2025年07月13日「主を頼みとして」

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聖書の言葉

使徒言行録 14章1節~7節

メッセージ

2025年7月13日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録14章1節~7節「主を頼みとして」

1、序

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

今朝のみ言葉に付けられています小見出しには「イコニオンで」とあります。

初代教会の大伝道者、また指導者でもありました使徒パウロと、エルサレム初代教会で主イエス様を信じた伝道者バルナバの二人がイコニオンと言う町に入って伝道をし始めたというのです。

今日の御言葉の直前の13章の終わりの50節から52節をお読みします。

「ところが、ユダヤ人は神をあがめる貴婦人たちや町の主だった人々を扇動してパウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで二人は彼らに対して足のチリを払い落とし、イコニオンに行った。他方弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」

パウロとバルナバは、ピシディア州のアンティオキアとその周辺の地方から無理やり追い出され、そのために、ローマ帝国が建設しました国道、国道と言いましてもそんなに立派な道ではなかったと思いますが、当時の会堂沿いに東へと進みました。そしてイコニオンという町にたどり着いたというわけです。ピシディア州の教会は伝道者パウロとバルナバを失ったわけですが、神様の恵みは素晴らしいと思います。彼らは喜びと聖霊に満たされて元気に働きを続けたと書かれています。

イコニオンは今はトルコ領ですが、みなさんがトルコに旅をしてもイコニオンを見つけることはできないと思います。今は、コンヤと呼ばれていて、人口122万人、トルコで7番目に大きい都市になっているそうです。

 この町は、古代教会では大切な町でした。カトリック教会で、聖テクラ、あるいは乙女テクラと呼ばれている伝説上の女性伝道者がいます。そのテクラが生まれた町がイコニオンだということです。テクラは、アンティオキアからイコニオンに逃れて来たパウロと出会い、その説教を三日三晩聞いて回心します。

まさに、今日の御言葉に記されているイコニオン伝道の実りであったのです。彼女は町の総督と関係がある一人の有力者と婚約していたのですが、信仰上の理由によってこれを解消することになります。そのために有力者の怨みを買います。なんと火あぶりや野獣との戦いなど様々な迫害を受けます。しかし神様の特別な助けによって救われ、ついには伝道者として働くようになttたというのです。新約聖書の外典の一つ、パウロ行伝と言う書物は、このテクラの生涯を中心に書かれています。パウロ行伝は、教文館から出ている聖書外典偽典というシリーズの第七巻によって日本語で読むことが出来ます。ちなみにカトリック教会では9月23日が聖テクラの記念日となっているそうです。

さてイコニオンは、アンティオキアからは100キロ以上離れた町で、街道の要所として古代から栄えていました。ここにもユダヤ人が住んでいて、ユダヤ教の会堂がありました。パウロとバルナバは、これまで訪れたキプロス島やアンティオキアと同じように、まずはその会堂、ユダヤ教のシナゴーグに入ってユダヤ教の旅の説教者として福音を語ったのであります。

この14章の1節から7節、イコニオン伝道を語るみ言葉は、その前のアンティオキア伝道のそれと比べると各段に短いものです。それはパウロの説教が記されていないことによるものです。しかしイコニオン伝道は中身の濃い実に充実したものであって、その充実ぶりは、アンティオキアに優るとも劣らないものであったことが明らかです。

5節には、「二人はそこに長くとどまり」というこれまでにない表現があります。どのくらいの期間であったのかはわかりませんが、二人は、これまでにないほど長い期間、この町で力を尽くして福音を語りました。1節には「その結果、勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った」と書かれています。どの日本語聖書でも「大勢の」と簡単に訳されていますが、もとの言葉は、「多くの満員の人」と訳せる言葉です。びっくりするほど多くの人が信仰に入った、その結果、このイコニオンでは周囲の抵抗や迫害もまた大きかったというべきでしょう。

