聖書の言葉 使徒言行録 18章24節~28節 メッセージ 2020年2月9日(日)北神戸キリスト教会 朝拝説教 使徒言行録18章24節~28節「雄弁家アポロ」 主題;信仰の教育(1) 1、 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 先週は、黒川先生にルカ福音書15章の御言葉から説教をしていただきました。今朝は再び使徒言行録に戻ってきました。 今日、皆様の手許に2026年の年報が届いていると思います。昨年の出来事という項目にはその週の日曜日に語られたみ言葉の個所がすべて記しています。振り返ってみますと昨年一年間は基本的に使徒言行録の御言葉を聞いてきました。使徒言行録の説教は一昨年の6月から始められています。それから約一年半かけて、今朝は18章の終わりのところまでやってきました。初代教会の大伝道者である使徒パウロは、三度の宣教旅行とローマへの旅を通して、広大なローマ帝国のいろいろな国や地域を巡り、まさに当時の人々の意識でいうならば、全世界をまたにかけて福音を伝えました。 今朝のみ言葉の24節から28節にはパウロの名前は一切登場せず、もっぱら伝道者アポロと、当時エフェソにおりましたパウロの同労者のプリスキラとアキラのことが記されています。そして19章からパウロのエフェソ伝道のことが本格的に記されています。 今朝は24節からお読みしましたが、その前の23節にこう書かれていたことに改めて目を向けたいと思います。23節「パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力つけた。」 パウロの伝道旅行はこの23節から、これまでとは完全に違う段階に入っていることがわかります。つまり、22節で、第二次伝道旅行はもうすっかり終わっていて23節からは、すでに三次伝道旅行が始まっています。 面白いことに、カトリック教会の公式訳でありますフランシスコ会訳聖書では、この23節一節だけを一つの独立した段落にしています。23節の前に「パウロの第三次宣教旅行」という大見出しを付けて、その中に11個の小見出し付きの段落を入れ込みます。そして23節には、小見出しを付けないで大見出しの「パウロの第三次宣教旅行」全体の序文のようにしています。 23節のはじめに「パウロはしばらくここで」とあります。パウロの母教会でありますアンティオキア教会に帰って来たパウロは、ここでしばらく過ごしたということです。15章から始まった第二次伝道旅行のはじめには、パウロたちは「兄弟たちから主の恵みをゆだねられて出発した」と15章40節にあるように、アンティオキア教会で、きちんとした派遣式をして出かけています。けれども、この第三次伝道旅行ではそのような区切りを示すような言葉はありません。 「しばらく過ごした後、また旅に出て」、何かそっけないようなみ言葉です。おそらく、この時になりますと、パウロの伝道は、自分でテント造りの仕事をしたり、あるいはフィリピ教会や他の教会からの資金で伝道するようになっていたり、アンティオキア教会からの援助なしに、かなり自由に伝道する、そういう形になっていたのではないかと思われます。 もちろん、あのパウロ先生、いつの間にかいなくなってしまったなあというようなことではなくって、きちんと教会に挨拶し、伝道のための祈りをお願いして旅立ったと思います。けれども、この第三次伝道旅行はアンティオキア教会の働きとしてではなく、パウロの自由な働きとしてなされた可能性があります。そういうわけで、ずっと後の26章でパウロの第三次伝道旅行が終わって、27章から、パウロのローマへの旅が始まりますが、そのときは、もうアンティオキアには帰っていないのです。 パウロは、旅に出まして、アンティオキアから西へ西へと進みます。第二伝道旅行のときに伝道した町々を巡って弟子たちを力づけました。今回は、以前に聖霊から伝道を禁じられたエフェソに向かいます。そこには、パウロがコリントで共に伝道したプリスキラとアキラ夫妻がおりました。そして、このプリスキラとアキラこそが、エフェソ伝道を語る今朝のみ言葉の中で大きな働きをしたものたちでありました。 2、 このエフェソでの伝道の様子は、このあと19章全体にわたって詳しく記されます。今朝のみ言葉では、アポロという伝道者が、登場します。彼は、まだパウロが到着する前の時期にエフェソにやってきました。