2022年09月25日「イエス、五千人を養う」

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聖書の言葉

ヨハネによる福音書 6章1節~15節

メッセージ

2022年9月25日(日)熊本伝道所朝拝説教

ヨハネによる福音書6章1節~15節「イエス、5千人を養う」

1、命のパン

 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

 先週の日曜日は、台風14号が熊本を直撃するという困難の中でありましたけれども、祈って来ました秋の特別集会を無事に開催することが出来ました。講師の申成日(shin suonil)

先生、また弓矢健児(Yumiya kennzi)先生も無事に熊本に来ることができましたし、また、それぞれの帰りの道も安全に導かれました。教会の頭であられます、主イエス様と父なる神に心から感謝しています。

さて、今朝は再びヨハネによる福音書に戻ってきました。この6章1節から15節は、主イエス様が5千人以上の人々を祝福して下さり、その一人一人をもうお腹が一杯になるまで満ちたらせて下さったという恵みの物語であります。

説教題を「イエス、五千人を養う」、と付けました。けれども、少し不正確であったと思っています。それは、10節に、「男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった」と書かれているからです。この物語は、四つの福音書すべてに記されていますけれども、そのすべての福音書が、五千人と言うのは大人の男性だけの数字であったと断っております。当然、そこには女性や子供たちもいたと思われますから、ここで主イエス様が養ったくださった人数は、1万人以上であったと考えざるを得ないのであります。けれども、五千と言う数字が書かれていますので、この個所は伝統的に「5千人の養い」「五千人の給食」と呼ばれてきました。

わたしたちは、5千人、あるいは一万人の人々が主イエス様の周りに集まっている光景をイメージしなければなりません。そしてその人たちの全員が主イエス様からパンを頂きました。

ずいぶん前に韓国のメガチャーチの一つオンヌリ教会の日曜日の礼拝に出席したことがあります。すでに定年でアメリカに戻られましたけれども、ウイリアム・モーア宣教師の奥様でありますアン・モーア宣教師と一緒に伊丹教会の青年会の人たちと訪ねたのであります。ちょうど聖餐式の日で、礼拝堂には、おそらく三千人以上はおられたと思いますが、たくさんの兄弟姉妹たちと一緒に小さなパンとぶどう酒に与かりました。長老たちが、何十人も立って、講壇の前のテーブルからパンとぶどうジュースを受け取り、一人も漏れることがないようにして整然とパンを配り、ぶどうジュースを配っておられました。わたしにとって数千人の人々と一緒に聖餐に与るという経験は、最初で最後のことでありました。余談になりますが、わたくしは、この時、初めてパックされたぶどうジュースの聖餐式に与かりました。プラスチック製の容器は回収せず、各自が持ち帰るようになっておりました。長い間、その容器を記念品として保存していたのですが、幾度も引っ越しをする間にどこかに行ってしまったのは残念であります。

2.

 さて聖餐式の起源は、主イエス様が十字架にお架かりになる前の晩、いわゆる最後の晩餐で主イエス様が弟子たちと食事をした時に遡ります。主イエス様ご自身がいつものように感謝の祈りを捧げ、弟子たち一人一人に裂いたパンとぶどう酒を配って下さいました。そして、これが地上におけるあなたがたとの最後の食事であるという言葉を語られたのであります。その際に、主イエス様は、裂かれたパンはわたしの体であり、ぶどう酒の杯はわたしの血である、これから後、わたしを記念するためにこのように行いなさいと命じられました。

 この聖餐式制定の記事は、ヨハネによる福音書には残されていません。全く書かれていないのです。ヨハネによる福音書の最後の晩餐の記事を読みますと、その代わりに他の福音書には書かれていない洗足の儀式が記録されています。主イエス様が腰に手ぬぐいを巻いて弟子たちの足を洗って下さり、あなたがたも互いに足を洗いなさいと命じられたという記事であります。

もちろんヨハネによる福音書が、聖餐式についてまったく記していないのかと言いますと決してそうではありません。実は、今朝のヨハネによる福音書6章の全体にわたって聖餐式のことが記されているのであります。

