2025年09月14日「エルサレム使徒会議2」

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聖書の言葉

使徒言行録 15章22節~35節

メッセージ

2025年9月14日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録15章22節~35節「エルサレム使徒会議2」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

先週に引き続いて使徒言行録15章の御言葉をご一緒に聞いています。先週は、エルサレム使徒会議1という説教題で15章の前半の御言葉を解き明かしました。パウロとバルナバが指導していましたアンティオキアの教会に、エルサレムから役員クラスの伝道者がやって来たのです。そして、救われるためには主イエス様を信じるだけでは不十分であり、旧約聖書の律法規定に従って割礼を受けるべきであると教え始めたのです。

アンティオキア教会は、エルサレムの遥か北、小アジア半島の付け根にある大きな港町にある教会です。ユダヤ人信徒よりも、広くギリシャで生まれ育った異邦人が多い教会でした。彼らは、地中海各地に離散して住むユダヤ人とは全く違っていて、もともとユダヤ教の戒律には縁がなかった人たちです。パウロやバルナバから、人はイエス・キリストの十字架と復活の恵みによって罪を赦され、新しい命に生きることが出来る、救いを受けると教えられ、聖霊に導かれて主イエス様を信じた人たちでした。しかし本山ともいうべきエルサレム教会から来た人たちから、洗礼だけではなく駄目である、ユダヤ教の割礼をも受け、旧約聖書の律法を守らなければ救われないと聞いて、教会はすっかり混乱し、分裂さえしかねない状態になったのです。

そこでパウロとバルナバが教会から送り出されてエルサレムにのぼり、エルサレムの使徒たちと事柄を協議しようとした、これがエルサレム使徒会議です。先週はこの会議の様子と得られた結論についてみ言葉から学びました。すなわち割礼は必要ない、ユダヤ教の戒律を守る必要もない、ただしユダヤ人と異邦人とが一つの教会で共に礼拝し、交わりをするために、いくつかの守るべき事柄が定められたというものです。

今朝の御言葉は、その会議の結論をアンティオキア教会に伝えるためにどういうことがなされたのかを語る御言葉です。

教会に限らず、いろいろなことを相談し、結論を得るために会議や打ち合わせがなされます。けれども、そこで決まったことが会議に出席しなかった人を含めて全体で共有されると言うことが大切です。キリスト教会は全てが神様によって導かれるから上意下達、以心伝心で良いなど言うことはありません。この世的な知恵や習わしに従うことはないなどと言うことは出来ません。むしろ聖書自体が、そのようなキチンとした手続き、理に適った配慮がなされることをわたしたちに教えているのだと思います。

昔のことですけれども、埼玉県にあります上福岡教会の開拓にCRCのブルノギ宣教師と一緒に携わった岩永隆至牧師という方がおられます。実は奥様の愛子姉妹は市会議員をしておられました。若いころから教会で牧師とともに働かれた方で、社会で何かの組織に属していたということはなかったのです。しかし、地域から推されて議員になった時に、議員として必要な振舞い方や経験は教会で身につけましたと言ってはばからなかった方です。教会生活、信仰生活が一般社会においても役に立つ、むしろ模範となるようなものでありたいと思うのです。

先ほどお聞きしましたみ言葉の中で、二つの言葉が繰り替えされていることが心に留まりました。一つは、「決めた、決定した」という言葉が22節から29節の間に3回出てきていることです。何が決まったのかわからないような会議ではなく、きちんと結論を得たということですし、決まったことをきちんと伝えたということです。

二つ目は、「励ます」、「励まし」という言葉です。30節をお読みします。「さて彼ら一同はアンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ」さらに32節では、「エルサレムから派遣された使者であるユダとシラスはいろいろと話をして兄弟たちを励まし力つけた」。15章のエルサレム使徒会議の存在と決定がアンティオキア教会全体を励ますものとなり、喜びをもたらしたのです。教会で持たれるさまざまな会議や打ち合わせもまたこのようなものでありたいと思います。

今朝の御言葉の22節から35節の全体を三つの段落に分けることが出来ると思います。最初の段落は、22節と23節で、会議で得られた結論をどういう風にしてアンティオキアに伝えることになったのか、そのいきさつを記します。彼らは、会議で決められたことを文書にして、アンティオキア教会に二人の使者に託して届けることにしたのです。そしてパウロたちに同行させてアンティオキアへ遣わしたのです。