アポロという人は、今朝のところ以外に、第一コリントの1章、3章、4章、16章、そしてテトスへの手紙3章にも名前が出てくる優れた伝道者です。 パウロは、コリント教会に向けて書いた手紙の中で、そのコリント教会に対して、「わたしは植え、アポロが水を注いだ、しかし、成長させてくださったのは神です」と書いています。コリント教会の建設に対するアポロの貢献を評価しています。またアポロは、パウロがコリントの教会に手紙を書いたころには、パウロと共にエフェソで伝道していたようです。第一コリントの16章12節には「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように」∼これはコリントへということですのでコリント行きについて「しきりに勧めたけれども、彼は今行く意思はまったくありません」と書かれています。このアポロがパウロに先立ってエフェソにやってまいりました。 24節をお読みします。 「さて、アレキサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。」 アレキサンドリアの街は、北アフリカにあって、現在でも首都カイロに次ぐエジプト第二の都市です。パウロの時代にはさらに目立った大都市で、地中海世界の大きな港町の一つでした。当時の人口は100万人を超えていたと言われます。この町の基礎を据えたアレキサンダー大王の後継者プトレマイオス1世が、世界中から有名な学者を集め、また巨大な図書館を建設して、商業や物流だけでなく、この町を一大学術都市にしたと言います。沢山のユダヤ人が住んでいまして、旧約聖書のギリシャ語訳として知られるセプチュアギンタ、70人訳聖書もこの町で造られました。 アレキサンドリアで生まれ育ったアポロは、雄弁家であったと書かれています。雄弁家と訳されているのは、「ロゴスの人」という言葉です。言葉の人、学識の人という意味の言葉です。「聖書に詳しい」というのは、もちろん旧約聖書を良く学んでいる人のことです。つまりもともとはユダヤ教の教師の一人ではなかったかと思われます。けれども、「この人は主の道を受け入れていた」とありますように、主イエス様の道、主イエス様の弟子となったのです。 エフェソの町のシナゴーグでは、パウロが18章19節から21節にありますように、第二次伝道旅行の終わりに立ち寄って短期間福音を伝えていました。そのとき、ユダヤ人や神を畏れる異邦人たちから、もっと長く滞在してほしいと頼まれた、そういう場所であります。ここげアポロがやって来て、この町のシナゴーグで旧約聖書を論じたというのです。アポロは、その雄弁を生かして、ユダヤ会堂、シナゴーグで大胆に福音をかたりました。アポロがイエス・キリストの福音を語ると人々は熱心に耳を傾けたかと思います。 アポロは、イエス・キリストのことについて熱心に語り、正確に教えていましたけれども、25節に「このアポロは、ヨハネの洗礼しか知らなかった」とも書かれています。この書き方ですと、いかにもアポロには決定的な欠けがあったような印象です。しかし原文は、否定形ではなく肯定形で、「ヨハネの洗礼だけを知っていた」、こういう文章です。 いろいろな聖書の翻訳の中では、うまく訳していると思われる文語訳聖書の18章24節、25節を読みます。「時に、アレキサンドリア生まれのユダヤ人にて聖書に精通したるアポロという能弁なるものエペソに下る。この人は、さきに主の道を教えられ、ただヨハネのバプテスマを知りたるのみなれど、熱心にしてつまびらかにイエスのことを語り、かつ教えたり」 このアポロの伝えた福音には何か決定的な問題があったかのような説が学者たちの間で行われています。こう言うことです。 洗礼者ヨハネが、人々に授けた洗礼は、福音書によると悔い改めの洗礼であって洗礼者ヨハネはこのように言って、人々に主イエス様の到来を告げました。 「わたしは悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れている。その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」マタイによる福音書3章11節のみ言葉です。 この洗礼者ヨハネの預言通りに、主イエス様は、復活し天に昇られた後に、弟子たちに聖霊を送って、ペンテコステ、聖霊降臨の出来事が起こりました。 