのです。ユダヤ人たちに向かって、一生懸命に語りました。熱心なユダヤ教徒だった自分が、ダマスコの途上で天からの声を聞いたこと、その声の主は復活されたイエス・キリストであったこと、そしてその復活のイエス・キリストが、自分を召しだして、遠く異邦人のために遣わすと言われたことを熱心に語ったのです。 パウロは、主イエス様の救いを受けましたけれども、決してユダヤ人でなくなったわけではありません。むしろ同胞であるユダヤ人を愛し、この人たちにイエス様を伝えようとしています。 私たち日本人のクリスチャンもまた日本人でなくなったのではないと思います。日本人であるからこそ、日本にイエス・キリストの福音を伝えたいと願っているのです。日本語を話し、日本の歴史と伝統を愛しながら、愛する日本人を日本人のまま、イエス・キリストのものにしたいと願っているのです。 祈りを致します。
2026年4月12日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録21章27節~36節「神殿で保護されたパウロ」
1、
この場所におられる方々、また画面を見ておられる方々、すべての方々の上に、父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
先ほどご一緒に聞きました使徒言行録21章後半の御言葉は、当時のユダヤ教の総本山であるエルサレム神殿の中で使徒パウロが神殿にいる大勢のユダヤ人の群衆から暴行を受け殺されそうになったことが記されています。このエルサレム神殿での騒動、混乱を見たローマの千人隊長がパウロを保護いたしました。新共同訳聖書は、「パウロ、神殿の境内で逮捕される」と小見出しをつけていますが、このとき千人隊長はパウロが一体だれで、どんなことをしたのか全く分からなかったのです。とにかく、騒動の原因となっている人だと言うことで捕らえて群衆から引き離したので、逮捕というより保護がふさわしいと思いまして、説教題は神殿で保護されたパウロといたしました。同じユダヤ教の神を信じるユダヤ人と使徒パウロとの間に起きている対立、ここにも感情的な対立があったと言うことが出来ると思います。使徒言行録の時代のキリスト教会とユダヤ教の対立は、大きく見れば同じユダヤ教の中から起きていたものと言えます。一方は、この人間はユダヤ人の律法を学んだ人物であるのに、ユダヤ人の伝統、旧約聖書の律法、そしてエルサレム神殿を無視するよう教えていると非難します。パウロの方は、そんなことはない、むしろ聖書が教えていている最終的な救い主メシアが現れたと主張します。待ったく噛み合わないのです。
ユダヤの民にとって神殿は、律法つまり旧約聖書と並んで大切な役割を果たします。荒れ野の幕屋の時代に起源を持ち、ダビデ、ソロモンによる神殿建築、そのような歴史を経て与えられたエルサレム神殿こそ、神様が民と会見して下さる場所でした。バビロンに捕囚されていた民の悲しみは、単に異教の地に捕らえられている悲しみだけではなかったのです。最も深い悲しみは、神の臨在の場所であった神殿が破壊されてしまったことです。また自分たちの国が無くなってしまったという悲しみでした。やがてエズラ記やネヘミヤ記の時代になり、神殿は再建されました。けれども神の民イスラエルは引き続き大国の支配におかれ、その独立は果たされませんでした。
28節をお読みします。パウロを捕らえたユダヤ人は、こう叫んでいます。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところで誰にでも教えている。」この男、つまりパウロは、ユダヤ民族と律法と神殿を無視することを教えていると叫んだのです。ユダヤの民にとって神殿は目に見える民族の砦であり、モーセ律法に基づく儀式と生活がそれを支えていました。
エルサレムに住んでいるユダヤ人ではなく、アジア州から来たユダヤ人たちがこのように叫んでパウロを捕らえたと書かれています。エルサレムは、今、五旬祭という祭りの中にあり、離散しているユダヤ人たちが各地から巡礼のためにやってきているのです。
アジア州から来たユダヤ人とは、おそらくアジア州の首都であるエフェソの町でパウロと対立していた人々でしょう。パウロを襲うためではなく、五旬祭のためにやって来たエルサレム神殿でパウロを発見したのです。
今朝の週報にエルサレム神殿の地図を挟み込んでおきました。エルサレム神殿は、南北500メートル、東西300メートルの広さがあります。都会の小学校の少し小さめの校庭くらいの広さでしょうか。その敷地全体は城壁で取り囲まれていて、その中に、いわば本殿にあたる聖所と至聖所があり、その前には動物犠牲を捧げる祭壇が築かれていました。この場所は、ユダヤ人以外は入ることのできない特別の敷地の中で、14段、もしくは12段の階段と石造りの垣根によって囲まれたテラスのようなところでした。いわば奥の院といったところでしょうか。
石造りの垣根には、いくつもの石碑が置かれていて、こう書かれていたそうです。「異邦人は、神殿の周りの柵の内側に入ってはならない。ここで逮捕されるものは、その結果についての責任、すなわち死罪を自ら追うことになる」。
