2026年01月04日「神の御心ならば」

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聖書の言葉

使徒言行録 18章18節~23節

メッセージ

2025年1月4日(日)熊本伝道所 朝拝説教

使徒言行録18章18節~23節「神の御心ならば」

1、

 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

 今朝の聖書個所の18章22節には、パウロが、ギリシャのアカイア州の港ケンクレアイから船にのりまして、約4∼500キロほど離れたエフェソに着き、そこから、さらに船出して、およそ千キロは離れているカイザリアに上陸したことが書かれています。そのあとパウロは、まずエルサレムに上って、そのあとに、母教会のアンティオキア教会に戻りました。そこで今朝の説教題は、当初は「パウロ、母教会に戻る」と付けまして先週の週報に予告したのです。しかし、その後思い直して、21節の使徒パウロの言葉から別の説教題に変更しました。土曜日の午後の変更なので、今朝の週報には変更前のものが記されています。

21節でパウロは、もぅすこし滞在して欲しいと願ったエフェソ教会の人々にこう言っています。「神の御心ならば、また戻ってきます」

パウロはこの後19章で約3年間、腰を据えて伝道することになるのですが、この18章では確たる返事はせず「神の御心ならば」と言って、将来に含みを持たせたまま断っているのです。

「神の御心ならば」

 さて、18節の終わりにパウロは、このとき、誓願を立てていたと書かれています。それはどんな誓願であったのでしょうか。

 そもそもパウロは、アンティオキア教会から派遣された海外宣教師でした。このたびの第二次伝道旅行、おそらく2年以上はかかったと思われますが、これを終えて、その報告をするため、また母教会でしばしの安息を得るために、アンティオキア教会に帰って行ったのであります。

 パウロは、アンティオキア教会に戻る前にエルサレムを訪ねています。エルサレムに立ち寄った目的は、22節をご覧になってください。「教会に挨拶をするために」と書かれています。

 エルサレム教会は、主イエス様の直弟子である12使徒たちが最初に立てた、すべての教会の母教会、いわば総本山の位置にあります。パウロが異邦人に伝道することも、このエルサレム教会で開催されたエルサレム使徒会議によって承認されたことでした。パウロは、ただ「こんにちわ、帰ってきました」とあいさつすることのためだけにエルサレム教会を訪ねてきたわけではもちろんありません。

 もともとパウロの異邦人伝道、そしてそれに基づく伝道旅行自体が、使徒言行録15章に記されているエルサレム使徒会議で定められたと言ってもよいのです。異邦人が救われていること自体は会議のすべてのメンバーにとって大いなる喜びでした。その上で、異邦人がイエス・キリストを信じたときに、割礼をはじめとする旧約聖書のさまざまな律法を守るべきか、あるいはそうする必要はないのかを使徒会議では議論しました。その結果、異邦人は割礼を受けなくともよい、ただユダヤ人クリスチャンを躓かせないために、暫定的な食事規定と行動規範を守るようにという、いわゆる使徒教令が決められました。パウロの伝道旅行は、元来は、この使徒教令を各地の教会に伝達することから始まっています。しかしパウロは、途中から多くの開拓伝道をすることになりました。パウロは、そのことの報告をしたかったのでしょう。各地の伝道の成果や困難を知らせ、今後も祈りを共にするためです。教会は、孤立しているのではなく、祈りのネットワークの中で人が行き来して進んで行きます。さらにパウロは各地でエルサレム教会への献金を募っていましたので、それを持参するという目的もあったと思います。貧しい人への援助、つまり飢饉と迫害のために貧しくなったエルサレム教会を、異邦人の教会を含む諸教会が覚えて援助をすることもエルサレム使徒会議で合意されたことでした。

 しかし、エルサレム行きの目的は、それだけではない、わたしは考えています。パウロはやはりユダヤ人であります。それも元来はファリサイ派に属する教師です。割礼を受けなくては救われないと反対した頑固なユダヤ主義キリスト者と戦ったパウロですけれども、やはり神の民の恵みの歴史の中心点であったエルサレムに対しては特別な思いがあったのではないかと思うのです。

