2026年03月08日「神が決めた道を」

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聖書の言葉

使徒言行録 20章13節~24節

メッセージ

2026年3月8日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録20章13節~24節「神が決めた道」

1、

 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

使徒言行録20章13節から24節までのみ言葉を共に聴きましょう。初代教会の指導者、伝道者である使徒パウロが、港町ミレトスにエフェソの教会の長老たちを集めて集会を開いています。パウロ自身が、小アジア半島の中心都市、当時のアジア州の都であったエフェソで伝道した期間は少なくも二年以上です。そこからパウロの三度目の宣教旅行は更につづきました。パウロは、銀細工人デメトリオによる騒動のあとエフェソを後にして、再びヨーロッパの玄関口であるマケドニアに渡ってゆき、その地方を巡り歩きました。マケドニアにはパウロが初めて伝道したヨーロッパの町フィリピやテサロニケの教会があります。

パウロは、各地の教会を尋ねて人々を励ましました。パウロはそこからすぐにアジア州に戻ってきたというわけではありませんでした。コリントの信徒への手紙1、16章によれば、このときパウロは、アカイア州の都コリントを中心にして、マケドニア州とアカイア州で少なくとも1年以上滞在して働いたのです。今朝の個所の前にある20章3節には次のように記されています。

「そこで、(つまりアカイア州ですが、)」「そこで三か月を過ごした。パウロはシリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニアを通って帰ることにした。」

 シリア州は、エルサレムの北にあり、そこにはパウロを最初に異邦人伝道に送り出してくれたアンテオキア教会があります。

 パウロは、マケドニア、アカイア、ギリシャのコリントなどの異邦人教会から献金を集めまして、エルサレムにいる12使徒たちに届けようとしています。エルサレム教会は、すべての教会の母教会、いわば総本山でありますが、当時、教会はユダヤ当局とローマ帝国の監視下におかれ、迫害と飢饉のために経済的には極めて困窮していたからです。それだけでなく、使徒言行録15章のエルサレム使徒会議においてパウロの異邦人伝道が正式に認められた際に、教会が一つであることの証しとして経済的にも助け合うことが決められていたのでありました。

現在、世界のキリスト教徒の数は世界人口の三分の一、24億人と言われています。しかし、パウロが伝道していた時代、教会は生まれたばかりであり、ゆりかごに入っているような状態です。しかし、この揺籃期の教会は実に精力的に伝道していることに改めて気づかされます。各地に信じる者が起こされ、信仰者の組織的な群れである教会が立てられます。同時に、それらの教会は、もう初めから信仰と生活の一致を大切にしていたことが分かります。この教会のDNAは、世の終わりまで保たれてゆくべきことであります。

パウロは、各教会の代表者を同行してエルサレムに向かいます。ユダヤ人の陰謀を避けるためにコリントから北に向かい、フィリピの港から船に乗りました。ヨーロッパとアジアを隔てている海峡を越えて、まずはアジア州のトロアスに着きました。トロアスでは、代表団の歓迎会や壮行会が幾日も続いて開かれ、ついには真夜中まで集会が続いたことが、20章7節から12節に記されていました。

代表団は、トロアスを後にして船に乗り込み、アジア州第二の都市であるミレトスに向かいました。ミレトスに到着するまでの経路は、アソス、ミティレネ、サモス島と各地の港に立ち寄りながら南下しています。パウロだけは、途中のトロアスからアソスまで、陸を歩き、ほかの人たち、つまり「私たちは」と書かれているルカの一行は船で旅をしたことが記されています。その理由はよくわかっていませんけれども、既にパウロがユダヤ人たちから命を狙われていたことと関係があると多くの注解者は述べています。13節から15節は、いわゆる航海日記です。ルカ自身が手元に持っていた資料をそのまま書き写したのではないかと思われています。極めて事務的な記事のように思えますが、当時の船旅の危険ということを考えますと、航海がこのように守られたという感謝の思いが込められているのだと思います。

