聖書の言葉 使徒言行録 20章7節~12節 メッセージ 2026年3月1日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録20章7節~12節「騒ぐな、まだ生きている」 1、 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 受難節の二回目の主の日の礼拝を捧げています。カトリック、プロテスタントを問わず、全世界の教会は、2月18日の灰の水曜日、アッシュ・ウエンズデイから40日間にわたる受難節、レントを過ごしています。興味深いことですけれども、このレントの期間中のすべての日曜日、主の日は、受難節の40日間には数えないことになっています。日曜日は主イエス様のおよみがえり、復活を記念していますので、受難節からは除外するのです。 すなわち、レントの期間は、主イエス様の苦難を覚えながら過ごすのですが、同時に日曜日にはお蘇りの主イエス様に聖霊においてお会いします。そういうわけで、わたしたちは、このレントの季節は、主イエス様が受難、苦しみを受けられたこと、特にその中心である十字架を覚えながら、同時に主イエス様の復活を覚える、この両方を覚えながら過ごしているのです。 ただいまお聞きしました使徒言行録20章7節から12節のみ言葉は、初代教会の伝道者、教会指導者であります使徒パウロが、トロアスで夜通し福音を語った物語です。その集会中に3階から転落して死んでしまった青年を生き返らせるという奇跡についても記されています。青年エウティコは、パウロの説教中に眠ってしまった人として聖書に記されている唯一の人です。彼が何歳くらいであったのかは書かれていませんけれども、昼間の重労働の影響で疲れていたのでしょうか。パウロの説教中に眠りこけてしまいました。腰かけていた三階の窓から転落したというのです。使徒パウロの説教ですから、眠くなることなどはないと思うのですが、そうではなかったのです。三階からの転落によって彼は死んでしまったのですが、パウロによって再び命を取り戻すことが出来ました。 この使徒言行録の次に収められていますローマの信徒への手紙の8章34節で、使徒パウロは次のように記しました。「死んだ方、いな、むしろ復活させられた方であるイエス・キリストが神の右に座っていて、わたしたちのために執り成しをして下さるのです」。 主イエス様は十字架の上で確かに死なれた方です。けれども、しかし、神の御心によって、よみがえらせられた方、そして今天におられる方であると書かれています。主イエス様ご自身もヨハネによる福音書1章25節でこう告げて下さいました。「わたしは復活であり命である」 40日間の受難節を過ごして、わたしたちはイースターを迎えます。イースターは、主イエス様の復活を記念する祭日です。使徒パウロが死んでしまった青年を生き返らせることが出来たのは、ひとえに、主イエス様と言うお方が、死んでよみがえられたお方であるからではないでしょうか。主イエス様の復活の力が使徒パウロを通して働き、一旦は死んでしまった青年を生き返らせました。 この青年が死から命へとよみがえったあと、トロアスの日曜日の集会は何事もなかったように再開され、結局夜が明けるまで続いて、パウロたちはそのまま出発いたしました。初代教会の神の言葉、福音を語ること、また聞くことに対する驚くべき熱心、情熱がここに示されています。 2 7節をもう一度お読みします。「週の初めの日、わたしたちはパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話しをしたが、その話は夜中まで続いた。」 使徒言行録特有の著者ルカによる「わたしたち聖句」が、その前の20章5節から続いています。使徒パウロと、この使徒言行録の著者であるルカが一緒にいることが分かります。また、このみ言葉のすぐ前にある20章4節に記されている7人の伝道者たちも、今、小アジア半島の西の端の港町であるトロアスに共にいるのです。 今朝のみ言葉の直前の6節を見ますと、彼らは、マケドニア州からそれぞれ別のルートでトロアスにやって来て、そこで落ち合ったようです。彼らがこれから目指しておりますのはエルサレムです。パウロがかかわった多くの異邦人教会からのささげもの、献金を携えて、彼らは、それぞれの教会からの代表団としてエルサレムを訪れようとしているのです。おそらく、このトロアスの教会では、彼らを迎えて特別な集会を開いていたのだと思われます。七日間の間に、いくつもの集会があったと思います。そして迎えた日曜日、主の日の礼拝の日がやってきました。明日には、船に乗って出発する予定でしたので、この日は夜まで集会が続いて、週の初めの日のパン裂きと、パウロの説教が行われました。 