2025年11月02日「パウロたち投獄される」

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聖書の言葉

使徒言行録 16章16節~24節

メッセージ

2025年11月2日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録16章16節∼25節「パウロたち、投獄される」

1、

 主イエス・キリストの恵みと平和が、今日、このおられるお一人お一人の上に豊かにありますように、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 ただいま、お聞きしましたみ言葉の中で、24節のみ言葉が目に留まりました。「この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足かせをはめておいた」

 いちばん奥の牢、つまりフィリピの町の牢獄、刑務所の中で最も重罪人、あるいは監視が必要とみなされる者が閉じ込められるところです。こんなところに入ろうと思っても簡単には入れないところだと思います。今朝の説教題は「パウロたち、投獄される」といたしました。すなわちパウロたちは牢に入れられ、しかも最も奥の牢に入れられてしまったのです。ペトロを始め使徒たちはこれまでに幾度も投獄されていますが、パウロにとっては初めての経験であります。そしてこのことが、この牢獄の看守一家の救いへとつながって行ったのは、神様の御計画がそこにあったと言うほかはないと思います。

 そもそもパウロが、このフィリピの町にやってきましたのは、思いがけない神様の招きによるものでした。アジア州の西の先端にあるトロアスの港で、パウロはマケドニア人が立っていてマケドニアに招くという幻を神様から見せられたのです。それはアジア州での伝道を聖霊により禁じられたしまった矢先のことでした。パウロたちは、すぐに決心して船に乗り、マケドニアにわたり、その地方の大都市フィリピで伝道を始めたのです。イエス・キリストの福音がヨーロッパへと入って行った瞬間でありました。そのパウロが、どうしてフィリピの町の監獄に閉じ込められてしまったのでしょうか。今朝のみ言葉は、そのいきさつを語っています。

 フィリピに入ってから、パウロたちは、町はずれの川の側の祈り場、つまりユダヤ教の屋外礼拝所のようなところで説教をして、おそらく何週間かの時間が経過したと思いますが、神様がこの礼拝者グループのリーダーのような存在である紫布の商人リディアの心を開いてくださったので、その人たちは皆、主イエス・キリストを信じる信仰を頂きました。リディアの家、おそらく紫布の商いの拠点となっていた事務所兼住宅に関わる人々みなが洗礼を受けました。さらに、リディア自身の申し出によって、パウロとシラスとテモテ、それに「わたしたち」とありますが、その一人であるこの使徒言行録の著者ルカも含めて、宣教団一同がその家に住むことを許され、そこを拠点になって本格的なフィリピ伝道が始まったのです。神様の素晴らしい恵みによって、やがてこのフィリピの町に、パウロたちにとって大切な存在となってゆくフィリピ教会が立てられました。これは建物ではなく、群れのことを言っているのですが、この先、フィリピの教会はパウロたちの伝道を支え続けることになりました。神様のご計画は、本当に人知を超える恵みに満ちたものであると思います。

2,

 さて、事件は彼らがこの家から、川べりの祈りの場所、つまり礼拝所へと向かう道すがら起きました。占いの霊に憑りつかれている女奴隷が、一行に付きまとってきたのです。そして幾日も幾日もパウロたちに向かってこう叫んだというのです。「この人たちは、いと高き神の僕で。みなさんに救いの道を宣べ伝えているのです。」

 こ女奴隷についての説明が、16節の後半にあります。「占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」。彼女は占いをすることが出来たというのです。そいう能力を持っていた。しかもその主人たちに大きな利益を得させるほど、その占いはフィリピの町の人々の間で評判が良かったようなのです。

 「占いの霊」と書いてあります。実は16節の元のギリシャ語には、この霊の名前、固有名詞が記されています。占いの霊ピュソーン。ピュソーンと言うのは、古代ギリシャの中部、パルナッソス山のふもとにあるデルフォイ神殿を守る大蛇の霊だそうです。この霊、ピュソーンには、占いをする力があると信じられていました。

 占いの霊、ピュソーンの霊に憑りつかれていたとあります。このような霊が現実に存在していて人に憑りつくということがあるのかどうかは分かりませんが、周りの人々はそう信じていたということです。しかし、霊的な存在が人に憑りついて、その人を正常でなくしてしまうと言うことであるなら、それは聖書が教えています、悪霊の一種であると思われます。