 ここで大切なのは、16節の前半のみ言葉です。つまりパウロが、かつて彼自身が、三年間働いたエフェソを素通りしようとしていることです。その理由は、16節後半にはっきりと記されていて、エルサレムで五旬節、ペンテコステの祭りを過ごしたかったからであります。

 パウロは、はっきりとイエス・キリストの福音によって生き、また福音を述べ伝えることを生涯の使命としていました。しかし、一方でユダヤ人の伝統的な祭りを重んじていたことが使徒言行録のあちらこちらからわかります。それは、ユダヤ人を躓かせないためであり、また彼自身も、ユダヤ人として、旧約聖書にもとづくユダヤ教の祭りの意味を完全に否定していなかったのだと思われます。さらに、エルサレムの祭りの時には、各地から大勢のユダヤ人が巡礼してくるので、福音を伝える絶好の機会となるとも考えられました。

 そういう訳で、パウロはエフェソに立ち寄ることをしなかったのです。けれども、エフェソとその地域の兄弟たちと是非会いたいと願い、ミレトスの港町で集会を持つことにしました。

17節をお読みします。

「パウロは、ミレトスからエフェソに遣いをやって、教会の長老たちを呼び寄せた。」

この教会という言葉は、複数形でありまして、エフェソ市内と周辺のいくつもの家の教会のことを指していると考えられます。聖書地図で確認しますと、ミレトスからエフェソは直線距離で約50キロです。一日で往復することは不可能です。

 パウロたちがミレトスについてから伝令を派遣し、それがエフェソに着くまで丸一日、あるいはそれ以上かかります。伝言を聞いた長老たちが、ミレトスに集まってくるのにさらに丸一日、あるいはそれ以上かかりますから、おそらく、ミレトスで集会が開かれたのは早くて三日後、ないし4日後であったことでしょう。

 エフェソの長老たちは、そのような労力を費やして、万難を排して集まり、パウロたちに会いにやってきました。これまで手紙や人を介して、互いに励まし合い、交わりを深め、信仰の戦いを戦って来たエフェソの教会とパウロとの主イエス・キリストにある結びつきの深さを物語っております。イエス・キリストによる交わりと結合は、この世のどんなものよりも強いのです。顔と顔を合わせて集まり、共に使徒パウロが語る神の御言葉を聞くためには、それくらいの労苦はいとわない、それがエフェソの長老たちの心でした。

3、

 さて、18節の後半から次のページの上の段、35節までにわたって記されていますのが、有名なミレトスにおけるパウロの決別説教であります。使徒言行録には、パウロの説教はいくつも記録されていますけれども、この説教は次の三つの点で特別なものです。

 第一に、死を覚悟してエルサレムに向かうパウロにとっては、これはエフェソの兄弟たちとの最後の交わりであった、少なくとも彼はそう思っていたということです。いわば教会に対する遺言説教だということです。この説教が決別説教とよばれているゆえんであります。

 第二に、説教の聴き手が特別です。この説教は教会の長老たちに向かって語られた説教と言う点で極めて貴重なのです。そのような説教は、使徒言行録ではここだけであります。つまり、まだ主イエス様を知らない、受け入れていないユダヤ人や異邦人に福音を語るという説教ではない。そうではなくて、すでに信じている人たち、しかも各地の家の教会の指導者である長老たちに向けて語る、牧会の説教であるということです。わたしたちキリスト者に語る説教、もっというなら教会のリーダーたち、伝道者たちに語った説教なのです。

 第三に、この説教には、他の説教のどれよりも、パウロ自身の信仰、人格的個人的な思いや願いがあふれています。言ってみれば生身のパウロが顔を出している、そういう点で特別なものです。新約聖書には、使徒言行録の次に合計13通のパウロの手紙が収められていますが、この説教は、それらの手紙のみ言葉と重なってくる、響き合っている、そういうみ言葉です。