ユダヤ教の安息日は、十戒の第4戒に基づいて、一週間の七日目、つまり土曜日です。この日、ユダヤ人たちは、安息日に許されている特別の労働以外を一切行わずに、シナゴーグに集まって礼拝しました。けれども、ペンテコステ、聖霊降臨の日から始まったキリスト教会は、メンバーはほとんどユダヤ人ではありましたけれども、土曜日ではなく、主イエス様の復活の日、週の初めの日に集まるようになっていました。ペンテコステよりも以前から、主イエス様が十字架に架けられた金曜日、その三日後の日曜日、週の初め日ですが、チリジリになっていた弟子たちは、隠れるようにして独自の集まりを持ちました。そこに復活の主イエス様がおいでになってからは、日曜日が彼らの定期的な礼拝の日となりました。 今朝のみ言葉は、初代教会の礼拝の日が確かに日曜日であったことを記録している貴重な個所であります。 「パンを裂くために」と書かれています。パンを裂く、パン裂きは、今日の聖餐式のことでありますが、同時に当時のキリスト教会における食事会、愛餐会のことでもあります。あの最後の晩餐における主イエス様の聖餐式制定のみ言葉に従い、初代教会の兄弟姉妹たちは、主の日に集まって共に食事をしたときに、特別のパンとぶどう酒の儀式を行っていたと考えられます。 そのパン裂きの会が、夜中まで続いたというのが今朝のみ言葉であります。おそらく、当時は、昔の日本と同じで日曜日がお休みと言うことは全くなかったわけです。ユダヤ人たちは、週の終わりの七日目に当時の異教社会の中で頑固に安息日を守っていたとしても、トロアスの港周辺依に住む多くの人々は毎日休みなしに働いていたのだと思います。 ですから、日曜日の礼拝には仕事を終えた順に、入れ替わり立ち代わり一日中、信徒たちが教会にやってきました。パウロや他の伝道者が説教し、また、その合間にパン裂き、つまり食事会と聖餐式を行っていたものと思われます。 明日には、パウロたちが出発するというのですから、この日の夜は、夜遅くまで集会は終わることなく、ついに夜中になりました。最終的に夜明けまで徹夜の集会をして、パウロたちはそのまま出発するという、とんでもない強行軍となったようです。 3 当時のキリスト教会は、ほとんどが家の教会であります。トロアスの教会も、大きい家の階上の部屋、つまり、二階あるいは三階の部屋が集会所でした。階上の部屋と訳されている言葉は、屋上という意味もありますが今朝の個所には、その部屋に窓があったと言うことですから、屋上ではなく、三階建ての家の三階の部屋で集会をしていたのであります。 その部屋には、沢山のともしび、ランプがついていて、説教者や人々を照らしていました。ランプと言いましても、当時のことですから、油をためておく皿に燈心を差し込んである、炎がむき出しになっている「ともしび」であります。もとの言葉は、トーチ、つまり松明と訳すこともできますけれども、ここでは屋内ですので、人々が行進するときに持っているような大きな炎をともす松明ではなく、皿に灯心をつけたランプが壁や柱に取り付けられていたのでしょう。 この特別の集会の最中に大事件がおきました。窓に腰を掛けてパウロの説教を聞いていたエウティコという青年が、三階から転落して死んでしまったというのです。部屋には沢山の人が集まっていて、座るところがもうなかったのでしょう。この青年は、窓に腰を掛けていたのですが、パウロの話が長々と続くうちに眠くなり、ついに完全に寝てしまったあげく、窓から転落してしまったというのです。 昼間働いて、疲れた体を抱えながらも、日曜日の礼拝の夜の部に出席するという信仰熱心な青年です。窓に腰かけていたのですから、外気に触れて空気も入れ替わる場所でした。けれども、説教を聞きながら、だんだん眠くなり、何とかこらえていたものの、ついに眠りこけてしまったのです。 聖書の言葉を直訳すると、彼が寝てしまった原因は、「パウロの一層長い説教のため」と書かれています。ですから、その責任はパウロにあるようにも取れます。しかし、この青年の特別の事情もあったに違いありません。確かにパウロの説教が長かったことは間違いありませんが、部屋には多くのランプが赤々とともり、集会は夜中を過ぎて明け方まで続いたというのですから、むしろ、集会全体の様子は、決して居眠りするようなものではなかった、そうではなく熱気あふれるような礼拝、また集会であったと思われます。 しかし、その信仰の熱気あふれる集会に水を差すような悲劇が突然起きたのです。この時のパウロの行動はとても素早いものです。たぶん建物の外についている階段を駆け下り、この青年の体に覆いかぶさるようにしました。神に祈ったのでしょう。