このことから、アポロが伝えた福音は、ヨハネの洗礼の福音、つまり悔い改めて正しい道に立ち帰る、それによって救いを得るという、いわば律法主義にとどまるものだった。従って主イエス様の十字架の罪の赦しとそれを信じさせる聖霊の働きのない福音だったと主張する説教者や学者が多くいるのです。そのためにアポロが福音を語っているのを、プリスキラとアキラが聞いておりまして、何か違う、これは決定的に違うと感じるものがあったというのです。そこで、二人は、アポロを自分の脇に呼び寄せる形で、もっと正確に神の道を説明したと26節にあるので、プリスキラとアキラは、この時とばかりパウロ譲りの十字架と復活の言葉、そして信仰のみによる罪の赦しの福音を教えたのだというのです。 しかし、それは読み込みすぎであるように思います。この個所の聖書の言葉をただ読む限りは、そのようなことを想像することは全くできません。 注目したいのは、エジプトのアレキサンドリアにおいてなのか、そこからはるばるエフェソにやってくる間なのかは、わかりませんが、とにかくアポロは、主イエス・キリストの道を受け入れていたこと書かれていることです。そして彼は召しを受けて、伝道者となり、イエス・キリストについて正確に教えていた、こう書かれていることです。 アポロが会堂で、この道を正確に教えたとあります。「教えた」という言葉は、元の言葉では単に知識を伝えるのではなく、教育するという意味があります。カテキズムと言う言葉のもとになっている言葉です。イエス・キリストについて正確に教えたということは、十字架や復活、聖霊の働き、主イエス様を信じる信仰による救いを含まないということは考えられません。 そしてプリスキラとアキラは、「もっと正確に」神の道を説明したと書かれています。この「正確に」と言う言葉と「もっと正確に」と言う言葉は、同じギリシャ語です。プリスキラたちが教えた仕方は、その比較級ですね、「もっと正確、より正確に」教えたのです。アポロの教えには決定的な欠けがあった、不正確だったということでは全くありません。 ただアポロの場合は、洗礼のことになると、ヨハネの洗礼だけを知っていた、あるいはヨハネの洗礼を受けていただけだったということだと考えられます。つまり主イエス様が、弟子たちに命じましたのは「父と子と聖霊の名によって授ける洗礼」でした。そこで、アポロの説教を聞いていたプリスキラとアキラは、この洗礼、つまり「父と子と聖霊の名による洗礼を受けるように」という勧めを、彼の教えに加えるように求めたのではないかと思います。 3、 プリスキラとアキラは、教師でも専門の伝道者でもありません。そうでありますが、いわば牧師たちを支える今日の教会役員のように、パウロを支えました。またパウロがアンティオキアに帰ったあとも、エフェソの町にとどまって小さな群れを支え続けたのであります。シナゴーグに集って、主イエス様を周りの人に伝え、そしてアポロの説教を熱心に聞きました。 わたくしは、教会が誕生し成長し、発展してゆくということにおいて、そこに遣わされている伝道者、牧師の働きの大きさを思わないわけにはゆきません。同じ群れであっても、そこに遣わされた牧師が変わりますと、教会全体が水を得た魚のように活発に動き出すことがあります。その反対もあります。もちろん、伝道と教会形成は、人間の業ではなく神様の御業です。しかし、それは人を用いてなされるものであります。従って伝道者、牧師は怠惰であってはならず、勤勉に、熱心に働かなければなりません。そして、そこでは同時に、牧師の生い立ちや賜物というものが用いられるのです。それは一人ひとり違うものであります。神様は、天使を用いて伝道するのではなく、生身の人間を用いて福音を伝えようとなさいます。ですから牧師が交代すると教会もまた変わって行くことは間違いありません。 しかし、わたくしがいつも思っていることは、そこに集っている信徒や役員の働きです。どんなに優れた伝道者も一人で働くのではありません。その教会に、誰が集っているのかと言うことが牧師以上に重要だと思います。 わたくしは、神様の恵みであると思いますが、洗礼を受けてから、献身して神学校に入るまで、牧師ではなく約20年余りの信徒の生活を致しました。伝道者委員や、長老も経験しました。そこでやはり、牧師と共に奉仕する会員の働き、とりわけ、委員や長老執事の働きが本当に大きいことを知りました。それは牧師になって、ますます感じている事でもあります。 