パウロとバルナバは、もうここにはいられないというほど、アンティオキアから無理矢理追い出されました。彼らは、足のチリを払い落として、言い換えると、この町にきっぱりと別れを告げて街道を東に進みました。けれども、決して力を落とすことなく心機一転、イコニオンで大いに伝道を進めまたのです。それはまさに神様の導き、聖霊のお働きによるものでありました。

2、

パウロは、第一次伝道旅行の帰り道でも、また第二次伝道旅行でもこのイコニオンの町を訪ねて教会を励ましています。また、パウロはテモテへの手紙2の3章10節11節で、イコニオンで受けた迫害の経験について、忘れることのない記憶としてテモテに書き送っています。その部分をお読みします。

「しかし、あなたはわたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、アンティオキア、イコニオン、リストラで降りかかったよう迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは絶えました。そして主がそのすべての迫害からわたしを救い出してくださったのです」。

パウロとバルナバは、イコニオンで驚くような福音の進展とそれに比例するような大きな迫害を受けたということです。町は分裂し、パウロとバルナバはまたしてもこの町を追い出されるのです。それも単に出入り禁止ということではなく、石を投げる、つまり打の刑による殺害の企てまでもが明らかになりましたから、二人は直ちに避難して、さらに会堂沿いの隣町へと向かうのです。

異教の土地でキリストの福音が語られる時、新鮮な驚きや感動、好意と共に、反発、悪意が引き起こされる、このようなことは決してまれなことではなく、むしろ当たり前のことのようです。

パウロとバルナバがイコニオンに入り、最初にユダヤ教の会堂で説教したとき、きわめて多くのユダヤ人とギリシャ人が信仰に入りました。しかし、信じようとしないユダヤ人がこれに反発し、人々を巻き込んで二人を迫害するようになります。信じたユダヤ人と信じようとしないユダヤ人が生まれたのです。

この世で生きています、わたしたちの心、その根っこある罪とその解決に関係する真理が強く告げられるとき、ある人は、それをを受け入れ、ある人は拒否します。基本的に、わたしたちは対立や分裂を好まないものだと思います。しかしある時には、それを恐れずに語り行動すべき時があります。

主イエス様も次のように告げています。ルカによる福音書12章49節「わたしが来たのは地上に火を投ずるためである。」同じく51節「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。言っておくがむしろ分裂だ。今から後、一つの家に5人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである」

主イエス様が別のところで繰り返し言われましたように、主イエス・キリストは世の光です。愛と憐みによって世をお救いになるお方です。そして、わたしたちが平和を愛し、互いに愛し合うこと、和解することを求めるお方です。

しかし、同時に、わたしたちが死から命へと移されて、罪の赦しという決定的な恵みにあずかるためには、決して妥協することのできない一つの選択をしなければならないし、するべきなのです。それは、この世の何かではなく、神を信じること、神様の愛の現れである主イエス様を信じ受け入れることです。

イコニオンの町で、驚くような多くの人が主イエス様を信じました。問題は信じなかった人たちです。彼らが、その話はまたゆっくり聞かせてもらおうと言って、同じ街で平和に過ごそうと言ってくれたらよかったのですが、そうではなかったのです。

生まれたばかりの初代教会の伝道は、聖霊の力に溢れておりましたし、行く先々で波紋が広がり、戦いが生じました。3節にこう書かれています。「二人は長くそこにとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みを証しされたのである。」

「勇敢に語った」というのは、言葉による伝道、主イエス様の救いを語るのです。この時代には、聖霊は、目に見えるしるしによって、主イエス様が本物の救い主であることを証しして下さいました。主イエス・キリストの名によって奇跡的な癒しがなされ、二人が語る福音が真実であり、間違いなく神から来たことを明らかにして下さったのです。この出来事が、街の分裂に拍車をかけたのだと思います。