そして、起き上がって、青年を抱きかかえながら言いました。「騒ぐな、まだ生きている」 9節には、「もう死んでいた」とはっきりと死亡診断が下されています。また12節には「生き返った青年」とはっきり書いてあります。ルカは医者でありますから、ここの観察は正確だと思います。パウロは、青年は、死んだように見えるけれど、そうではない、まだ生きていると言ったのではなく、死んだこの青年の中に、神の命がある、騒がないで静かにしてほしいと言ったのです。神が命をくださる、だから騒がないようにと言ったのです。 旧約聖書に登場する神の人、預言者は神の力によって死人を生き返らせたことが記録されています。列王記上17章には預言者エリヤの奇跡が、記されています。エリヤは、サㇾプタのやもめの息子が死んだときに、その身に覆いかぶさるようにして神に祈り、死者の生き返りの奇跡を頂きました。また列王記下4章34節には預言者エリシャがシュネムの婦人の一人息子が死んだときに、やはりその子供の上に体を重ねるようにして覆いかぶさって、神に祈った物語が記されています。 主イエス様は、ルカ福音書7章でナインという町のやもめの息子が死んだとき。「もう泣かなくともよい」とおっしゃって命を与え、またヨハネ福音書11章ではラザロと言う若者を生き返らせました。主イエス様が、神の力を持つこと、神ご自身であることを証しするものでした。パウロもまた、この主イエス様から遣わされた使徒、特別な名代、代理人として、神の恵みを証しするのです。 4 旧約預言者の奇跡も、あるいは主イエス様による生き返りの奇跡も、家族の悲しみ、とくに女手一つで暮らし、息子以外に頼るべき家族のいないやもめの救いに焦点があてられています。 窓から落ちた青年も、パウロによってふたたび命を得ました。しかし、ここでは彼がもっぱら主人公とはなっていません。むしろ、この大事件にもかかわらず集会が続けられたことに強調点が置かれています。思いがけない事件によって中断を余儀なくされた主の日の礼拝、またパン裂きは、何事もなかったように再開されたのです。神の恵みが教会とそこに集う人々に豊かに注がれていることが示されています。 パウロは急いで階上の部屋に戻ります。ここには、明確にかかれていませんけれども、もちろん、生き返った青年も再び加わっていて、多くの人々と共に夜が明けるまで集会を続けたのです。パン裂きは続けられ、またパウロの説教も終わることはありませんでした。 徹夜の礼拝、パン裂き、語り合いは夜明けとともに終わり、人々は家路につきます。生き返った青年も一緒です。 今朝のみ言葉の結論は単純なものです。「人々は大いに慰められた。」「人々は大いに慰められた」 慰められたと訳されている言葉は、「励まされた」とも訳せる言葉です。傍らに呼ぶ、よばれた、パラカレオーという言葉です。何によって慰めを受け、また励ましを受けたのでしょうか。パウロ自身の力によってではないのです。パウロの説教を通して働かれた復活の主、命の主である主イエス様によって慰められ、励まされたのです。青年エウティコも復活の力を受け、命を得ました。さらにこの青年は皆と共に再び集まって礼拝することによって力を頂いたのです。共に集まってパンを裂き、福音を聞くことによってであります。 神様は、パウロを用いて、またルカと7人の伝道者により、人々を励まし慰めてくださいました。そして神の奇跡を目の当たりに示すことによって、人々を、あたかも復活の主イエス様ご自身が、彼らの傍らに寄り添うようにして、慰め励ましてくださるのです。 2020年から始まったコロナウイルスの災いの時、人が集まるということが禁止抑制されました。それは全世界の教会にとって試練の時となりました。日本の教会は、その影響をまだ克服しきれていないと思います。コロナを通してわたしたちが学んだことは、困難の中でも共に集まるこということの大切さです。今朝、わたしたちは主イエス様のもとに一緒に集まっています。今からパン裂き、聖餐の恵みに共に与ります。祈りを致します。 私たちの愛する主イエス・キリストの父なる神さま、レント、受難節第二主日の礼拝を感謝します。トロアスの町で捧げられた初代教会の週の初めの日の礼拝、聖餐式そこにおける主イエス・キリストの命の恵みを覚えます。同じ主イエス様は今ここにもおられることを感謝します。あらためて、わたしたちの信仰が堅くされて、今日からの一週間の、また一か月の歩みがあなたの恵みの中で続けて営なまれてゆきますよう、力を与えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
2026年3月1日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録20章7節~12節「騒ぐな、まだ生きている」
