2025年07月27日「神の恵みに委ねる」

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聖書の言葉

使徒言行録 14章21節~28節

メッセージ

2025年7月27日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録14章21節~28節「教会ごとに長老を立て」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。毎日、暑さの厳しい日が続いていますが主の守りがありますように。

使徒言行録の御言葉を聞き続けています。使徒言行録は全部で28章までありますけれども、その主題としている内容から前半と後半の二つに分けることが出来ます。13章までがエルサレム初代教会のはじまりと建設、そして各地のユダヤ人への伝道ということが出来ます。そして後半の14章からは、シリア州のアンティオキア教会を拠点とした地中海世界全体への異邦人伝道が主題となります。

キプロス島から始まる第一回宣教旅行に遣わされたのは、パウロとバルナバ、そして助手として選ばれたマルコと呼ばれる若い伝道者ヨハネの三人でした。しかし、キプロス島での伝道が終わったところでマルコはエルサレムに帰ってしまいましたので、そのあとの旅は、パウロとバルナバの二人で行っています。

今朝の御言葉は、このパウロたちの第一回伝道旅行のまとめの部分です。彼らは再びこれまでの町々を再度訪ねて、伝道地ごとに長老を任命して教会を立てたこと、そしてこれからも信仰に踏みとどまるよう励ましたが記されています。

第一次伝道旅行全体を振り返ってみましょう。最初に渡ったキプロス島では魔術師エリマ、彼はユダヤ人で本名はバルイエス、イエスの息子という名前でしたが、この魔術師と島の地方総督を巡る信仰の戦いがありました。総督が信仰に入ったところで三人は対岸のベルゲの港に渡りました。ここでマルコと呼ばれるヨハネは、一人エルサレムに帰ってしまいます。パウロがこの時、ヨハネに対して不信感を抱いたことが15章の終わりに明らかにされています。

次の伝道地はピシディア州のアンティオキアで、主にユダヤ教の会堂シナゴーグで語りましたが、ここでは町中の異邦人までもが会堂に集まってきたことが記されています。ここでこの町のユダヤ人たちがパウロたちに嫉妬し、またその教えに危機感を抱いたことが後々まで影響を及ぼすことになりました。

次の町イコニオンでも、多くの人が主イエス様を信じるようになりましたが、ここでもユダヤ人たちが反感を抱き、街は分裂状態になったと記されています。二人は逃げるようにして東に向かいリストラに行きます。ここでは生まれながら足の不自由な人の癒しをきっかけに伝道が進むのですが、パウロとバルナバはギリシャ神話の弁舌神ヘルメスと、力ある神のゼウスに擬せられて牛と花輪をゼウスの神殿の祭司から捧げられるという事件に遭遇します。

最後の伝道地は、リストラのさらに東のデルベの町で、ここから二人はシリア州のアンティオキアに戻って行くことになります。

先ほどお聞きした21節から28節は、第一伝道旅行の帰り道の記録ですが、往路については、伝道と迫害の様子が町ごとに詳しく記されるという丁寧な書き方でした。しかし復路の方はそうではなく、21節から28節という僅か8節ですべてを記しています。まず、この町つまりデルベでも信じる人が起こされたという伝道の成果が21節前半に短くかかれていますが、そのあとは、多くのことが仮道の順路としてひと続きに書かれています。しかしここには大切なことが三つ書かれています。

その第一のことは、二人が第一次伝道旅行で回った町々を再度訪ねて、弟子たちを励ましたことです。パウロとバルナバの伝道によりそれぞれの町には主イエス様を信じた人々が起こされました。そこに一つのキリストを信じる共同体、群れが形作られていました。しかし、どの町でも彼らを迫害する勢力が力をもっているので、その群れが保たれるように、人々が主イエス・キリストへの信仰にとどまるようにしなければなりませんでした。

「わたしたちが神の国に入るには多くの苦しみを経なくてはならない」。この迫害、人々からの攻撃や妨害に耐えるという苦しみに遭遇するとしても、わたしたちは必ず神の国に入る、入ることになっている。それゆえ希望をもって、信仰に踏みとどまりなさいと勧めたのです。