 6章全体を眺めてみますと、まず、今朝の個所では主イエス様の五千人養いのことが記されます。そして、そのあと16節から21節の主イエス様の水上歩行の記事を挟むのですけれども、22節から65節まで、主イエス様と弟子たち、また前の日にパンを食べて満腹したユダヤたちとの長い対話が記録されています。この会話はガリラヤ湖のほとりと、カファルナウムの会堂の中でなされたと書かれています。カファルナウムはガリラヤ湖の北の端にある大きな町であります。

この6章は、一つの分岐点であります。ここから、これまで主イエス様に従って来た多くの人々が離れ去ってしまうのです。12弟子だけが残りますけれども、主イエス様は、その12弟子の中に、この先、わたしを裏切るものがいるとおっしゃったのです。6章の最後のところです。21章まであるヨハネによる福音書全体のまだ三分の一のところですけれども、既に十字架のことが出てまいります。そして、その直前に聖餐式に関する決定的な言葉が、主イエス様から語られているのです。

まず35節です。お読みします。「イエスは言われた。わたしが命のパンである。わたしの許に来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」。

次に47節「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。」、51節「わたしは天から降って来た生きたパンである。これを食べるならばその人は永遠の命に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」

そして53節から54節です。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない。わたしは天から降って来たパンである。わたしの肉を食べ、その血を飲む者は永遠の命を得、わたしは終わりの日にその人を復活させる」

他の福音書には記されていない聖餐式の意味が、ここには記されているのでないでしょうか。そして、これらの言葉のすべてが、今日、ご一緒に読んでいます、今回の五千人養いの奇跡から流れ出てきている言葉であることに注目しなければならないと思うのです。

3、

 さて1節をもう一度お読みします。「1 その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。」

ガリラヤ湖は、聖書の中ではいくつもの名前で呼ばれています。ティベリアスコ湖と言う呼び方は、ヘロデ王が紀元29年にローマ皇帝ティベリアスの名をつけて建設した町ティベリアスにちなんだものです。この町の建設以後、ガリラヤ湖はティベリアス湖、ティベリアスの海と呼ばれるようになりました。

主イエス様がここにおいでになったのは、4節にあるように、過越し祭りが近づいていた頃です。過越しの祭りは、昔、イスラエルの人々が指導者であるモーセに率いられて、エジプトを脱出したときに定められました。エジプトの王ファラオが神に従わず、イスラエルの人々を逃がさないので神様の怒りは最高潮に達していました。そのとき、神はイスラエルの人々に、家ごとに子羊を屠り、つまり殺しまして、その血を自分が住んでいる家の柱と鴨居に塗って置くようモーセによって命じました。エジプト全土に神の災いが及び、子供が殺されてしまうというときに、鴨居と柱に子羊の血が塗られていたイスラエルの人々の家だけは災いが過越してゆき、全員が命を得たのであります。

 ヨハネによる福音書では、過越し祭と言う言葉は多く出てくるのですが、この個所のように「過越し祭が近づいた」というように主イエス様の公生涯の中の時間的な流れを示すように書かれているのは今朝の箇所を含めて三回であります。

最初は2章13節、カナの婚礼のあと主イエス様の宮清めと呼ばれている箇所です。そして今日の箇所がありまして、三度目は、11章55節、主イエス様が十字架につけられる最後の過越し祭の箇所です。三回の過越し祭を通るので主イエス様の公生涯、公に働かれた期間は三年間であったとされるのであります。そして過越しの祭りごとに、重要な御業をなさるのです。その三度の過越し祭の二回目、中間点にあるのが今朝の物語であります。弟子たちと歩んだ旅の中間点で、主イエス様が、人々に対して「自分は命のパンであると」公に宣言され、それどころか「わたしの肉を食べ、血を飲む」という誰もがびっくりするような表現で、将来、弟子たちが行うべき聖餐式について語ってくださったのであります。