第三次で伝道旅行の終わりに、パウロはエフェソ長老たちをミレトスの港に読んで決別の説教をします。そのとき、パウロはこう言っています。使徒言行録20章22節からお読みします。「そして今、わたしは霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか何もわかりません。」24節の終わり「神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命さえ決して惜しいとは思いません」、また、その前にある20章6節には「五旬節にはエルサレムについていたい」と言っています。

エルサレムのユダヤ人たちに福音を伝えたいという思いがパウロにはありました。このこととパウロの誓願とは感銘があるのではとわたくしは思っています。

なぜならエルサレムのユダヤ人たちの大半はイエス・キリストを神の御子、救い主であると認めていなかったのです。パウロは、いわば総本山のエルサレムを訪ね、彼らとの絆を再確認したのだと思います。それから母教会アンティオキアに戻りました。

今朝のみ言葉の中に、「パウロは誓願を立てていたのでケンクレアイで神を切った」と書かれています。後で詳しくふれますけれども、これはナジル人の誓願と呼ばれるユダヤ人の習慣の一つであります。パウロを含めて初代教会のユダヤ人クリスチャンたちは、主イエス様を信じた後も、これまでのユダヤ教の生活習慣の中で生きていることを示しています。やはりユダヤ人であるパウロのエルサレムへの思いは強いものがあったと思うのです。

2、

 パウロのシリア州への帰還には、コリントで共に伝道したプリスキラとアキラも同行しました。二人は、ローマからコリントへ逃げてきたクリスチャンのユダヤ人夫婦です。パウロと同郷であり、さらにテント職人という職業も同じでしたので、コリントでは使徒パウロと同じ家で生活し、また伝道した同志であります。アキラが夫であり、プリスキラは妻ですけれども、ここから先は、当時のユダヤ人の習慣に敢えて反するようにして、妻のプリスキラがいつも先に書かれるようになります。福音の宣教、パウロへの支援という面では妻であるプリスキラの存在が大きかったことを表しているのです。

パウロは、ローマの信徒への手紙の16章で、この二人について「わたしの協力者」、また「命がけでわたしの命を守ってくれた人たち」と紹介しています。プリスキラとアキラ夫妻は、後にローマにもどり、パウロが手紙を書き送ったローマ教会のメンバーになっていたことが、ローマの信徒への手紙の末尾の挨拶のところからうかがえます。

パウロと共にコリントを船出したこの二人は、最終目的地のカイザリア、あるいはエルサレムまでパウロと同行することはなく、途中にあるアジア州の都エフェソでパウロを見送っています。

その理由は、明確に書かれてはいませんが、考えられる理由の一つは、この後、パウロは第三次伝道旅行で、エフェソで三年間もの間、腰を据えて伝道することになりますけれども、パウロは、このときすでにそのことを願っていたのではないか。あるいは予測していたのではないかといいうことです。そこで後々のためにエフェソに伝道の拠点をあらかじめ作るようにプリスキラとアキラに依頼したということです。実際、このあと、プリスキラとアキラは、引き続きエフェソに住み、ユダヤ教の会堂に出席して伝道しています。そして、そこにやってきた雄弁な伝道者アポロと出会い、彼に対して、かつてパウロが教えた、いっそう正確な神の道を教えています。また、この夫妻を含むエフェソ教会の兄弟たちは、コリント教会に手紙を書いてアポロのコリント行きを助けています。

 

3、

 さて、パウロはシリア州に旅立つ直前に、ケンクレアイというコリントの港町で「誓願を立てていたので髪を切った」と書かれています。「髪を切った」と訳されている言葉は、髪をそるという言葉で、「髪の毛に剃刀をあてた」ということです。単に身だしなみのためではなく、これはユダヤ教で行われているナジル人の誓願の一種として、これまで伸ばしていた頭の毛に剃刀をあてた、髪を切ったということです。

