2022年05月22日「最初の弟子たち」

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聖書の言葉

ヨハネによる福音書 1章35節~42節

メッセージ

2022年5月22日(日)熊本伝道所朝拝説教

ヨハネによる福音書1章35節~42節「最初の弟子たち」

1、

 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今朝の御言葉は、キリスト教会にとっての最初の伝道について記しているみ言葉であると思います。まず今朝の聖書個所の35節から42節では、もともとは洗礼者ヨハネの弟子であった二人の人が、まず主イエス様に従います。これは、彼らの師匠、先生であった洗礼者ヨハネの勧めによります。同じ日に、その内の一人のアンデレが、自分の兄弟のシモンを主イエス様のもとに連れてきました。そしてシモンは、主イエス様からペトロ、岩という名前を頂いて、合わせて三人の人が主イエス様に従うようになります。次の43節から51節では、アンデレ、ペトロ兄弟と同じ町出身のフィリポ、そして彼の友人であるナタナエルが加えられます。合わせて五人の人が主イエス様に従うようになります。

伝道は、人々を主イエス様の弟子とすることであります。マタイによる福音書の最後のみ言葉は、教会にとって大切な主イエス様の伝道命令はマタイによる福音書の最後、28章19節、20節に記されています。主イエス様は弟子たちにこう命じられました。

「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたおいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる」

今朝のみ言葉は、主イエス様の最初の弟子のことを記しています。このときから2000年以上の歳月が経ちましたが、教会は伝道に励み、主イエス様の弟子は途絶えることなく与えられ続けています。ここに集まっているわたしたちもまた、主イエス様の弟子であります。

弟子と訳されています元のギリシャ語はマセテース、学ぶ、あるいは真似るという言葉からできている言葉です。当時のユダヤ教には、ラビと呼ばれる律法の教師、先生たちがいまして、その人に従い、教えを受ける人が弟子と呼ばれました。英語ではディサイプルと訳されます。同じように優れたリーダーに従いその人から教えを受ける人という意味の言葉ですけれども、ここでは日本語の「弟子」(deshi)と言う言葉の方がぴったりくるように思います。茶道や華道、あるいは落語や講談のような芸の世界、また相撲の世界でもそうですが、弟子と言いますのは先生、師匠と生活を共にするようになる、すなわち「弟子入り」と言うことから学びが始まるのであります。わたしたちが主イエス様の弟子であるということは、主イエス様と生活を共にして、主イエス様から学び、あるいは訓練を受け続けるということであります。

 他の福音書には、主イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けたあと聖霊によって直ちに荒れ野へと導かれ、そこで40日間の断食とサタンの誘惑を受けられたと書かれています。主イエス様は、その後にガリラヤに行き、漁をしていたペトロとアンデレに会い、「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしよう」と彼らを召しだして弟子としました。二人はすぐに網を捨てて従ったとあります。

今朝のヨハネによる福音書が語るアンデレとペトロの主イエス様との出会いは、おそらくそれより以前になされたことだと思われます。つまり、ガリラヤでの出会いに先立ち、二人の漁師たちは、すでに主イエス様から教えを受け、行動を共にした体験があったのです。

アンデレは、ガリラヤの漁師でありましたけれども、はるばるヨルダンのほとりのベタニアまで来て、洗礼者ヨハネの許に来て洗礼を受け、教えを聞く弟子でもありました。ペトロもまたそうであった可能性があります。アンデレもペトロも、今朝のみ言葉において、初めて主イエス様に従うようになりますけれども、まだすべてを捨てて主イエス様と生活を共にし、本格的に教えを受けるまでには至っておりません。将来の使徒、遣わされた者として、人間を取る漁師となるための訓練を受けるまでには至っていなかったのです。彼らはガリラヤに帰り、漁をしながら生活していたのです。

2,

今朝のみ言葉は、最初の伝道の物語ですけれども、同時に、キリスト教会にとって重要な人物になるペトロが、どのように主イエス様に召しだされ、最初の弟子となったかを記すみ言葉でもあります。

 ただ今、お読みしました、ヨハネによる福音書1章35節から42節の御言葉の最後のところにこう書かれています。42節の後半部分をもう一度お読みします。お聞きください。

「イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。」

 ケファをギリシャ語にしますとペトロです。わたしたちはこの人のことを、シモン・ペトロとも呼びますが、このシモン・ペトロと言う名は、わたしたちが思うような姓と名とではないのですね。ペトロというのは主イエス様が、付けられた一種の「あだな」です。つまり「ケファ」、これはヘブライ語の岩と言う言葉で、そのギリシャ語がペトロであります。主イエス様は、ペトロを見て、すぐにあなたはケファだ、岩だ、ペトロだとおっしゃられたのです。全くの初対面でありましたけれども、すでに主イエス様は、ペトロのことを知っていました。どうしてケファ、岩なのでしょうか。ペトロの顔つきが岩石のようにごつごつしていたのでしょうか、それともペトロ性格的や人となりが岩のようだったのでしょうか。

 ペトロと言う人は、この後に、主イエス様の12人の弟子、12弟子のリーダーになります。ヨハネによる福音書の記者とされるヨハネと共に主イエス様から重んじられ、いわば頭の弟子になりました。そして主イエス様が天に昇って行かれ、ペンテコステの聖霊が降った時、真っ先に立って、弟子たちを代表して伝道説教をしたのもペトロであります。

 教会の伝説では、このペトロこそ、初代のローマ大司教、カトリック教会の初代教皇だったということになっています。だからこそ、ローマのバチカンにありますカトリック教会の総本山はサン・ピエトロ寺院、聖ペトロの教会と呼ばれているのです。そしてカトリックの考えでは代々の教皇は、みな、この聖ペトロの後継者として天国の鍵を委ねられるのです。

 わたくしは、そのような解釈は違うと思いますけれども、ペトロという弟子が後の教会にとって大変重要な存在になったということはよくわかります。これほどの重要人物になってゆくペトロに対して、最初に主イエス様のことを紹介し、主イエス様のもとに彼を連れてきたのは、ペトロの弟であるアンデレでした。アンデレと言う人は、聖書全体で三回くらいしか登場しない、どちらかと言えば地味な弟子であります。けれども、この人の最大の功績は、兄あるは弟のペトロを連れてきたことではないかとわたくしは思います。

 現実の教会の伝道の有様を見ますとこのようなことは数多くあります。たとえば、わたし自身は、教会の歴史に残るような働きは出来ないかもしれません。しかし、このわたしが一つのきっかけとなって、主イエス様のもとに来た人が、大きな働きをする可能性はあります。なにも、ここにおられる人のことだけを考えているわけではありませんから安心なさってください。わたしと言う人間は一人しかいません。しかし、わたしが関わる人の数は、もっと多いので、その中から偉大な人物が出て来る可能性は、わたし自身が偉大な働きをする可能性よりもずっと高いのです。人間のつながり、人間の連鎖によって、主イエス様を信じる人、主イエス様に従う人、大きな働きをする人が次々と起こされてゆく、今朝の御言葉は、そのような物語です。

3、

 35節のはじめに、「その翌日」と書かれています。洗礼者ヨハネが、自分自身の弟子たちに向かって主イエス様を紹介し、「世の罪を取り除く神の子羊だ」と叫んだ翌日のことです。ユダヤ教の本山であるエルサレム神殿から洗礼者ヨハネのところへ調査団が使わされてから三日目です。

今朝のみ言葉では、最初に主イエス様のもとに来た二人は、はじめは洗礼者ヨハネと一緒にいます。聖書の中には、「一緒に立っていた」と訳しているものもあります。元の言葉を直訳するとそうなります。「弟子たちと一緒に立っていた。」おそらく場所は道端であります。そこに主イエス様が通りかかるのです。主イエス様は、いずこからかおいでになって、またいずこかへと向かって歩いて行かれるところでした。

おそらく、主イエス様は、ヨハネのところにやって来たのだと思います。しかし主イエス様は、ヨハネのところに長く留まることをしないで、どこかへ去ってゆこうとしておられたのです。言い換えますと、主イエス様はヨハネの教団といいますか、そのグループから離れて自分自身の道を歩み始められるのです。このとき洗礼者ヨハネは、二人の弟子に向かって言うのです。「見よ、神の子羊だ」。これは、自分の弟子たちに向かって、「わたしを離れて、あの人に従って行ってよい」という勧めを含んでいる言葉です。「見よ、神の子羊だ」。