二つ目の段落は、23節後半から29節で、託された手紙の中身がここに明らかにされています。差出人と宛先、そして本文があり、最後は「健康を祈ります」という〆の言葉で終わっています。当時の手紙の書式に倣ったものであることが分かります。そしてここには、15章の初めには書かれていなかった、会議開催に至った経緯が、詳しく書かれています。それもエルサレムの使徒の側から見た経緯と言う点で貴重な個所だと思います。最後に守るべき四つの決定事項が記されています。

最後の段落は、30節から35節です。ここには使節団がアンティオキアに無事に到着して手紙が渡されたこと、それが皆に読まれたこと、またその後の出来事が書かれています。使節団は教会の人々から送別の挨拶を受けてエルサレムに帰りました。35節の前には小さな十字のしるしがあり34節が存在しないことが分かります。これはこれまでの聖書翻訳にはあったのですが、今回の翻訳からは省かれた箇所で使徒言行録の最後の272ページに「15の34」としてこう付け加えられています。「しかし、シラスはそこにとどまることにした」。事実シラスは、その後16章以降のパウロの伝道旅行に参加しテモテとともにその名が出てきています。

会議が終わったとき、エルサレム教会がしたことは、得られた結論を文書にして残し、教会からの公的な使者によってアンティオキア教会に届けることでした。もしそうしていなければ、パウロとバルナバだけがアンティオキアに帰って口頭で報告することになりますが、それが真実にエルサレムの使徒たち、長老たち、つまり正式の役員会議で決まったことかどうか疑いが生じることになりかねません。そうではなく、手紙が書かれ、それが託される,それだけでなくエルサレムからも二人の使者が選ばれ、手紙をもってパウロたちに同行しました。そのことによって、この手紙が権威あるものであることがいっそう確実となったのです。本当に行き届いた配慮がなされたのです。使者としてシラスとバルサバと呼ばれるユダが選ばれました。そのこともまた会議で決定されました。ユダの名前に「バルサバと呼ばれる」という但し書きがついているのは、エルサレム教会にはユダと言う名の人が幾人もいたからです。裏切り者のイスカリオテのユダやヤコブの子ユダです。またややこしいのはバルサバ、つまり安息の息子と呼ばれている人も二人いて、使徒言行録1章でイスカリオテのユダに代わる欠員補充の使徒選挙、これはくじ引きでしたが、最後まで候補に残った人の中にバルサバと呼ばれるヨセフの名が記されています。

手紙に記された会議の結論は、アンティオキアで伝道していたパウロとバルナバの主張通り、救いのためには割礼を受ける必要はない、食事に関するモーセ律法を守る必要もないということでしたが、直接的にそうは書かれていないことに注目したいと思います。これは、会議において、割礼派の主張がはっきりあったことに配慮したものではないかと思います。さらにアンティオキア教会や他の地域の教会にいたユダヤ人クリスチャンの多くは、依然として子供たちに割礼を施していた可能性があります。割礼は禁止事項ではなく、ユダヤ人クリスチャンは割礼をしていても良い、子供に割礼を施しても良い、自由だと言うことでしょう。また、できればユダヤ教の律法に適った食事をしたいと言うユダヤ人キリスト者も多くいたのです。

この会議の後に書かれたガラテヤの信徒への手紙2章を見ますと、パウロと一緒にガラテヤ教会で伝道していたペトロが、はじめは異邦人たちと食事の交わりをしていたのに、エルサレムからある人々が来ると身を引き始めた、それでパウロは面と向かって反対したと書かれています。割礼を受けていない異邦人と食事を共にすることに反対する人たちがまだ根強く残っていたことが分かります。その人たちはやはり異邦人も割礼を受けるべきだと考えていたのかもしれません。会議の結論を文書化するときに、敢えて割礼と言う言葉を使わないのは、一種の婉曲的な表現を用いているのではないかとわたくしは思います。

また決定の経緯ついて

28節29節に、ユダヤ人たちに配慮し、教会の一致のために異邦人クリスチャンが守るべき必要事項を4点、決めたと書かれています。これはすべてユダヤ人クリスチャンが、抵抗なく異邦人クリスチャンと共に礼拝し、共に食事の交わりをするために定められたことです。28節に「聖霊とわたしたちは次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました」とあります。聖霊の名がここに登場しているのは、聖霊によって会議が導かれたという確信を表していますし、同時にペトロの証しですね、ユダヤ教を知らない異邦人にも確かに聖霊が働かれたのだという会議でのペトロの主張を反映したものだと考えられます。