1、
父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
受難節の二回目の主の日の礼拝を捧げています。カトリック、プロテスタントを問わず、全世界の教会は、2月18日の灰の水曜日、アッシュ・ウエンズデイから40日間にわたる受難節、レントを過ごしています。興味深いことですけれども、このレントの期間中のすべての日曜日、主の日は、受難節の40日間には数えないことになっています。日曜日は主イエス様のおよみがえり、復活を記念していますので、受難節からは除外するのです。
すなわち、レントの期間は、主イエス様の苦難を覚えながら過ごすのですが、同時に日曜日にはお蘇りの主イエス様に聖霊においてお会いします。そういうわけで、わたしたちは、このレントの季節は、主イエス様が受難、苦しみを受けられたこと、特にその中心である十字架を覚えながら、同時に主イエス様の復活を覚える、この両方を覚えながら過ごしているのです。
ただいまお聞きしました使徒言行録20章7節から12節のみ言葉は、初代教会の伝道者、教会指導者であります使徒パウロが、トロアスで夜通し福音を語った物語です。その集会中に3階から転落して死んでしまった青年を生き返らせるという奇跡についても記されています。青年エウティコは、パウロの説教中に眠ってしまった人として聖書に記されている唯一の人です。彼が何歳くらいであったのかは書かれていませんけれども、昼間の重労働の影響で疲れていたのでしょうか。パウロの説教中に眠りこけてしまいました。腰かけていた三階の窓から転落したというのです。使徒パウロの説教ですから、眠くなることなどはないと思うのですが、そうではなかったのです。三階からの転落によって彼は死んでしまったのですが、パウロによって再び命を取り戻すことが出来ました。
この使徒言行録の次に収められていますローマの信徒への手紙の8章34節で、使徒パウロは次のように記しました。「死んだ方、いな、むしろ復活させられた方であるイエス・キリストが神の右に座っていて、わたしたちのために執り成しをして下さるのです」。
主イエス様は十字架の上で確かに死なれた方です。けれども、しかし、神の御心によって、よみがえらせられた方、そして今天におられる方であると書かれています。主イエス様ご自身もヨハネによる福音書1章25節でこう告げて下さいました。「わたしは復活であり命である」
40日間の受難節を過ごして、わたしたちはイースターを迎えます。イースターは、主イエス様の復活を記念する祭日です。使徒パウロが死んでしまった青年を生き返らせることが出来たのは、ひとえに、主イエス様と言うお方が、死んでよみがえられたお方であるからではないでしょうか。主イエス様の復活の力が使徒パウロを通して働き、一旦は死んでしまった青年を生き返らせました。
この青年が死から命へとよみがえったあと、トロアスの日曜日の集会は何事もなかったように再開され、結局夜が明けるまで続いて、パウロたちはそのまま出発いたしました。初代教会の神の言葉、福音を語ること、また聞くことに対する驚くべき熱心、情熱がここに示されています。
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7節をもう一度お読みします。「週の初めの日、わたしたちはパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話しをしたが、その話は夜中まで続いた。」
使徒言行録特有の著者ルカによる「わたしたち聖句」が、その前の20章5節から続いています。使徒パウロと、この使徒言行録の著者であるルカが一緒にいることが分かります。また、このみ言葉のすぐ前にある20章4節に記されている7人の伝道者たちも、今、小アジア半島の西の端の港町であるトロアスに共にいるのです。
今朝のみ言葉の直前の6節を見ますと、彼らは、マケドニア州からそれぞれ別のルートでトロアスにやって来て、そこで落ち合ったようです。彼らがこれから目指しておりますのはエルサレムです。パウロがかかわった多くの異邦人教会からのささげもの、献金を携えて、彼らは、それぞれの教会からの代表団としてエルサレムを訪れようとしているのです。おそらく、このトロアスの教会では、彼らを迎えて特別な集会を開いていたのだと思われます。七日間の間に、いくつもの集会があったと思います。そして迎えた日曜日、主の日の礼拝の日がやってきました。明日には、船に乗って出発する予定でしたので、この日は夜まで集会が続いて、週の初めの日のパン裂きと、パウロの説教が行われました。