洗礼者ヨハネは、主イエス様に出会い、この方こそまことの神の人、聖霊で洗礼を授ける人であると言いました。しかしその時に自分の教団を解散してしまうということはしていません。相変わらず、悔い改めの説教をし、ヨルダン川の水で洗礼を授け、そして着るべきメシア、救い主は現れた、イエス様がそのお方である、わたしはその方を見たと告げ知らせる運動を続けて行きます。洗礼者ヨハネは、人々を主イエス様のもとに引き寄せる水路のような役割をし続けるのです。

 ヨハネの叫びを聞いた二人の弟子は、ヨハネを離れ、主イエス様に従って歩き始めます。「洗礼者ヨハネ先生、これまでいろいろお世話になりました。これからわたしは、先生が神の子羊だと言われた、あのイエスと言う人に従ってゆきます」。こんなふうに挨拶したかどうかはわかりません。しかし、二人の弟子が、主イエス様に従うことをヨハネは認めていたし、むしろそのほうが正しいと考えていたことは間違いありません。

わたしたちは、自分の果たすべき役割を正しく知るということを重んじなければなりません。この世的に見れば、自分の弟子が減ってしまって主イエス様のもとにゆくことは悲しいことかもしれません。しかし、ヨハネは、神様から与えられている自分の務めを良くわきまえていたのです。

 一緒にいた二人の弟子の内の一人は、シモン・ペトロの兄弟、アンデレであったことが40節に書かれています。残るもう一人は、誰であるかといことはここには記されません。この人物は、教会の言い伝えでは、この福音書を記している「主の愛された弟子」であり、また使徒ヨハネであると考えられています。

 主イエス様に従って来た二人のことを知って、「主エスは振り返られた」と書かれています。自分の後ろに着いてくる人がいる、そのことを知って主イエス様は立ち止まり、振り返って二人に話しかけて下さいました。「何を求めているのか」。

 二人の人は、先生である洗礼者ヨハネに押し出されるようにして「神の子羊、救い主」である方にとにかく従おうとしているのです。ここで「何を求めているのか」と聞かれることは意外であったに違いありません。「あなたは救い主を求めているのか」「そうです」「それならこのわたしこそ求めているものだ、わたしに従ってきなさい」こんなやり取りを期待したのかもしれません。しかし、主イエス様はそうはおっしゃらずに、あなたたちは「何を」求めているのか、こう問われました。

それに対して、二人は答えました。「ラビ、どこに泊っておられるのですか」。ここで聖書記者のヨハネが、ラビは先生という意味だと付け加えているのは、ヨハネがこの聖書を、ヘブライ語を知らない人に向けて書いているためです。自分たちを試すかのような主イエス様の質問に対して、ここで彼らもまた何か禅問答のように、聞かれていることとは別のことを答えています。しかし、これは当時のユダヤ教のラビ、先生から教えを受ける学習の方法に照らしますと、少しもおかしなことではありません。先生の家にゆく、あるいは先生が泊っている宿に行って、ゆっくりと教えてもらうのが、当時のユダヤ教の巡回教師に対してとる方法であったからです。「どこに泊っているか」という質問は、「あなたが何を教えてくださるのか、あなたの教えを求めています。一緒に過ごしたいのです。」こういう意味です。また同時に、あなたはどこに泊っているのかと言う問いは、「あなたは何者なのか」と言う問いに近いことであるとも言われています。あなたはどこから来てどこへ行く人なのか、そして今はどこで過ごしているのかと問うているからです。

主イエス様は、お答えになりました。「来なさい。そうすれば分かる」。よろしい、従って来なさい、教えてあげよう、こういう答えです。二人は入門を許された、こう考えることも出来ます。主イエスのもとに行き、主イエスのもとに留まる、そうすればあなたの求めているものがなんであれ、それは必ず得られる、必ず分かると言うのです。

ヨハネは書いています。「そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。」

このように時間を記していることから、ヨハネにとって、またアンデレにとって、この瞬間の出来事が、その生涯において重大なことであったということが分かるのです。

41節は、彼らが主イエス様と一緒に、いずれかの宿屋に泊って一晩を過ごし、その翌日のことと思われます。アンデレたちは、翌日の朝早く主イエスのもとを出て、自分の兄弟であるペトロに会って言うのです。「、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」

ここではペトロもまた、故郷ガリラヤ湖のほとりではなくて洗礼者ヨハネの周辺にいたと考えるべきです。兄弟ペトロもまた、救い主を求めていたのです。

5、

 わたくしが以前に奉仕しました男山教会(otokoyama church)では、アンデレ活動と名づけた「祈りの奉仕」を継続して行っていました。アンデレ活動という名前は、今朝の御言葉、アンデレが自分の兄弟であるペトロを誘って、主イエス様のもとに連れてきたことに基づいています。伝道集会やクリスマスなど、人々を教会にお招きしたい、主イエス様のもとにお招きしたい時には、まず祈りから始めるのです。