小さな群れが、伝道所となり、教会となって行く、成長発展してゆく教会には、必ず熱心な役員が備えられています。優れた賜物を与えられた役員がいる教会の働きは、また優れたものとなる、こう確信しています。 プリスキラとアキラ夫妻は、そんな優れた教会役員の模範になるような人達だと思います。プリスキラとアキラは、アポロの説教を聞きながら、何か足りないものに気が付きました。その時、どうしたのでしょうか。アポロを招いて、話をしたと書かれています。招いてと言う言葉は、自分のところに受け取るという言葉です。マルコによる福音書8章32節で、ご自身の十字架と復活を予告された主イエス様を12弟子の頭であるペトロが、諫めるという場面があります。「主よそんなことがあってはなりません」と言うペトロの言葉がマタイによる福音書に書かれていますが、そのとき、マタイによる福音書とマルコによる福音書の両方に、ペトロは「イエスを脇にお連れして」とあります。この脇にお連れするという同じ言葉が、アポロに対してプリスキラとアキラがしたこととして用いられています。説教を聞いて、その場で、皆の面前で、例えば立ち上がって、それはおかしいとか、これが語られるべきだと言った、そういうことではありません。 これからもアポロの説教を聞く会衆が躓かないように知恵を絞っている、あるいはそのような愛に満ちた振舞いが身についているのです。このプリスキラとアキラの配慮に満ちた行動は素晴らしいものです。そして、たとえ信徒であっても、聖書解釈や説教について自分の思うことを説教者の成長を期待しながら伝えるのです。 4、 27節以降には、アポロがエフェソからアカイア州のコリントで伝道するようになった経緯が記されています。コリントは、プリスキラとアキラが二年間以上にわたって、パウロと共に伝道したところです。兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるように手紙を書いたとあります。このようにアポロをコリント教会に紹介した兄弟たちの中心にプリスキラとアキラがいたことは間違いありません。 このみ言葉の前後を見ますと、まずパウロは、エフェソで少しだけ伝道し、もっと長く滞在してほしいと人々から望まれました。「神の御心なら、阿多戻ってきます」と答えました。そのあと、エフェソの町にアポロがやってきます。このアポロがエフェソの兄弟たちに信頼され、その紹介によって、アポロはコリントへ渡って行きます。そして19章では、アポロの後を埋め合わせるようにして、パウロがエフェソに入ってくるのです。いわば教職の人事が回って行くような巡り合わせですが、その中でプリスキラとアキラが一つの役割を果たしていることに注目したいと思います。 今日、改革派教会の教職人事は中会と言う牧師と長老の会議で決定されます。また、日本イエスキリスト教団のような監督制の教団でも大体は、理事会とか教団の役員に信徒の代表が入ることによって、信徒の働きというものが教派の人事に関わってゆく仕組みとなっています。改革派教会でも招聘委員会と言いう形で信徒が働くのです。それが聖書的であろうと思うのです。 さて今朝の個所では、コリント教会とエフェソ教会の間に、兄弟たちを介したネットワークが出来ていることがわかります。各個教会は決して孤立したものではなく、人的な、あるいは組織的なかかわりを持つことが求められていると思います。 熊本伝道所の委員や会員の方々も、是非、他の教会との関係を作る働きに関わってくださると良いなあと思っています。教会は、牧師だけのものではありません。もちろん信徒のものでもありません、イエス・キリストのものです。しかし主によって信徒の一人ひとりがいろいろな場面で用いられることによって教会は成長発展してゆきます。牧師もまた信徒たちに助けられながら、霊的にも神学的にも成長してゆくのです。もちろん教会は主イエス様を中心とした主のものでありますけれども、主イエス様は、人を用いて下さる、このことを信じたいと思います。 祈ります。 天の父なる神さま、主イエス様の恵みを覚えて感謝します。今朝の御言葉において良い働きをしたプリスキラとアキラのことが記されています。牧師だけでなく、教会が兄弟姉妹によって支えらえています。どうか、すベての教会の信徒たちを強めて下さり恵みを増し加えてください。主の名によって祈ります。アーメン。