 ナジル人の誓願といいますのは、旧約聖書民数記6章に規定されているものです。特別の誓願を立て、主に献身してナジル人になるなら、ぶどう酒と強い酒とぶどう液も口にせず、頭に剃刀をあてず、また死体に触れることなく、その期間を過ごすと定められています。期間満了のときには、祭壇に捧げものを捧げ、献身のしるしであった伸びた髪の毛を切って、和解のささげものと共に祭壇で焼くことが定められています。

 ナジル人の期間は、特に定められていませんが、最低30日間、時には終生ナジル人として過ごすということもあったようです。聖書では、旧約聖書司式13章から16章に描かれているサムソンは生まれながらにナジル人として捧げられたひとでした。

 誓願を立てる、これは直訳すると誓願を持つという言葉です。誓願と訳されているギリシャ語は、今朝の個所ともう少し進んだ使徒言行録21章23節、そしてヤコブの手紙5章15節「信仰に基づく祈りは病人を救い」と訳されている時の「祈り」と訳されているところに、合わせて三か所にしか出ない新約聖書では珍しい言葉です。「誓い」と言う意味と共に「祈り、願い」という意味があります。

 ユダヤ人たちは、神様に何か特別な祈りがある時に、酒を断ち、また髪の毛を一切切らずに伸ばしておくことによって、自分がその祈りに集中しているしるしと致しました。教会では、断食祈祷ということが時に行われます。それに似ているところがあると思います。日本でも、何か願いがあるときに酒絶ち、禁酒をする、あるいは茶絶ちをするということを聞きます。いわば、願掛けです。パウロの誓願は、異教の神に対するものではなく、イエス・キリストの父なる神への誓願であります。

 これは旧約聖書の律法によるユダヤ人の宗教的な行為です。考えてみますと、主イエス様の救いに生きているパウロにはふさわしくないように思われます。しかし、パウロはユダヤ人であり、異邦人にはこのようなことを求めないとしても、自分を含めてユダヤ人クリスチャンがこれを行うことは許されると考えていたのです。そして自らもこれを行ったのでした。ユダヤ人パウロの特別な祈りの表現として、髪の毛を伸ばしたままで何日間か、おそらく数か月間すごし、ここケンクレアイの港で、晴れて満願の日を迎えて、頭に剃刀を入れたものと思われます。

 そのパウロの特別な願いは何であったかは記されていません。二年間におよぶコリント伝道、また第二次伝道旅行を終えて母教会に帰還しようとしていますが、その前にエルサレムを訪ねています。パウロはユダヤ人への伝道を願い、同時に次の伝道旅行の守りと祝福を神に願っていたのでしょうか。

 この願掛けを終えて、パウロは、ケンクレアイからアジア州の都、エフェソに到着し、プリスキラとアキラをそこに残します。もともとシリア、つまりエルサレムとアンティオキアが最終目的地ですが、パウロはしばしの時間をも惜しんでエフェソで伝道しました。エフェソの町のシナゴーグでの伝道は、手ごたえのあるものでした。すなわちユダヤ人と神を畏れる改宗した異邦人たちは、もっと長く滞在して話を聞かせてほしいと願ったとあります。しかし、パウロはこれを聞き入れずに、シリア州に向けて船出しました。

 実は、アジア州で伝道することは、パウロがもともと願っていたことでした。この第二次伝道旅行の初めに、アンテオィキアから西に向かい、デルべ、リストラと進んで、いよいよアジアで伝道しようというときに、そこでの伝道を神様から禁じられるという体験をしています。

 使徒言行録18章6節をお読みしますのでお聞きください。

「さて彼らは、アジア州でみ言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。」南にあるアジア州の都エフェソを素通りして、小アジア半島の西の端であるトロアスの港まで直行したと考えられます。