このような決まり事は、ユダヤ教とエルサレム神殿の最高責任者である大祭司がユダの王とローマ総督の許可を得て定めたものです。ユダヤ人にとっては自分たちの民族の権利がそこで保護されているという意味で大切なものでした。
柵の外側は「異邦人の庭」と呼ばれ、そこには誰でもが入ることが出来ました。主イエス様が、神殿で両替やいけにえの動物を売る商人たちを荒縄で追い出して「宮清め」をされたのは、この異邦人の庭です。しかし、その中にある「婦人の庭」から先の、いわば奥の院に異邦人が入ることは許されず、それは宮を汚す行為とされました。
27節には、清めの儀式のための7日間が終わろうとしていたときと書かれていますから、このときパウロたちは、異邦人の庭ではなく、ユダヤ人だけが入ることを許されている、さらに奥の場所にいたのではないかと思われます。
2、
アジア州から来たユダヤ人たちは、エフェソの町で三年間伝道したパウロのことを良く知っています。パウロは、二つのことで告発されています。パウロのエフェソ伝道は、使徒言行録19章10節にこう書かれている通りでした。「このようなことが二年も続いたので、アジア州に住むものはユダヤ人であれ、ギリシャ人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」
エフェソでも他の町と同じようにパウロが語る主イエス様の福音を聞き、信じて救われたものが起こされました。それと同時に、信じないもの、反発するものも多くいました。あるギリシャ人たちはエフェソの守り神であるアルテミスの女神の威光を損なう教えだと警戒し、ユダヤ人たちは、民族の伝統を破壊するものだと非難したのです。
ユダヤ教はユダヤ民族の宗教であり、ユダヤ民族のプライドと深く結びついています。パウロに対する告発の第一は、ユダヤ人が大切にしているモーセ律法と神殿を無視することを教えているというものです。それはパウロにとっては不当な言いがかりでした。なぜならば、主イエス・キリストの福音は、旧約聖書の預言とモーセ律法約束の成就、実現だからです。ユダヤ民族から出たものですが、しかし民族を超えるもっと大きな救いの教えです。
私たちも日本の国とそこで伝道している教会のことを考えないわけにはゆきません。明治維新のリーダーたちは、欧米の進んだ姿を見て衝撃を受け、欧米に学ぼうとしました。お雇い外国人とよばれた人の中には、多くの宣教師がいましたが、彼らは政府からも民衆からも歓迎されました。しかし明治の半ば頃から、キリスト教は、日本民族の伝統を破壊するものだと非難されるようになります。神社神道と天皇を民族の拠り所としようとした人々にとって、キリスト教は敵となります。内村鑑三は、天皇の御真影を軽んじたとして攻撃されました。現代の私たちもまた、日本人であることに変わりないのにもかかわらず、神社を拝礼しない、日本の伝統を軽んじるといって今に至るまで冷たい目で見られているところがあります。
わたくしが、教会に通い出しましたのは25歳のときでした。わたくしの家は、キリスト教ではありませんでした、そうかと言って特別な宗教を報じているわけでもありませんでした。わたしは学校を卒業して化学の会社に就職し独身寮に入っていました。母親との電話の中で、このごろキリスト教の教会に通っていると言ったところ、それはいいことだ、自分もミッション系の女学校を卒業したと返事がありました。しかし、そのあとでこう付け加えられました。「教会に行くのはいいけれど、深入りするんじゃないよ」
キリスト教を受け入れるということによって、なにか日本人の生活から遠く離れてしまうのではないか恐れたのだと思います。そんな母でしたが、やがて私が神学校に入る時にはそれを認めてくれ、体が弱って同居し始めてからは、一緒に教会に通うようになり、洗礼を受けることは出来ませんでしたが、教会でわたくしが司式をして葬儀を致しました。
キリスト教の信仰は、大和民族、日本民族と言う民族を超えて人類全体を救う福音です。日本だけが素晴らしいというような、狭い民族主義とは相容れないものです。しかし、同時に日本人や日本の伝統それ自体を敵視するものでは決してありません。何よりも私たち自身が否応なしに日本人であり、その伝統の中で生まれ、また生活しているからです。わたしたち日本人キリスト者は、福音それ自体をゆがめてしまうものでない限り、民族の伝統を受け入れ、大切にしないわけにはゆきません。自分を愛するように隣人を愛しなさいと言う主イエス様の教えからも、そうだと思います。
欧米には欧米の文化があり、韓国や中国にも独自の文化があります。言葉があり、料理があり、伝統衣装や生活の習慣があります。イエス様を信じたからといって、それらを捨て去らなければならないということは全くありません。