2020年2月9日(日)北神戸キリスト教会 朝拝説教
使徒言行録18章24節~28節「雄弁家アポロ」
主題;信仰の教育(1)
1、
父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
先週は、黒川先生にルカ福音書15章の御言葉から説教をしていただきました。今朝は再び使徒言行録に戻ってきました。
今日、皆様の手許に2026年の年報が届いていると思います。昨年の出来事という項目にはその週の日曜日に語られたみ言葉の個所がすべて記しています。振り返ってみますと昨年一年間は基本的に使徒言行録の御言葉を聞いてきました。使徒言行録の説教は一昨年の6月から始められています。それから約一年半かけて、今朝は18章の終わりのところまでやってきました。初代教会の大伝道者である使徒パウロは、三度の宣教旅行とローマへの旅を通して、広大なローマ帝国のいろいろな国や地域を巡り、まさに当時の人々の意識でいうならば、全世界をまたにかけて福音を伝えました。
今朝のみ言葉の24節から28節にはパウロの名前は一切登場せず、もっぱら伝道者アポロと、当時エフェソにおりましたパウロの同労者のプリスキラとアキラのことが記されています。そして19章からパウロのエフェソ伝道のことが本格的に記されています。
今朝は24節からお読みしましたが、その前の23節にこう書かれていたことに改めて目を向けたいと思います。23節「パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力つけた。」
パウロの伝道旅行はこの23節から、これまでとは完全に違う段階に入っていることがわかります。つまり、22節で、第二次伝道旅行はもうすっかり終わっていて23節からは、すでに三次伝道旅行が始まっています。
面白いことに、カトリック教会の公式訳でありますフランシスコ会訳聖書では、この23節一節だけを一つの独立した段落にしています。23節の前に「パウロの第三次宣教旅行」という大見出しを付けて、その中に11個の小見出し付きの段落を入れ込みます。そして23節には、小見出しを付けないで大見出しの「パウロの第三次宣教旅行」全体の序文のようにしています。
23節のはじめに「パウロはしばらくここで」とあります。パウロの母教会でありますアンティオキア教会に帰って来たパウロは、ここでしばらく過ごしたということです。15章から始まった第二次伝道旅行のはじめには、パウロたちは「兄弟たちから主の恵みをゆだねられて出発した」と15章40節にあるように、アンティオキア教会で、きちんとした派遣式をして出かけています。けれども、この第三次伝道旅行ではそのような区切りを示すような言葉はありません。
「しばらく過ごした後、また旅に出て」、何かそっけないようなみ言葉です。おそらく、この時になりますと、パウロの伝道は、自分でテント造りの仕事をしたり、あるいはフィリピ教会や他の教会からの資金で伝道するようになっていたり、アンティオキア教会からの援助なしに、かなり自由に伝道する、そういう形になっていたのではないかと思われます。
もちろん、あのパウロ先生、いつの間にかいなくなってしまったなあというようなことではなくって、きちんと教会に挨拶し、伝道のための祈りをお願いして旅立ったと思います。けれども、この第三次伝道旅行はアンティオキア教会の働きとしてではなく、パウロの自由な働きとしてなされた可能性があります。そういうわけで、ずっと後の26章でパウロの第三次伝道旅行が終わって、27章から、パウロのローマへの旅が始まりますが、そのときは、もうアンティオキアには帰っていないのです。
パウロは、旅に出まして、アンティオキアから西へ西へと進みます。第二伝道旅行のときに伝道した町々を巡って弟子たちを力づけました。今回は、以前に聖霊から伝道を禁じられたエフェソに向かいます。そこには、パウロがコリントで共に伝道したプリスキラとアキラ夫妻がおりました。そして、このプリスキラとアキラこそが、エフェソ伝道を語る今朝のみ言葉の中で大きな働きをしたものたちでありました。
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このエフェソでの伝道の様子は、このあと19章全体にわたって詳しく記されます。今朝のみ言葉では、アポロという伝道者が、登場します。彼は、まだパウロが到着する前の時期にエフェソにやってきました。アポロという人は、今朝のところ以外に、第一コリントの1章、3章、4章、16章、そしてテトスへの手紙3章にも名前が出てくる優れた伝道者です。