「偶像に捧げられたものを避ける」。これは、この後のコリントの信徒への手紙1、の8章を後で読んで下さると良いと思いますが、ギリシャ・ローマの異教宗教の神殿に捧げられた肉が広く市中に出回っていたので、これを食べることはユダヤ人にとっては耐えがたいことでした。「血と絞殺した動物の肉を避ける」。モーセの律法ではレビ記17章、19章にあるように血は命の象徴であり、牛や羊を屠って食べる時には必ず血抜きをすることが求められていました。絞め殺したままで血を含んだ肉を食べることは、ユダヤ人にとっては絶対にしたくないことだったのです。最後に「みだらな行い」を避けるようにとあります。当時のギリシャ世界では、このみだらな行い、つまり姦淫や売春が普通に行われていました。これも敬虔なユダヤ人にとっては赦せないことでありました。

しかし、これらのことは、決して救われるための条件ではありません。主イエス様は、安息日に癒しの業を行い、罪の女と食事を共にし、みだらな思いで他人の妻を見るものは姦淫の罪を犯していると言われました。わたしたちが救いを頂くのは、わたしたち人間の側の何らかの良い行い、完全さに基づくのではなく、主イエス様がわたしたちの代わりに神の命を十字架の上に捧げて下さり、三日目に甦られたことによります。主イエス様を信じる信仰、主イエス様とともにいることだけによってわたしたちは救われるからです。

今日、いろいろな宗教が世の中にありますが、多くの場合に、何らかの善行や捧げもの、掟を守ることによって人は救いを得ると説きます。キリスト教系の異端もまた同じです。エホバの証人が、今朝の御言葉を独自に解釈して、新約時代になっても血を避けなければならない、輸血などはもってのほかである、命がけでこれを守れと教えるのはその典型であります。

しかし、それでは「福音」と言うことは出来ません。わたしたちが救われる道、自由を頂く道は、ただ主イエス・キリスト御自身であります。

 アンティオキア教会の人々は、この手紙を読み、その書かれた結論を喜んで受け入れました。31節にこう書かれています。

「彼らはこれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ」、元の言葉には「決定を知って」という言葉はなく、単に「励まし」を喜んだという言葉です。

 会議の決定事項、また、これを取りまとめた手紙そのものが、騒動と混乱に悩みながら、パウロとバルナバの帰りを待っていたアンティオキア教会の人々にとって大きな慰めでとなりました。大きな喜びを教会にもたらしました。

次の32節を見ますと、パウロとバルナバに同行してきた、エルサレム教会の代表であるユダとシラスは、いろいろと話をして、兄弟たちを励まし力づけたとあります。手紙から励まされ、さらにエルサレム教会の代表たちの説教によって教会は励まされたのです。

 わたしたちが救われるためには、何をすればよいのか、ただただ神の子イエス・キリストを信じ受け入れること、それ以外には何もいらない、割礼も律法もいらない、主イエス様の救いの業を自分自身のために、このわたしのためになされたものと信じること、それだけでよい、これは今の私たちにとってもまた、大いなる励ましであり喜びなのです。

 これは聖霊がお決めになったことだ、アンティオキア教会に届けられた手紙には、そう書かれていました。人間の会議で満場一致で決めたことではなく、それ以上の恵みによって福音が確立された、このことをわたしたちもみ言葉から聞いて喜びたいのであります。祈りを致します。

祈り

ご在天の主イエスキリストの父なる神、御名を崇めます。初代教会がギリシャ・ローマの異邦人社会に福音を宣べ伝え、多くの人々が信仰に入りました時、新たな問題が起こり、教会は真実にこれに対処し、会議を行い、証しと議論を通して、ひとつの結論に導かれたことを感謝します。問題が解決されたとき、教会は励まされ、喜びに満ちました。そして伝道が進んで行きました。そのすべてにおいて神様の導き、聖霊の導きがありました。感謝いたします。現代にいたるまで教会はさまざまな地域、文化の中で福音宣教の働きについています。そのような中で一致がもたらされ、また伝道が進展してゆきますよぅ導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。