日本では、多くの人は日曜日には遊びに行ったり、また交代勤務の人は当然のように仕事を入れられたりするということがあります。わたくし自身も26歳で洗礼を受けて45歳まで20年間、信徒の生活をしましたので、人間関係に気を使いながら日曜日の誘いを断るとき日曜日には教会に行くことにしているとはっきりと言えないこともありました。また信仰を持っていることを証しするためには勇気が必要でした。

住んでいる地域の行事に参加を求められても、多くの人は個人的な用事で平気でよそに出かけているのに、自分が出られない理由が信仰によることだということを言い出しにくいあまり、摩擦を避けようと、ついつい礼拝を休んで地域の行事に出るほうが良いと思うような誘惑も感じました。

しかし、時間をかけてそれらを乗り越えてきました。しかし、初代教会の信徒たちの受ける苦しみはもっと直接的なものでありました。町の権力者による迫害ですから、時には街から追い出されたり、財産を取り上げられたりといったこともあったに違いありません。礼拝をするにも隠れてしなければならない場合もあったのです。今日、中国の教会やイスラム教国の信徒たちも同じような苦しみにあっています。しかし、たとえそのような苦難があっても、わたしたちは必ず神の国に入る、永遠の命を完成させることが出来る。これが神様のご計画であり、約束なのです。もちろん迫害や苦しみは軽い方が幸いです。もとの言葉では、苦しみを「経なくてもならない」と訳されているところは、単に苦難、苦しみを経由して、通って、神の国に入らねばならないと書かれています。これはたとえ苦しみを通ったとしても神の国に必ず入らなくてはならない、入ることになっている、という意味です。

わたしたち自身が、今も初代教会の弟子たちのような迫害や苦難を経ないと決して天国に行けないという意味では決してありません。それでもなお、主イエス様を信じるということとそれゆえに苦難を受けるということには密接なかかわりがあります。わたしたちは、苦難や悲しみを乗り越えて必ず神の国に入るのです。

さて、パウロとバルナバがした2つ目のことは、教会ごとに長老たちを立てたことです。これはそこに立てられた弟子たちの共同体、群れのためでした。群れ全体が迫害を乗り越えて救いを全うするために奉仕する教会の役員を置いたのです。「長老を任命し」と訳されている言葉は、「長老たちを選び」と言う言葉です。この言葉の意味は、ギリシャのポリス、民主主義の政治体制の下で議員や役職者を、市民権を持つ市民たちが投票や挙手によって選挙することです。ここでは、主イエス様が12弟子を選び任命したように、パウロとバルナバが会員たちの中からリーダーとなるべき人たちを選んだかもしれませんが、そのときにその群れ全体の同意、賛成を確認するという課程があったことは間違いないと思われます。カルヴァンはここでは投票がされたに違いないと言っていますが、それほど明確な言葉ではありません。

教会は神様がご支配なさるところだから、牧師や長老や委員などといった人間の役職は不要であるとする意見がありますが、それは聖書と初代教会が示すところではありません。パウロやバルナバのように町から町、群れから群れを巡回する使徒たちと別に、その町その群れに堅く結びついて福音を語る長老たちが必要でした。

大切なことは、そこに断食してするような熱心な祈りがあったことです。断食は祈りに集中することです。神様が、この群れを支えてくださるよう、また任命された長老たちを支えて下さるように祈りました。「主に任せた」と書かれています。

パウロとバルナバはその群れを離れてゆかねばなりませんが、この群れを真実に委ねることのできるお方は主イエス様以外にはありません。教会には組織制度が整えられ、役員が立てられる必要があります。しかし最終的には神様ご自身が支え導いてくださるのであり、教会は神様のものであります。

このようにしてパウロとバルナバは、町々を巡り、そのあと彼らが最初にキプロス島から上陸したパンフィリア州の港町ベルゲまで帰ってきます。けれども、そこからキプロス島には渡らず、別の港町アタリアから直接、アジア州のアンティオキアまで船にのって帰りつきました。

彼らが行った第三のことは、彼らを派遣し祈りと献金で支え続けた母教会で信徒たちを集めて伝道報告会を開くことでした。それは到着するとすぐに行われました。何よりも先に、帰還到着の挨拶をし、報告会を致しました。