パウロは、コリント教会に向けて書いた手紙の中で、そのコリント教会に対して、「わたしは植え、アポロが水を注いだ、しかし、成長させてくださったのは神です」と書いています。コリント教会の建設に対するアポロの貢献を評価しています。またアポロは、パウロがコリントの教会に手紙を書いたころには、パウロと共にエフェソで伝道していたようです。第一コリントの16章12節には「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように」∼これはコリントへということですのでコリント行きについて「しきりに勧めたけれども、彼は今行く意思はまったくありません」と書かれています。このアポロがパウロに先立ってエフェソにやってまいりました。
24節をお読みします。
「さて、アレキサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。」
アレキサンドリアの街は、北アフリカにあって、現在でも首都カイロに次ぐエジプト第二の都市です。パウロの時代にはさらに目立った大都市で、地中海世界の大きな港町の一つでした。当時の人口は100万人を超えていたと言われます。この町の基礎を据えたアレキサンダー大王の後継者プトレマイオス1世が、世界中から有名な学者を集め、また巨大な図書館を建設して、商業や物流だけでなく、この町を一大学術都市にしたと言います。沢山のユダヤ人が住んでいまして、旧約聖書のギリシャ語訳として知られるセプチュアギンタ、70人訳聖書もこの町で造られました。
アレキサンドリアで生まれ育ったアポロは、雄弁家であったと書かれています。雄弁家と訳されているのは、「ロゴスの人」という言葉です。言葉の人、学識の人という意味の言葉です。「聖書に詳しい」というのは、もちろん旧約聖書を良く学んでいる人のことです。つまりもともとはユダヤ教の教師の一人ではなかったかと思われます。けれども、「この人は主の道を受け入れていた」とありますように、主イエス様の道、主イエス様の弟子となったのです。
エフェソの町のシナゴーグでは、パウロが18章19節から21節にありますように、第二次伝道旅行の終わりに立ち寄って短期間福音を伝えていました。そのとき、ユダヤ人や神を畏れる異邦人たちから、もっと長く滞在してほしいと頼まれた、そういう場所であります。ここげアポロがやって来て、この町のシナゴーグで旧約聖書を論じたというのです。アポロは、その雄弁を生かして、ユダヤ会堂、シナゴーグで大胆に福音をかたりました。アポロがイエス・キリストの福音を語ると人々は熱心に耳を傾けたかと思います。
アポロは、イエス・キリストのことについて熱心に語り、正確に教えていましたけれども、25節に「このアポロは、ヨハネの洗礼しか知らなかった」とも書かれています。この書き方ですと、いかにもアポロには決定的な欠けがあったような印象です。しかし原文は、否定形ではなく肯定形で、「ヨハネの洗礼だけを知っていた」、こういう文章です。
いろいろな聖書の翻訳の中では、うまく訳していると思われる文語訳聖書の18章24節、25節を読みます。「時に、アレキサンドリア生まれのユダヤ人にて聖書に精通したるアポロという能弁なるものエペソに下る。この人は、さきに主の道を教えられ、ただヨハネのバプテスマを知りたるのみなれど、熱心にしてつまびらかにイエスのことを語り、かつ教えたり」
このアポロの伝えた福音には何か決定的な問題があったかのような説が学者たちの間で行われています。こう言うことです。
洗礼者ヨハネが、人々に授けた洗礼は、福音書によると悔い改めの洗礼であって洗礼者ヨハネはこのように言って、人々に主イエス様の到来を告げました。
「わたしは悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れている。その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」マタイによる福音書3章11節のみ言葉です。
この洗礼者ヨハネの預言通りに、主イエス様は、復活し天に昇られた後に、弟子たちに聖霊を送って、ペンテコステ、聖霊降臨の出来事が起こりました。