 この五千人養いの舞台はどこでしょうか。1節には、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ったと書かれています。このあと、一行は湖の向こう側のカファルナウムに戻った(17節)とありますので、今朝の物語の舞台は、ガリラヤ湖の北にあるカファルナウムの斜め向かいのベトサイダの近くの山であると思われます。このとき、主イエス様のまわりには、弟子たちだけでなく、大勢の群衆がつき従っていました。そして主イエス様は腰をおろして目を上げますと、その群集が主イエス様のあとを追って山に上ってくるのが見たのです。

主イエス様は、近くのベトサイダの町出身である一人の弟子フィリポに言いました。この福音書の初めの1章44節には、フィリポが、他の弟子であるアンデレ、ペトロと同様にベトサイダの出身であると書かれています。主イエス様は、この町に詳しいフィリポに問いかけられました。

「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」

6節に、これは、フィリポの信仰を試すためであったと書かれています。弟子たちがパンを買ってきて、これだけの人を養うのは難しい、それは分かり切ったことでした。あなたならどうするか、こう問いかけられたのです。フィリポは答えます。「「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」

 このとき、彼らの手元には最小限のパンしかなかったことでしょう。どこで買えばよいかと言う主イエス様の質問には答えないで、二百デナリオンよりもたくさんのパンが必要だと彼は答えました。一デナリオンは人一人の一日の給料ですから、二百人分の日給、二百デナリオンは弟子たち十二人が、一~二週間くらいは生活できる金額です。12弟子の会計にはそれくらいのお金があったかも知れません。でもそれでも足りない、今あるお金を全部使っても足りません、フィリポはこう言っているのです。実に冷静で合理的な答えであると思います。これを聞いていたアンデレが言いました。「ここに大麦のパン五つと魚二匹をもっている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう」

どうやらアンデレは、自分の近くにいる少年が食べ物を持っていることに気がついて、こう言ったのです。しかし「何の役にも立たないでしょう」。やはり、どうしようもない、フィリポ、アンデレ、二人の結論は、これだけの人に食べさせる方法はありませんということです。人間の力では、どうすること出来ない、そんな状況ですと言うのです。

少年が持っていたのは大麦のパンでした。大麦のパンは貧しい人たちが食べるものであったそうです。ちょうど、昔の日本では農民たちはあわや稗を食べていたことに似ていると思います。貧しい人が食べるパンである「大麦のパン」五つと二匹の魚です。魚は干(ほし)魚と訳している聖書もあります。何か手を加えたおかずとしての魚で、魚のピクルスと訳している辞書もあります。実にささやかな食料しかなかったのです。しかし主イエス様は、この乏しいものを用いて素晴らしい御業をなされたのであります。

 彼らの言葉は、どちらもきちんとした数字を根拠にしている論理的な言葉です。そしてどちらも、否定の言葉で終わっていることに注目したいと思います。わたしたちは、みな主イエス様が願っておられることを実現したいと思っているのですけれども、それでは客観的な数字を見るならば、それは無理だ、それはできないという結論になってしまうのです。フィリポもアンデレも、主イエス様が求めていることに対して、彼ら自身の状況や統計数字をもとにしまして、「それは到底できない、無理です」と答えたのです。

主イエス様は、フィリポを試すために言われたとあります。フィリポの何を試すためでしょうか。彼の計算能力や判断力でしょうか。そうであれば、フィリポもアンデレも立派に合格でしょう。主イエス様は、フィリポの信仰を試されたのです。主イエス様と言うお方は、わたしたちが見ているものを超えたものを見ておられます。わたしたちの力を超えてご自身のご計画を成し遂げる力をお持ちなのであります。

4、

 主イエス様は、まず全員を草の上に座らせました。座ると訳されている言葉は、リクライニング、あるいは横たわるという意味の言葉で、当時のユダヤ人が宴会をするときに必ずとる姿勢です。主イエス様は、これから宴会をすると言うのです。

主イエス様は五つのパンを次々と取って人々に分け与え、そして魚の方も同じように致しました。「感謝の祈りを唱え」とあります。大地の実り、海山の産物を与えて、わたしたちを養って下さる父なる神への感謝です。主イエス様は、人々に欲しい分だけ、つまり無制限に分け与えることがお出来になりました。本当に不思議なことです。そして素晴らしいことであります。