アンティオキアでの迫害は、パウロとバルナバに対するユダヤ人の妬みが原因でした。このイコニオンでもまた、イエス・キリストに敵対するユダヤ人たちが、パウロとバルナバを迫害し、二人に乱暴するようになったと書かれています。言葉や救いの業では太刀打ちできないので暴力的に立ち向かってきたのです。5節後半「乱暴を働く」と言うのは、シナゴーグから追い出す、あるいは入らせないようにする実力行使をしたのと思います。それだけではありません。町の指導者たちの力を借りて、二人を殺害しようとさえしたのです。「石を投げようとした」とあります。これはユダヤ教における最高の刑罰、石打の刑を意味しています。先ほどこのイコニオンに関わる聖女テクラの伝説を紹介しました。当時の権力者は、犯罪人や気にいらない人物を野獣と戦わせたり、火あぶりにしたりするようなことを平気で行っていたのです。

イエス・キリストの福音の進展、教会の成長とパウロとバルナバに対するユダヤ人や町の当局者の激しい敵意は深くかかわっています。福音の力が人々に深い影響を示せば示すほど、分裂は大きくなり、迫害もまた激しくなってゆくのです。

わたしたちが信仰の戦いをするとき、わたしたちは知恵を絞り、出来るだけ周囲の人々と平和を保つべきです。けれども、決して妥協することが出来ない、妥協してはいけない一線があるのです。具体的に、それが何かは、一律に牧師や教会が指導することではなく、各自が与えられた信仰の良心に従って考えるべきことだと思います。いわゆるカルト教団ではそうではありません。しかし、本来、イエス・キリストの福音は聖霊によって自由をもたらすものであり、そういう中でわたしたちの信仰は成長、成熟してゆくのだと思います。

4,

 3節に「二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った」と書かれていることに心を向けたいと思います。「長くとどまった」と言うのがどのくらいの期間であったのかはわかりません。彼らは最終的には、難を逃れて、近くのリストラ、そしてさらに西に100キロ近い町テルべへと向かいました。

しかし、すぐにそこに向かったのではなく、長くとどまって福音を語ったというのです。パウロによる異邦人伝道では、最も長くとどまった町はエフェソです。使徒言行録20章には彼はエフェソで3年間伝道したとあります。またコリントには1年半とどまっています。このイコニオンでは、そのような長期間とはとても思えません。

「長くとどまった」と書かれているのは、とても留まることが出来ないような状況に対する、強調の表現なのです、だからこそ、「勇敢に語った」、神様から力を頂いて懸命に踏みとどまって福音を語り続けたと書かれているのです。

最後まであきらめないで、勇敢に語る、これは福音伝道の大切な原理原則だと思います。プロテスタントの日本伝道は1859年の横浜から数えると165年、1846年ベッテルハイムの琉球伝道からは179年です。日本伝道の主役は今や日本の教会ですが、これは最後の最後まで続けられなければなりません。

わたしたちの熊本伝道所は年報に記されているとおり1978年に正式に始まっています。常葉家の家庭集会は1974年12月です。もう50年です。

3節は、イコニオンでの厳しい戦いを記していますが、大切なことは、そこに「主を頼みとして」と記されていることです。熊本伝道所の教会形成はなかなか思うようには進みません。しかいs、わたしたちの力を頼りにするのではなく、主を頼りとして。これからも続けてゆくかなければなりません。世の終わりまで、あるいはまた、もう主がこれまでと言われる時まで、わたしたちは、この地で福音を勇敢に語り続けてゆきたいと思います。祈ります。

主イエス・キリストの父なる神様、パウロとバルナバは、困難な中、主を頼みとして、伝道しました。そして状況に負けないで長くとどまり、主を頼みとして福音を語りました。

 周囲の人々の間の平和が壊され、分裂さえもが生まれる中でも、主を頼みとして戦いました。わたしたちもまた主の力によりたのんで信仰の歩みを続けて行くことが出来ますよう導いてください。主の名によって祈ります、アーメン。