ユダヤ教の安息日は、十戒の第4戒に基づいて、一週間の七日目、つまり土曜日です。この日、ユダヤ人たちは、安息日に許されている特別の労働以外を一切行わずに、シナゴーグに集まって礼拝しました。けれども、ペンテコステ、聖霊降臨の日から始まったキリスト教会は、メンバーはほとんどユダヤ人ではありましたけれども、土曜日ではなく、主イエス様の復活の日、週の初めの日に集まるようになっていました。ペンテコステよりも以前から、主イエス様が十字架に架けられた金曜日、その三日後の日曜日、週の初め日ですが、チリジリになっていた弟子たちは、隠れるようにして独自の集まりを持ちました。そこに復活の主イエス様がおいでになってからは、日曜日が彼らの定期的な礼拝の日となりました。
今朝のみ言葉は、初代教会の礼拝の日が確かに日曜日であったことを記録している貴重な個所であります。
「パンを裂くために」と書かれています。パンを裂く、パン裂きは、今日の聖餐式のことでありますが、同時に当時のキリスト教会における食事会、愛餐会のことでもあります。あの最後の晩餐における主イエス様の聖餐式制定のみ言葉に従い、初代教会の兄弟姉妹たちは、主の日に集まって共に食事をしたときに、特別のパンとぶどう酒の儀式を行っていたと考えられます。
そのパン裂きの会が、夜中まで続いたというのが今朝のみ言葉であります。おそらく、当時は、昔の日本と同じで日曜日がお休みと言うことは全くなかったわけです。ユダヤ人たちは、週の終わりの七日目に当時の異教社会の中で頑固に安息日を守っていたとしても、トロアスの港周辺依に住む多くの人々は毎日休みなしに働いていたのだと思います。
ですから、日曜日の礼拝には仕事を終えた順に、入れ替わり立ち代わり一日中、信徒たちが教会にやってきました。パウロや他の伝道者が説教し、また、その合間にパン裂き、つまり食事会と聖餐式を行っていたものと思われます。
明日には、パウロたちが出発するというのですから、この日の夜は、夜遅くまで集会は終わることなく、ついに夜中になりました。最終的に夜明けまで徹夜の集会をして、パウロたちはそのまま出発するという、とんでもない強行軍となったようです。
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当時のキリスト教会は、ほとんどが家の教会であります。トロアスの教会も、大きい家の階上の部屋、つまり、二階あるいは三階の部屋が集会所でした。階上の部屋と訳されている言葉は、屋上という意味もありますが今朝の個所には、その部屋に窓があったと言うことですから、屋上ではなく、三階建ての家の三階の部屋で集会をしていたのであります。
その部屋には、沢山のともしび、ランプがついていて、説教者や人々を照らしていました。ランプと言いましても、当時のことですから、油をためておく皿に燈心を差し込んである、炎がむき出しになっている「ともしび」であります。もとの言葉は、トーチ、つまり松明と訳すこともできますけれども、ここでは屋内ですので、人々が行進するときに持っているような大きな炎をともす松明ではなく、皿に灯心をつけたランプが壁や柱に取り付けられていたのでしょう。
この特別の集会の最中に大事件がおきました。窓に腰を掛けてパウロの説教を聞いていたエウティコという青年が、三階から転落して死んでしまったというのです。部屋には沢山の人が集まっていて、座るところがもうなかったのでしょう。この青年は、窓に腰を掛けていたのですが、パウロの話が長々と続くうちに眠くなり、ついに完全に寝てしまったあげく、窓から転落してしまったというのです。
昼間働いて、疲れた体を抱えながらも、日曜日の礼拝の夜の部に出席するという信仰熱心な青年です。窓に腰かけていたのですから、外気に触れて空気も入れ替わる場所でした。けれども、説教を聞きながら、だんだん眠くなり、何とかこらえていたものの、ついに眠りこけてしまったのです。
聖書の言葉を直訳すると、彼が寝てしまった原因は、「パウロの一層長い説教のため」と書かれています。ですから、その責任はパウロにあるようにも取れます。しかし、この青年の特別の事情もあったに違いありません。確かにパウロの説教が長かったことは間違いありませんが、部屋には多くのランプが赤々とともり、集会は夜中を過ぎて明け方まで続いたというのですから、むしろ、集会全体の様子は、決して居眠りするようなものではなかった、そうではなく熱気あふれるような礼拝、また集会であったと思われます。
しかし、その信仰の熱気あふれる集会に水を差すような悲劇が突然起きたのです。この時のパウロの行動はとても素早いものです。たぶん建物の外についている階段を駆け下り、この青年の体に覆いかぶさるようにしました。神に祈ったのでしょう。そして、起き上がって、青年を抱きかかえながら言いました。「騒ぐな、まだ生きている」