 悪霊は、神のみ使いと同じように、霊的な存在です。善いことではなく悪いこと、害を及ぼすような霊であり、聖書では悪霊はサタンの支配のもとにあるとされています。悪霊が憑りついた人は、霊肉ともに健康でなくなり、自分の意思に関わりなく悪霊の思うがままに生きるようになります。それは、決して今でいう精神の病ではなく、その人の外から加えられる悪い力による異常な状態なのです。

 この女奴隷の占いは、彼女自身の能力ではなく、ピュソーンと呼ばれる悪霊の働きによるものです。それによって女奴隷の主人たちに大きな利益を得させていたのです。主人たちと複数形が使われているのは、おそらく奴隷所有者の夫婦のことか、あるいは何か組合のような組織があったのかは定かではありませんが、この後のパウロの行動が大問題になっているので、何か組織的な集団があったのかも知れません。

「この人たちは、いと高き神の僕で。みなさんに救いの道を宣べ伝えているのです。」

女奴隷は、パウロたちの後ろからいつもこのような叫びを上げてついて来たと書かれています。悪霊にとっては、救い主イエス・キリストとイエス・キリストを宣べ伝えるものは、ある意味で敵方に属するものです。ですから、これはパウロたちの伝道を助けているのではなく、むしろ妨害している行動です。伝道活動においては、大々的に宣伝してよい時と、そうではなく、伝道対象を守るために、むしろ人々に知られないようにしなければならないことがあります。わたしたちの伝道も同じだと思います。しかし、この女奴隷は、幾日もパウロたちに付きまとってのべつ幕無しに叫ぶので、パウロは困り果ててしまったのです。

そしてついに振り返って、つまり霊に憑りつかれた女奴隷に体を向き変えて命じました。そして悪霊に向かって叫びました。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」

 すると霊は即座に出て行きました。主イエス様から直接に召しだされて、悪霊に立ち向かう権威を与えられた使徒パウロが。主イエスの名によって命じましたから、悪霊はそれに従ってただちに女から出て行ったのです。

 パウロは自分自身の権威や力ではなく、イエス・キリストの名によって、つまり主イエス様ご自身の権威と力よって、この迷惑極まりない霊を追い出し、一人の女性を解放しました。このようにして、主イエス・キリストこそが、神の権威と力をもち、人を癒し、回復させる力があることを明らかにしたのです。

この女奴隷は、すっかり正気に返ってしまったので、もはや占いをすることが出来なくなりました。この人は、本来の彼女自身に立ち帰ることが出来ました。本来の人間に戻ることが主イエス様がわたしたちに下さる救いなのです。それはまさに今、私たち自身が受けている、かけがえのない恵みです。

彼女がこの後にどうなったかは書かれていません。けれども、主イエス・キリストの名によって救われたのですから、きっと主イエス様を信じて、フィリピ教会の一員となった可能性があります。

霊が出て行ったので、女奴隷は、ただの普通の奴隷になって占いが出来なくなったので、主人たちは、利益を得ることが出来なくなりました。フィリピは、ローマ帝国直轄の植民都市でしたから、ローマ市民が多く住んでいました。女奴隷の主人たちもまたローマ市民であり、ローマ本国にいるのと同じように権利を主張して、パウロたちを町の高官に訴えて牢に入れさせたのです。

 これはフィリピの町でパウロたちが経験した最初の迫害ですが、主イエス様を伝えたことが直接の理由ではありませんでした。悪霊を追い出して女奴隷を正気に返したことが原因でした。しかし、パウロは主イエス・キリストの名によって悪霊を追い出したのですから、これに反対、対抗してパウロたちを捕らえることは、主イエス様の名によって行ったことを断罪することです。従って主イエス様の名によって生じた迫害ということが出きると思います。

 教会は、主イエス様によって恵みを受け、主イエス様から救いをいただいたものの群れです。その恵みを伝えて伝道して行く時に、パウロたちのように牢獄に入れられたりすることはあまりないとしても、何らかの摩擦を生じ、恥を受けたり損をしたりすることはあります。必ずあると言ってもよいと思います。しかし、このことを主イエス様にあって忍耐し、しっかりと受けとめて行く時、宣教は主の御心に従って前進してゆくのだと思います。

4,

 女奴隷の主人たちの言い分が、20節と21節に記されています。「このものたちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」