このことから、アポロが伝えた福音は、ヨハネの洗礼の福音、つまり悔い改めて正しい道に立ち帰る、それによって救いを得るという、いわば律法主義にとどまるものだった。従って主イエス様の十字架の罪の赦しとそれを信じさせる聖霊の働きのない福音だったと主張する説教者や学者が多くいるのです。そのためにアポロが福音を語っているのを、プリスキラとアキラが聞いておりまして、何か違う、これは決定的に違うと感じるものがあったというのです。そこで、二人は、アポロを自分の脇に呼び寄せる形で、もっと正確に神の道を説明したと26節にあるので、プリスキラとアキラは、この時とばかりパウロ譲りの十字架と復活の言葉、そして信仰のみによる罪の赦しの福音を教えたのだというのです。
しかし、それは読み込みすぎであるように思います。この個所の聖書の言葉をただ読む限りは、そのようなことを想像することは全くできません。
注目したいのは、エジプトのアレキサンドリアにおいてなのか、そこからはるばるエフェソにやってくる間なのかは、わかりませんが、とにかくアポロは、主イエス・キリストの道を受け入れていたこと書かれていることです。そして彼は召しを受けて、伝道者となり、イエス・キリストについて正確に教えていた、こう書かれていることです。
アポロが会堂で、この道を正確に教えたとあります。「教えた」という言葉は、元の言葉では単に知識を伝えるのではなく、教育するという意味があります。カテキズムと言う言葉のもとになっている言葉です。イエス・キリストについて正確に教えたということは、十字架や復活、聖霊の働き、主イエス様を信じる信仰による救いを含まないということは考えられません。
そしてプリスキラとアキラは、「もっと正確に」神の道を説明したと書かれています。この「正確に」と言う言葉と「もっと正確に」と言う言葉は、同じギリシャ語です。プリスキラたちが教えた仕方は、その比較級ですね、「もっと正確、より正確に」教えたのです。アポロの教えには決定的な欠けがあった、不正確だったということでは全くありません。
ただアポロの場合は、洗礼のことになると、ヨハネの洗礼だけを知っていた、あるいはヨハネの洗礼を受けていただけだったということだと考えられます。つまり主イエス様が、弟子たちに命じましたのは「父と子と聖霊の名によって授ける洗礼」でした。そこで、アポロの説教を聞いていたプリスキラとアキラは、この洗礼、つまり「父と子と聖霊の名による洗礼を受けるように」という勧めを、彼の教えに加えるように求めたのではないかと思います。
3、
プリスキラとアキラは、教師でも専門の伝道者でもありません。そうでありますが、いわば牧師たちを支える今日の教会役員のように、パウロを支えました。またパウロがアンティオキアに帰ったあとも、エフェソの町にとどまって小さな群れを支え続けたのであります。シナゴーグに集って、主イエス様を周りの人に伝え、そしてアポロの説教を熱心に聞きました。
わたくしは、教会が誕生し成長し、発展してゆくということにおいて、そこに遣わされている伝道者、牧師の働きの大きさを思わないわけにはゆきません。同じ群れであっても、そこに遣わされた牧師が変わりますと、教会全体が水を得た魚のように活発に動き出すことがあります。その反対もあります。もちろん、伝道と教会形成は、人間の業ではなく神様の御業です。しかし、それは人を用いてなされるものであります。従って伝道者、牧師は怠惰であってはならず、勤勉に、熱心に働かなければなりません。そして、そこでは同時に、牧師の生い立ちや賜物というものが用いられるのです。それは一人ひとり違うものであります。神様は、天使を用いて伝道するのではなく、生身の人間を用いて福音を伝えようとなさいます。ですから牧師が交代すると教会もまた変わって行くことは間違いありません。
しかし、わたくしがいつも思っていることは、そこに集っている信徒や役員の働きです。どんなに優れた伝道者も一人で働くのではありません。その教会に、誰が集っているのかと言うことが牧師以上に重要だと思います。
わたくしは、神様の恵みであると思いますが、洗礼を受けてから、献身して神学校に入るまで、牧師ではなく約20年余りの信徒の生活を致しました。伝道者委員や、長老も経験しました。そこでやはり、牧師と共に奉仕する会員の働き、とりわけ、委員や長老執事の働きが本当に大きいことを知りました。それは牧師になって、ますます感じている事でもあります。