9節には、「もう死んでいた」とはっきりと死亡診断が下されています。また12節には「生き返った青年」とはっきり書いてあります。ルカは医者でありますから、ここの観察は正確だと思います。パウロは、青年は、死んだように見えるけれど、そうではない、まだ生きていると言ったのではなく、死んだこの青年の中に、神の命がある、騒がないで静かにしてほしいと言ったのです。神が命をくださる、だから騒がないようにと言ったのです。
旧約聖書に登場する神の人、預言者は神の力によって死人を生き返らせたことが記録されています。列王記上17章には預言者エリヤの奇跡が、記されています。エリヤは、サㇾプタのやもめの息子が死んだときに、その身に覆いかぶさるようにして神に祈り、死者の生き返りの奇跡を頂きました。また列王記下4章34節には預言者エリシャがシュネムの婦人の一人息子が死んだときに、やはりその子供の上に体を重ねるようにして覆いかぶさって、神に祈った物語が記されています。
主イエス様は、ルカ福音書7章でナインという町のやもめの息子が死んだとき。「もう泣かなくともよい」とおっしゃって命を与え、またヨハネ福音書11章ではラザロと言う若者を生き返らせました。主イエス様が、神の力を持つこと、神ご自身であることを証しするものでした。パウロもまた、この主イエス様から遣わされた使徒、特別な名代、代理人として、神の恵みを証しするのです。
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旧約預言者の奇跡も、あるいは主イエス様による生き返りの奇跡も、家族の悲しみ、とくに女手一つで暮らし、息子以外に頼るべき家族のいないやもめの救いに焦点があてられています。
窓から落ちた青年も、パウロによってふたたび命を得ました。しかし、ここでは彼がもっぱら主人公とはなっていません。むしろ、この大事件にもかかわらず集会が続けられたことに強調点が置かれています。思いがけない事件によって中断を余儀なくされた主の日の礼拝、またパン裂きは、何事もなかったように再開されたのです。神の恵みが教会とそこに集う人々に豊かに注がれていることが示されています。
パウロは急いで階上の部屋に戻ります。ここには、明確にかかれていませんけれども、もちろん、生き返った青年も再び加わっていて、多くの人々と共に夜が明けるまで集会を続けたのです。パン裂きは続けられ、またパウロの説教も終わることはありませんでした。
徹夜の礼拝、パン裂き、語り合いは夜明けとともに終わり、人々は家路につきます。生き返った青年も一緒です。
今朝のみ言葉の結論は単純なものです。「人々は大いに慰められた。」「人々は大いに慰められた」
慰められたと訳されている言葉は、「励まされた」とも訳せる言葉です。傍らに呼ぶ、よばれた、パラカレオーという言葉です。何によって慰めを受け、また励ましを受けたのでしょうか。パウロ自身の力によってではないのです。パウロの説教を通して働かれた復活の主、命の主である主イエス様によって慰められ、励まされたのです。青年エウティコも復活の力を受け、命を得ました。さらにこの青年は皆と共に再び集まって礼拝することによって力を頂いたのです。共に集まってパンを裂き、福音を聞くことによってであります。
神様は、パウロを用いて、またルカと7人の伝道者により、人々を励まし慰めてくださいました。そして神の奇跡を目の当たりに示すことによって、人々を、あたかも復活の主イエス様ご自身が、彼らの傍らに寄り添うようにして、慰め励ましてくださるのです。
2020年から始まったコロナウイルスの災いの時、人が集まるということが禁止抑制されました。それは全世界の教会にとって試練の時となりました。日本の教会は、その影響をまだ克服しきれていないと思います。コロナを通してわたしたちが学んだことは、困難の中でも共に集まるこということの大切さです。今朝、わたしたちは主イエス様のもとに一緒に集まっています。今からパン裂き、聖餐の恵みに共に与ります。祈りを致します。
私たちの愛する主イエス・キリストの父なる神さま、レント、受難節第二主日の礼拝を感謝します。トロアスの町で捧げられた初代教会の週の初めの日の礼拝、聖餐式そこにおける主イエス・キリストの命の恵みを覚えます。同じ主イエス様は今ここにもおられることを感謝します。あらためて、わたしたちの信仰が堅くされて、今日からの一週間の、また一か月の歩みがあなたの恵みの中で続けて営なまれてゆきますよう、力を与えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。