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パウロが告発された第二のことは、神殿の中にギリシャ人を連れ込んだというものです。これは全くの思い違いであったことが29節に明らかにされています。パウロと共にエルサレム教会を訪ねた異邦人教会の代表者の中に、アジア州出身のトロフィモとティキコがいたことは確かです。それは20章4節に記されています。そのアジア州から来たユダヤ人たちは、エルサレム市内でかねて知っているトロフィモを見たので、神殿の中にもパウロが彼を連れて入ったと誤解したのです。もしそれが本当であるなら、神殿を汚すとされる行為でした。また何よりも、ユダヤ人が民族の誇りにかけて勝ち取った権利をないがしろにすることとして赦すことが出来なかったのです
それで都全体が大騒ぎになったと30節に書かれています。パウロたちは、境内の中の奥の院から異邦人の庭へと引きずり出されました。騒ぎは神殿全体にひろがってゆきました。門がすべて閉じられたと書かれているのは、異邦人の庭とその内側とを隔てている垣根にあるいくつかの門のことだと思われます。
アジア州のユダヤ人たちのパウロを告発する叫びは、エルサレム神殿に来ていた多くのユダヤ人を引きつけました。そんなことを許してはいけないという大合唱が起こったのです。
週報に挟み込みました地図を後で見ていただきたいと思います。異邦人の庭を囲んでいる城壁の北側の左、北東の場所にアントニオ要塞があります。これはエルサレムのユダヤ人を監視するために遣わされているローマ軍の兵営、駐屯地です。アントニオ城とも呼ばれます。その中に監視塔があって、そこからは神殿だけでなくエルサレム市内を展望することが出来ました。千人隊と呼ばれる一個の部隊がエルサレムには駐屯し、その総責任者は千人隊長です。この時の千人隊長は、クラウディウス・リシアという人であることが23章26節の「千人隊長からローマ総督に宛てた手紙」によってわかります。彼は生まれながらのローマ市民ではなく、他民族出身のローマ軍人でした。
監視塔の情報と神殿からの報告により、エルサレム神殿で民衆全体を巻き込むような騒ぎが開起きたことが千人隊長に知らされました。時は五旬祭です。特別に警戒を要する祭りの時でしたから、彼は敏感になっていて、直ちに兵士たちを伴って神殿に駆け付けました。人々はパウロを取り囲み、殺そうとして殴りかかかっています。それを見て、騒ぎを収めるべく、まずパウロを逮捕しました。二本の鎖で縛ったというのは、12章6節に使徒ペトロが投獄された時と同じように、二人の兵士によって鎖につながれていることを示しています。
千人隊長は、パウロを兵営に連れて行って保護すると共に、真相をつかむことを命じました。このとき、ユダヤ人たちがなおもパウロを攻撃するので、兵士たちはパウロを持ち上げて階段を上らなければならなかったと書かれています。
人々は叫びました。「その男を殺してしまえ」。このことは、主イエス様が捕らえられ、裁判にかけられた時に、エルサレムのユダヤ人たちが「殺せ、殺せ」と叫んだことを思い起こさせます。このときパウロは、神様の恵みによって殺されませんでした。しかし、かつてエルサレムに向かっているときに、ユダヤから来た預言者アガボの預言が実現しました。アガボは、パウロの帯で自分男手足を縛って、この帯の持ち主はエルサレムでこのようにされると預言しました。彼の預言は足をも縛られるというものでしたが、パウロは兵営の階段のところまでは自分で歩いて行ったようですから、預言は半分実現したとも言えるでしょう。
4、
今朝のみ言葉においては、パウロは全く孤独です。パウロに味方するものは誰もおらず、エルサレムの教会員たちの姿は見えません。
事件を引き起こしたのは、アジア州でパウロたちからキリストの福音を聞いたけれども、それを拒否した巡礼のユダヤ人たちです。そして彼らに扇動された人々、狭い民族主義に凝り固まったユダヤ人たちが一つになってパウロを苦しめています。しかし殺されそうになったパウロは、ローマ帝国の千人隊長によって助けられました。これこそ、パウロを遣わした神の御配慮でありました。ここでは神ご自身がパウロの味方でありました。
このあと、パウロは何をしたのでしょうか。パウロは、千人隊長の赦しを得て、自分を殺そうとしている同胞たちに向かって、自分の回心を証しすることになります。
普通ならば、一刻も早くこのユダヤ人たちから逃げたいと思うはずです。しかし、そうはしなかったのです。ユダヤ人たちに向かって、一生懸命に語りました。熱心なユダヤ教徒だった自分が、ダマスコの途上で天からの声を聞いたこと、その声の主は復活されたイエス・キリストであったこと、そしてその復活のイエス・キリストが、自分を召しだして、遠く異邦人のために遣わすと言われたことを熱心に語ったのです。
パウロは、主イエス様の救いを受けましたけれども、決してユダヤ人でなくなったわけではありません。むしろ同胞であるユダヤ人を愛し、この人たちにイエス様を伝えようとしています。
私たち日本人のクリスチャンもまた日本人でなくなったのではないと思います。日本人であるからこそ、日本にイエス・キリストの福音を伝えたいと願っているのです。日本語を話し、日本の歴史と伝統を愛しながら、愛する日本人を日本人のまま、イエス・キリストのものにしたいと願っているのです。
祈りを致します。