 ローマ帝国の市民は、ロ―マ帝国の皇帝の命令に従うことを義務づけられていました。この時代より前には、ローマ皇帝による外来宗教禁止令がありました。しかしこの頃には、それはすでに忘れられていて、ギリシャ神話の神々やエジプトの神など多くの宗教が入り、町々には多くの偶像が溢れていました。占いの利益が得られなくなった奴隷の主人たちは怒りに任せて、パウロたちを建前だけの理屈によって告発しているのです。

22節には、その場にいた群衆もまた一緒になって二人をせめたてたとあります。すでに、悪霊の働きによって、女奴隷が「この人たちは、いと高き神の僕で、みなさんに救いの道を宣べ伝えているのです。」とさんざん宣伝していたので、パウロたちのしていることは、違う風習、つまり新しい生活を伝えていることだということは街の人々に知れ渡っていました。女奴隷が叫び続けた言葉は、まさにその通り正しいことでした。そのイエス・キリストの救いの道は、ローマ市民が受け入れてはならないものであるかどうかは、このとき明確であったとはいえません。事実パウロは最終的にはローマ帝国の首都ローマで、軟禁状態とは言え、福音を妨げなく宣べ伝えることを許されています。

しかし、このあと300年近くたったローマ皇帝コンスタンティヌスは、ミラノ勅令(313年)でキリスト教を公認し、さらに392年にはテオドシウス1世がキリスト教をローマの唯一の宗教、国教としました。この時のフィリピの人たちにとって、このようなことは想像だにできなかったことだったと思います。

 23節と24節にあるフィリピ市当局の乱暴な行為は、後になってパウロたちから弾劾されることになりますが、当時のローマ法にも反するものでした。ましてやパウロたちがローマの市民権を持つ立場であったのですから、言語道断と言ってもよい不当なものでした。女奴隷の主人たちと町の高官たちとの間には、日頃から、占いによって得ていた利益を通して何らかの深い関係があったに違いないのです。

 衣服をはぎ取り、つまり半身裸にして、鞭で打ち、さらに彼らから見た悪事をパウロたちが働くことがないようにとらえて投獄しました。悪霊を追い出すという大きな力を恐れて、いちばん奥の牢に入れて、足には木の枷をはめたのでした。

 わたしたちがここで思い起こすのは、使徒言行録4章にある使徒ペトロとヨハネの投獄、5章にある12使徒全員の投獄、そして12章にあるペトロの投獄事件です。そして回心前のパウロは、主の弟子たちを脅迫し殺すために、大祭司から認可を得て、使徒だけでなく弟子たち皆を捕らえて獄に入れる働きをしていたことです。そのパウロが、今度は、主イエスの名のために自分自身が獄に入れられ、鞭打ちの刑を受けることになりました。

 今朝の御言葉の最後の節、25節はそのパウロが獄にあって何をしていたかを記しています。「真夜中頃、パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、他の囚人たちはこれに聞き入っていた」

 パウロは、テサロニケの信徒への手紙1の5章で、こう書き送っています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。」

 これは単なる勧めではなく、パウロ自身の日々の生活そのものであったと思います。常日頃から、どんな時も神の愛を覚えて感謝し、喜び、そして祈る生活を送っていたからこそ、牢の中、足を木の枷に固定さえると言う苦難の中でも、共に讃美を謳い、祈ることが出来たのだと思います。

 牢獄の中、しかもいちばん奥の牢の中で、パウロとシラスは神を賛美していました。祈りを捧げていました。そして、それは他の囚人たちだけでなく、」牢を見張っていた看守の心にも届いていたのです。

 12章でペトロに天使を遣わして助け出された神は、パウロたちに対しては、このあと大地震による牢獄の破壊というしるしをもって答えて下さいました。それだけでなく、神は看守の悔い改めと救いという御業をもってもっと大きな恵みを与えてくださったのでした。これについての御言葉は次週にお聞きしたいと思います。

祈りを捧げます。

天におられる、父なる神、御子イエス・キリスTの父なる神、御名を崇めます。11月最初の主の日を迎えて感謝を致します。パウロたちのフィリピ伝道の祝福と苦難を語る御言葉を聞きました。しかし苦難がさらに祝福となり、あなたのご計画が実現していることを覚えます。どうか熊本の地でのわたしあっちの伝道にもあなたの導きがありますようお願いを致します。主の御名によって祈ります。アーメン。