さてペトロが、アンデレに従って、その日の内に主イエス様のもとに来た理由が幾つかあります。

第一に、ペトロ自身が、主イエス様の泊っているところへ向かって行ったヨハネやアンデレと同じように、救い主、メシアを求めていたことです。アンデレの兄弟シモン・ペトロもまたイスラエルの救い、自分自身の救いをもたらしてくださるメシアを求めていましたから、「わたしたちはメシアに出会った」と言うだけで、話がすぐに通じました。

わたしたちは、もともと関心がない人に向かって、どれほど主イエス様のもとに行こう、教会へ行こうとお誘いしても、難しいのです。わたしたちは、家族や友人に伝道するときに、いきなり「イエス様を信じましょう」と言ってもむしろ反発を招くでしょう。まず共通の関心を持つ話題から入ってゆかなければならないのです。人生に確かな、変わらないものが欲しいと思わないですか、とか、心から祈ってほしいことがありますか、というように関心を持ちそうなことからお誘いしなければなりません。

第二に、アンデレとシモンの間には、信頼関係があったということです。見ず知らずの人ではなく、よく知っている人、ここでは家族ですけれども、そう言う人の証しは力があるのです。しかし、そのような人を教会にお招きするときには、この信頼の関係を決して壊すことがないように注意したいものです。お誘いして、断られても信頼関係が保たれているなら、再びお誘いすることが出来ます。あるいは今度はその人自身が連れて行ってほしい、主イエス様を紹介して欲しいと言われるかもしれません。その人の気持ちを良く考えて、強勢したり無理やりに事を進めたりするなら、もう関係が壊れてしまうかもしれません。

このようなことを注意深く行うために不可欠なことは祈りです。事柄自身を主により頼む、主にゆだねる祈りです。また絶えず、私たち自身の言葉やふるまいが神様の御心に適うように、愛や礼儀を失したものでないようにという祈りが大切なのです。

さて、このようにして、主イエス様のもとに、すぐにやってきたシモン・ペトロでしたが、ここで決定的なことが起こりました。42節をお読みします。

「イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。」

主イエス様ご自身が、ペトロを招いてくださったのです。神様と人との関係は、最後的に、まさしく、その人と神様との関係です。第三者がそこに介入することはできないのです。わたしたちが、神様を信じ、主イエス様を信じることが出来たのは、もちろん多くの方の執り成しや具体的な奉仕がありました。けれども、しかし、決定的なことは、神様ご自身の憐みによると言うことです。神がわたしたちを呼んで下さるのです。ここには、わたしたちの伝道についての二つ目の側面があります。その人が主イエス様のところに来る、招かれる、自分の意志で来る、あるいは、連れて来られるということです。そして主ご自身が呼んでくださるということであります。そしてこの二つのことは同時に起こるのであり、この二つが組み合わされ、絡み合って、信じるということが起こるのです。

最終的には主ご自身の御心によるというべきであります。主イエス様が、一人一人に働いて下さり、新しい名前を与えてくださったからこそ、神の民の一員となることが赦されました。

シモンは、兄弟アンデレから誘われ、そして主イエス様にお会いし、そして主イエス様ご自身から名を呼ばれ、ペトロ、岩と言うあだ名までいただきました。わたしたちもまた、絶えず、主イエス様から名前を呼ばれているのだと思います。そうでなければ、今日、この主の日の礼拝に来ることはなかったのです。主イエス様は、わたしたちの名前を今、呼んでくださっています。このお方を信じ、このお方に従ってゆきましよう。祈ります。

祈り

天の父なる神様は、主イエス様に従った最初の弟子たちのことを学びました。わたしたちは、主イエス様の救いに与かり、主イエス様の弟子となりました。これからも主イエス様と生活を共にし、主イエス様に学ぶものであるよう導いてください。また、どうすれば、もっと多くの人を主イエス様のもとにお招きできるか、わたしたちはいつも祈り求めています。しかし、主よ、あなたご自身が、招いて下さることを信じて感謝いたします。主に信頼し、主におゆだねして日々、為すべきことをしてゆくことが出来ますよう導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。