 このとき、エフェソで伝道することは、今は神の御心ではないとパウロは信じたのです。しかしようやくエフェソで働く機会が与えられたのです。パウロが常に意識していたのは会の御心であるのか否かということでした。今回のエフェソ滞在は短期間でした。エフェソで、もっと長くここに滞在してみ言葉を語ってほしいと言われた時、パウロはこう言っています。21節です。「神の御心ならば、また戻ってきます」

 予定していたエルサレム行きを優先して、パウロは、エフェソから船出し、約1000キロの航海に出発しました。地中海は、冬場は風が強く、海が荒れて航海が出来なくなります。船は3月以降でなければ出航しません。

 宗教改革者のカルヴァンが活躍した時代に用いられていたギリシャ語聖書によりますと、パウロは、エルサレムで祭りを祝いたいと願っていたという文言が21節に付け加えられています。現在は、この読みは異読、異なる読みとして退けられているのですが、これを参考にするとパウロは、4月の過ぎ越し祭りか、5月のペンテコステ、五旬祭の祭りのときにはエルサレムに到着したいと考えていたことが推定されます。

 「神の御心ならば、戻ってきます」この時のパウロの心は、エフェソで伝道したいと本当は思っていたのではないかとわたくしは思います。何も、柔らかく断るために、神の御心ならと言ったわけではないのです。アカイア州、コリントを出る時に立てた予定を変えることはできないけれども、きっとまた戻ってくる、こう言いたかったのではないでしょうか。しかし、第二次伝道旅行の初めに、またもや聖霊によってそれは禁じられるかもしれない、もしそうでないなら戻ってきてアジア州の都であるエフェソで伝道したい、こう願っていたのだと思います。

4、

 パウロは、ケンクレアイで、髪を切りました。頭に剃刀をあててもらいながら、パウロはそれまで特別のユダヤ人の願掛けをしながら続けて祈ってきたことについて、神が必ずそれをかなえて下さると信じたに違いありません。しかし同時に、そのような自分の願い、人間の心に浮かんできたあの願い、この願いが必ず実現することはないことも知っていたと思います。

 「神の御心ならば」という条件文は、聖書では「ヤコブの定式」と呼ばれています。それはヤコブの手紙の4章の終わりの14節から16節にこう書かれているからです。

「あなたがたは自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたはわずかの間、現れて、やがて消えゆく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは「主の御心であれば、生きながらえて、あの事やこのことをしよう」というべきです。ところが実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りは、すべて悪いことです。」

つまりわたしたちへの勧めとして、いま目の前に浮かび上がったいる自分自身の願いよりも神の御頃に従うようにとヤコブは告げているのです。

 パウロが「主の御心ならば」と答えたとき、実は、その心の内に、エフェソで伝道することを強く祈り願っていたのではないかと思います。第二次伝道旅行を終えようとするときに、特別の誓願をしていたパウロですけれど、その心に秘めた願いは、明らかではありません。

 旧約聖書の箴言19章21節に「人の心には多くの計らいがある。主のみ旨のみが実現する」」とあります。以前の口語訳聖書の訳は「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨のみが堅くたつ」です。

 主イエス様を信じ、罪を赦され、神の民、神の子とされたわたしたちに与えられる、神様のご計画は、たとえ人間の思いとは違っていても、最後には、恵みに至るご計画であると信じます。断食し、あるいはさまざまな方法によって願掛けをしても、必ずその通りになるのではないことをわたしおたちは知っています。ただ主の御心だけが実現する、そしてそれは恵みに満ちたご計画であることを信じて、今週も歩んで行きたいと思います。

祈ります。

天の父なる神さま、御子イエス・キリストの恵みの中で新しい一年を始めようとしています。最初の主の日の礼拝を感謝します。御心が何であるのか、それは客観的な事、また主観的なこと、それらが複雑に入り組んだ中で実現して行くことを信じます。与えられた条件の名かd絵いつも最善を尽くすことはいつも変わらないあなたの御心と信じます。その結果をも喜んで受ける者とならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。