 この宴の席が終わった時、主イエス様は弟子たちに命じられました。「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」

当時は、この時のパンくずのように、人々が食べ残したもの、あるいは収穫し残したものが、貧しいものたちのために用いられました。これは旧約聖書の律法に命じられていることです。レビ記19章、申命記24章には穀物や果物の畑から収穫する時、隅々まで刈り尽くさず、角のところを少し残しておくことや、落ち穂を拾わないで残すようにと命じられます。貧しい人たちがそれを集めるのです。

 ここでは弟子たちが、食べ残しを集めました。そのことによって、12弟子たち、また主イエス様は、貧しいものとして、人々に奉仕する僕としての働きをしていることが分かります。主役はあくまで、主イエス様の宴席に与る人々であったのです。

 弟子たちが集め終わると、12のかごに一杯になりました。主イエス様は、ちょうど、12人いる弟子たちのために配慮して下さったのでしょう。そのパンくずを食べながら、弟子たちの心は感謝と喜びにあふれていたと思われます。どうすることもできないと思ったにもかかわらず、主イエス様の恵みが溢れるほどに与えられ、具体的な必要が全て満たされたのです。

 考えてみますと、主イエス様は、ご自身のうちに神の力をお持ちですから、何も用いずに、石をパンに変え、草を魚のようなおかずに変えてくださることがおできになったはずです。けれども、主イエス様は、そうはされずに、一人の少年の持っていた、とても貧しいものと思われた五つのパンと二匹の魚を用いてくださいました。それらが主イエス様のもとに捧げられた時、思いもかけない豊かなものとして用いられました。また、とても無理ですと嘆いていた弟子たちの奉仕を用いて、五千人、いや一万人以上の人々が養ってくださいました。

けれども、物語はここで終わりませんでした。人々は、ここで主イエス様の御心にはかなわないことをしようと致します。14節に、彼らは「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言って、主イエス様を王にするために連れて行こうとしたと書かれています。主イエス様の時代、ユダの国はローマ帝国の植民地でした。人々はローマ帝国からの解放、独立を願っていました。主イエス様を王にするとは、その民族の悲願を実現するこの世の指導者とすることを意味します。

しかし、主イエス様は、それを知って山へと退かれました。

 国が独立することは大切なことです。また、わたしたちには、毎日の生活に必要な食べる者や着るもの、住むところが必要です。主イエス様を人々の肉体的な必要に答えてくださいました。このような物質的なものの価値を聖書は決して否定することはありません。聖書が否定するのは、それがすべてであって、それさえあれば人間は幸いに生きることが出来るという人間の思いがり、傲慢です。旧約聖書申命記8章3節にこう書かれています。

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」

イスラエルの民がエジプトを出て荒れ野で生活した時、神様は、このことを悟らせるために天からの不思議な食物であるマナを与えられました。

 主イエス様は、石をパンに変えよという荒れ野の誘惑において、サタンに答えられました。

「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」

 ヨハネによる福音書は、1章1節から2節で、主イエス様こそが「神の言葉」であると宣言しました。人はパンだけで生きるのではなく、主イエス・キリストによって生きるのです。主イエス・キリストによって本当の意味で生きるのです。

 群衆は、主イエス様にこの世的なパンを求めました、そして、主イエス様をこの世の王にしようとしました。主イエス様に、ただこの世の王であることを求める、そのことによって、彼らは本当の意味で生きることを自分から絶ち切ってしまったのです。

次週は、聖餐の恵みに与る予定です。主イエスの肉を食べ、血を飲む、主イエスが命のパンであること改めて知る礼典です。わたしたちは主イエス様によって霊も肉も満たされるのです。祈ります。

天地万物の創造者、今に至るまですべてを治めてくださる恵みの神、御名を崇めます。この世の食べるパンではなく、命のパンであるイエス・キリストをわたしたちに与えて下さり感謝いたします。この週も、あなたの恵みの中で歩みをなすことが出来ますよう導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。