宣教師たちは定期的に母教会や派遣ミッションのところに帰って、自分たちと共に神様がいて下さった神様がしてくださったことを報告する務めがあるのです。

実は、わたくし自身も宣教師ではありませんが、西部中会の決議と祈りによって、引退教師であるにもかかわらず、この熊本教会に遣わされてまいりました。そして毎年、中会に教勢や財政、主な出来事を報告することになっています。わたくし自身は、皆様から招聘されたのですが実はそれを受けて、中会がわたくしを遣わしましたので、わたくしは熊本のことについて絶えず中会に、具体的には伝道委員会と定期総会に対して責任を負って働いているのです。

パウロとバルナバが派遣元のアンティオキア教会に報告したその内容は、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことでした。パウロとバルナバの伝道旅行は、間違いなく彼ら二人がしたことですが、実はそのすべては神がしてくださったこと、二人を用いて神がなされたことでありました。もちろん周りからは、神様の姿というものは決して見えなかったと思いますが、しかし、彼ら自身は、町々で迫害の手が迫る中でも多くの人が主イエス様を信じたこと、群れが形作られたこと、その群れに長老たちを立てることが出来たこと、そして彼ら自身が福音を語り続けることが出来たこと、すべては神様の恵みの業としてなされたことだと信じました。そして、絶えず神への感謝の心があったのです。

二人は、その神様がしてくださったすべてのことを一言でいえば「神様は異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」であるとまとめています。主イエス様は、ユダヤ人であり、まずユダヤ人に神の愛と神の教えを伝えました。主イエス様は、十字架の上で私たちの罪の赦しのために死んで下さり、そのことによって信じる人すべてが罪を赦され、神様から正しいとみなされ、神様との関係を回復する道を開いてくださいました。イエス・キリストの福音はユダヤの都エルサレムから宣べ伝えられ、そしてついに旧約聖書の神の民であるユダヤ人、イスラエル以外の異邦人、世界中の人が救いを得るように道が開かれました。

信仰の門が異邦人にも開かれた、異邦人が主イエス様を信じて救いをいただくことが出来た、神様がこれからも次々と信仰に入るようにしてくださったことを報告したのです。

門が開かれたという言葉の背後には、門は閉じられていたという歴史の現実があります。日本と違って、中近東やヨーロッパの都市は、城壁に囲まれています。外敵の侵入を防ぐためです。日本の城下町ではお城の周りに堀があり、堀の向こうに門があります。門は出入り口であり唯一外に向かって開かれたところです。しかし、普通は、門は閉じられていて誰も許可なく入ることはできません。

その門を神様が開いてくださるとき、信仰が与えられます。これが信仰の門です。この門が異邦人にも開かれた、神様が開いてくださったと言っているのです。神様が門を開いてくださらなければ、どんなに福音を聞かされても誰も信仰を得ることはできません。この異教の国日本に生きるわたしたちもまた同じです。神様がこのわたしに門を開いてくださったから信仰をいただきました。

ヨハネの黙示録3章20節には、イエス・キリストご自身が戸口に立って門をたたいていると書かれています。これは私たち一人ひとりの心の門です。み言葉は「誰かわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」と続きます。

私たちの心の門を開いてくださるのは神様ですが、しかし、それはわたしたちのほうから門を開けるという仕方でなされるのです。門をたたくというのは、もう鍵は閉まっていない、あなたの方から戸を開けて私を迎え入れて下さいと私たちに促しておられるのです。そのとき、わたしたちは、扉を開いて主イエス様を迎え入れます。このときにお働きくださるのが聖霊の神様です。見ることも聞くこともできない聖霊の神様がわたしたちをして、心の門を開かせてくださるのです。

信仰は、ただ一瞬だけのことではなく、生涯継続するものです。さらに一人一人の人生を重ねて群れを起こし、教会が立てられます。それは一人ひとりの信仰が守られ、支えられるためであり、そこからさらに福音が宣べ伝えられ、伝道が進んで行くためです。神様が異邦人にも信仰の門を開いてくださったとパウロは言いました。今もその門は開かれています。聖霊に導かれて更に奥へ奥へと進んで行こうではありませんか。

お祈りを致します。

天におられる恵みの神、イエス・キリストの父なる神、あなたの計り知れないご計画の中で、この日本にも福音が伝えられ、その数8000と言われる教会が立てられていることを感謝します。

どうかわたしたちは御霊とみ言葉とによって、この後も信仰に踏みとどまり、神の国に入る約束を信じて喜んで歩むことが出来るようにしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。