小さな群れが、伝道所となり、教会となって行く、成長発展してゆく教会には、必ず熱心な役員が備えられています。優れた賜物を与えられた役員がいる教会の働きは、また優れたものとなる、こう確信しています。
プリスキラとアキラ夫妻は、そんな優れた教会役員の模範になるような人達だと思います。プリスキラとアキラは、アポロの説教を聞きながら、何か足りないものに気が付きました。その時、どうしたのでしょうか。アポロを招いて、話をしたと書かれています。招いてと言う言葉は、自分のところに受け取るという言葉です。マルコによる福音書8章32節で、ご自身の十字架と復活を予告された主イエス様を12弟子の頭であるペトロが、諫めるという場面があります。「主よそんなことがあってはなりません」と言うペトロの言葉がマタイによる福音書に書かれていますが、そのとき、マタイによる福音書とマルコによる福音書の両方に、ペトロは「イエスを脇にお連れして」とあります。この脇にお連れするという同じ言葉が、アポロに対してプリスキラとアキラがしたこととして用いられています。説教を聞いて、その場で、皆の面前で、例えば立ち上がって、それはおかしいとか、これが語られるべきだと言った、そういうことではありません。
これからもアポロの説教を聞く会衆が躓かないように知恵を絞っている、あるいはそのような愛に満ちた振舞いが身についているのです。このプリスキラとアキラの配慮に満ちた行動は素晴らしいものです。そして、たとえ信徒であっても、聖書解釈や説教について自分の思うことを説教者の成長を期待しながら伝えるのです。
4、
27節以降には、アポロがエフェソからアカイア州のコリントで伝道するようになった経緯が記されています。コリントは、プリスキラとアキラが二年間以上にわたって、パウロと共に伝道したところです。兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるように手紙を書いたとあります。このようにアポロをコリント教会に紹介した兄弟たちの中心にプリスキラとアキラがいたことは間違いありません。
このみ言葉の前後を見ますと、まずパウロは、エフェソで少しだけ伝道し、もっと長く滞在してほしいと人々から望まれました。「神の御心なら、阿多戻ってきます」と答えました。そのあと、エフェソの町にアポロがやってきます。このアポロがエフェソの兄弟たちに信頼され、その紹介によって、アポロはコリントへ渡って行きます。そして19章では、アポロの後を埋め合わせるようにして、パウロがエフェソに入ってくるのです。いわば教職の人事が回って行くような巡り合わせですが、その中でプリスキラとアキラが一つの役割を果たしていることに注目したいと思います。
今日、改革派教会の教職人事は中会と言う牧師と長老の会議で決定されます。また、日本イエスキリスト教団のような監督制の教団でも大体は、理事会とか教団の役員に信徒の代表が入ることによって、信徒の働きというものが教派の人事に関わってゆく仕組みとなっています。改革派教会でも招聘委員会と言いう形で信徒が働くのです。それが聖書的であろうと思うのです。
さて今朝の個所では、コリント教会とエフェソ教会の間に、兄弟たちを介したネットワークが出来ていることがわかります。各個教会は決して孤立したものではなく、人的な、あるいは組織的なかかわりを持つことが求められていると思います。
熊本伝道所の委員や会員の方々も、是非、他の教会との関係を作る働きに関わってくださると良いなあと思っています。教会は、牧師だけのものではありません。もちろん信徒のものでもありません、イエス・キリストのものです。しかし主によって信徒の一人ひとりがいろいろな場面で用いられることによって教会は成長発展してゆきます。牧師もまた信徒たちに助けられながら、霊的にも神学的にも成長してゆくのです。もちろん教会は主イエス様を中心とした主のものでありますけれども、主イエス様は、人を用いて下さる、このことを信じたいと思います。
祈ります。
天の父なる神さま、主イエス様の恵みを覚えて感謝します。今朝の御言葉において良い働きをしたプリスキラとアキラのことが記されています。牧師だけでなく、教会が兄弟姉妹によって支えらえています。どうか、すベての教会の信徒たちを強めて下さり恵みを増し加えてください。主の名によって祈ります。アーメン。