この説教は、18節から21節の過去の回顧、そして22節から24節の現在のパウロ、そして25節から32節には、これからのことについての勧告、勧めがあります。そして33節以下の結論部という四部構成になっています。22節と25節、35節の三か所に「そして今」と言う言葉が置かれて、説教の区切りの言葉となっていることがわかります。

 今朝は、このパウロの決別説教のうちの大体初めの三分の一くらいに当たりますが、24節までのみ言葉について解き明かします。

 パウロは、こう説教を語り始めました。18節をお読みします。

「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなた方と共にどのように過ごしてきたかは、よくご存知です」。エフェソの長老たち、あなた方は、わたしのことを良く知っているでしょう。こう言って説教を始めます。

 パウロのエフェソ伝道は、この前にある19章まるまる一章を費やして記されています。しかしそれは、二年ないし三年間にわたるエフェソ伝道の記録としてはあまりにも短いと言わなければなりません。いわばギュッと圧縮された記録です。重要なトピックスだけを記したものです。けれども、その三年間といいますのは、エフェソの教会の一人一人の兄弟たちにとっては、パウロと出会い、やがて教会の長老として立てられて行き、福音のために共に働くようになった、忘れられない三年間でありました。しかもこの世界にキリスト教会というものが次々と立てられる教会の揺籃期、草創期です。同じ2年間であっても年十年分の値打ちを持つ凝縮された時間でした。パウロとともに過ごした中で体験した沢山のこと、ここに書かれていない数多くの恵みの物語があったに違いないのです。これらのすべてをパウロは思い起こしながら、あなたがたはわたしがしてきたことについてよくご存じです。わたしもあなた方を良く知っています。こう言っているのです。

 

パウロは、いつも、主イエス・キリストの僕でありました。イエス様から託された異邦人伝道の使徒の働きをしてきましたが、それはどんな心がけで行ったのでしょうか。パウロはこう言います。

「自分を全く取るに足りないものと思い、涙を流しながら、主にお仕えしてきました。」

ここでパウロが、「自分を全くとるに足りないものと思う」と言っているのは、何か、ほかの人と比べて劣るとか、劣等感を持っているとかいうことではありません。神の前には高ぶることも誇ることもできないという意味です。ほかの多くの翻訳では、「謙遜の限りを尽くし」と訳しています。おごらない、高ぶらない、謙遜な心であるということは、自分の心の内にある支配欲や名誉欲から自由になることです。兄弟を裁いたり、さげすんだりするのではなく、愛すること、仕えることに価値を見出して、積極的に働くことを含んでいます。

 フィリピの信徒への手紙2章3節でパウロはこう語っています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れたものと考え、・・。」ここで「へりくだって」と訳されているのが「謙遜の限りを尽くし」と訳されているのと同じ言葉です。フィリピ書2章5節は、こう続きます「それはキリストイエスにもみられるものです」この次に記されているのが有名なフィリピ書のキリスト賛歌です。

 フィリピ書のキリスト賛歌とはこのようなみ言葉です。「キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。」しかし、イエス・キリストはそういうところを通ったのちにお蘇りになり、天に昇り、父なる神の右におつきになったのです。

パウロは、とエフェソ伝道を振り返って「涙を流した」と言っています。「涙を流す」とは、悲しみ、苦しみに耐えること、そういうところを通って来たことをあらわします。主イエス様もゲッセマネの祈りも含めて、いろいろな場面で涙を流されました。しかし、その悲しみ、苦しみは決して意味のないものではなく、また涙だけで終わるものでは決してなかったのです。

 パウロの使命は、未信者に福音を伝えることだけではありませんでした。信じた人がさらに成長し、教会を立て上げてゆくための教育が大切でした。パウロは、役に立つことは一つ残らずあなた方に教えて来たと振り返ります。それらはすべて、神様の前に罪を悔い改めること、主イエス様を救い主として信じ受け入れることから出るものです。パウロは、エフェソで3年にわたって伝道し、牧会し、悔い改めと主イエス様への信仰を、死をも覚悟して宣言してきたのです。

 パウロは、自分は今、エルサレムに向かおうとしていると報告します。それは聖霊が命じていることであり、パウロの心は、聖霊に縛られていると言ってよいのです。人間的に考えると、パウロが今エルサレムに赴くことは危険極まりないことでした。ユダヤ教ファリサイ派から、熱心なキリスト伝道者に変えられ、今や異邦人の使徒として大活躍しているパウロは、エルサレムのユダヤ教当局にとっては、不倶戴天の敵、共にこの世で生きていくことが出来ない人物であったからです。これまでに受けて来たユダヤ人の迫害とは比較にならない危険が待っていることは明白でした。しかし、パウロは、この世の命をかけてもエルサレムに行かなければならないと覚悟していました。教会が一つであることの証しとしてなんとしても献金を届けなければならない、それも自分自身が直接行かなければならないと決意していたのです。パウロは、それこそが自分にとって決められた道であり、これを走りとおすのだと宣言しています。

 「決められた道を走りとおす」と訳されているギリシャ語ですが、「決められた」と言う言葉も「道」と言う言葉も使われていません。もともとギリシャの陸上競技のレーストラックを意味する一つの言葉です。「走りとおす」と訳されている言葉は、満たす、成し遂げるという言葉です。

新改訳聖書は「走るべき道のりを走りとおす」と訳しています。またフランシスコ会訳聖書では「走るべき道のりを走り尽くす」と訳されています。

「古代アテネのオリンピックスタジアムには、長さ215メートルの競争路が作られていました。最初は、これを一回で走り抜けるものだけだったそうですが、後に、一往復するもの、また10往復する競技が加えられたということです。古代オリンピックは、紀元前8世紀から紀元4世紀末まで600年続きましたので、パウロンの時代もオリンピックが行われておりました。

パウロは、神様から与えられた自分自身の福音宣教の働きを、このオリンピックの競争に例えているのです。オリンピックでは、選手の競争を見ているのは沢山の観客ですけれども、パウロにとっては、ただ神様だけが見ていてくださっているのであり、すべての働きは神様の前に走っているのと同じことなのでした。

パウロがエフェソで伝道している時に書かれたとされているコリントの信徒への手紙9章24節か25節をお読みします。

「競技場で走る者はみな走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは朽ちない冠を得るために節制するのです。」

パウロが、決められた道、走るべきトラックをすべて満たして走るのは、人間からの栄誉や賞賛を受けるためでなく、ただ神様の下さる朽ちない冠、最高の栄誉を得るためであります。

パウロが自らの死を意識しながら書いたと言われるテモテの手紙2の4章6節7節にこう書かれています。

「わたし自身はすでにいけにえとして献げられています。わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとうし信仰を守り抜きました」神が決めてくださる恵みの道、あるいは試練の道を受けとめて走りとおすことがパウロの生きかたでした。わたしたちも同じではないかと思うのです。何か大きな成果を残すとか、そういうことではなく、道を走り切る、それが信仰の歩みなのです。たちの教会の走るべき道もまた、それぞれに神様から与えられています。生涯の終わりまで続く、あるいは世の終わりまで続く、この道を走りぬくなら、最後には、神様が与えて下さる朽ちない冠が約束されています。

目に見える祝福に、はるかにまさる目に見えない神様からの祝福を求めて、ご一緒にレースのトラックを走って行こうではありませんか。

祈ります

 神様、神様の前に、一人一人が違った走るべき道が備えられています。パウロは、異邦人の使徒、福音宣教者としてその道を走りつくしました。わたしたちにも、それぞれ違った役割が与えられています。健康や財産や人間の名誉は、やがて朽ちてゆくほかないものです。コロナの災いもやがては過ぎ去るでしょう。私たちは、どんな災いや逆境の中でも、決して朽ちることのない、主イエス・キリストの恵み、祝福を受けながら、共に最終ゴールを目指して、誠実に歩んで行くことが出来るようにしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。