2021年06月27日「「キリストによる祝福」」

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聖書の言葉

申命記21章22節~23節ガラテヤの信徒への手紙 3章13節~14節

メッセージ

硬い岩盤を手作業で堀り進むように、ガラテヤの信徒への手紙を少しず

つ、聞いています。今朝は3:1以下の段落の最後の箇所を共に聞きまし

た。ここには、主イエスへの信仰によって救われたガラテヤの信徒たちが、

後から来たユダヤ人キリスト者の指導者たちによって惑わされたことに対

するパウロの厳しい意見が語られています。それは異邦人の救いの問題で

あり、異邦人の祝福はキリストへの信仰によるのか、ユダヤ人の律法の実

践を伴うのかという問題でした。救いの中心はキリストの十字架であり、

救いはキリストを信ずるだけで十分です。

1.キリスト信仰と聖霊    

 そのイエス・キリストの十字架について、3:1で「目の前に、イエス

・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」と語

られています。そして13でキリストが木にかけられて「わたしたちのた

めに呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいまし

た」と語られています。木にかけられるということが主イエスの十字架の

処刑を言い換えています。

 多神教世界の中に生きていたガラテヤの信徒たちにパウロは主イエスの

十字架とその意味を伝えました。その際、3:2、5には、霊による体験

が語られています。5「あなたがたに霊を授け、また、あなたかだの間で

奇跡を行われる方は」と語られています。

 この霊を授けられた体験と、主イエスによる奇跡が具体的に何を表すの

かは語られていませんので分かりませんが、イエス・キリストが明確に示

されて、ガラテヤの人々が主イエスを信ずるようになったことは明らかで

す。その霊は、共に聞いた14節では約束された霊を信仰によって受ける

ためであったと語られていました。主イエスの教えを聞いて、信じて霊を

受けますが、その霊の受領は信仰によるわけです。

     

2.異邦人キリスト者と律法の問題

 そのようにイエス・キリストを信じてキリスト者となり聖霊を受けた異

邦人キリスト者に、ユダヤ人の律法の実践が問題となりました。それは信

仰+律法によって救いを全うするという考えです。この問題が、16世紀

に再び取り上げられ、宗教改革が起こりました。ルターの時代は、信仰+

善き業を主張するカトリック教会との間の論争でした。ガラテヤ書でのユ

ダヤ人の律法は、選びの民としてのユダヤ人のアイデンティテイにかかわ

ります。それによりユダヤ人は神に選ばれた民族であり、異邦人とは区別

されました。そこで、異邦人キリスト者もユダヤ人の律法を守り、特別な

選ばれた民となることが救いと考え、そのためには信仰+律法(割礼、食

物規定等)を異邦人キリスト者に求めたわけです。

 しかし異邦人に福音が伝えられ、異邦人にも聖霊が注がれ、異邦人も神

の民として神との契約に入れられることが明らかになったときに、神はペ

トロに食物規定の廃止を幻で示しました。こうして、ユダヤ人と異邦人は

キリストによって隔ての壁が取り除かれました。  

3.異邦人の祝福の約束と律法

 こうして異邦人も、ユダヤ人と同じ神の契約の民とされる時代が来まし

た。ここに契約の新しさがあります。この時、パウロは旧約聖書のアブラ

ハムの信仰の姿を示します(3:6)。ユダヤ人に取りまして、自分たち

がアブラハムの子孫であるということが決定的な意味を持っています。

 しかし、パウロは異邦人の祝福は既にアブラハムが神様に招かれた時に

語られていた約束であることを明らかにします(3:8)

 そのアブラハムと神様との契約を子孫は相続しますが、もう一つの鍵は

律法でした。信じて、義とされ契約に入れられた者は祝福されますが、そ

の祝福を維持するために神の戒めである律法が与えられました。これが十

戒を代表とする戒めです。

 この戒めを守る者は祝福され、戒めを守らない者は呪われると神様はモ

ーセの時代に申命記で語っています。祝福は契約に留まることであり、呪

いは契約の外に追放されることです。

 後のユダヤ人の歴史を見ますと、彼らは神様の教えを守らずに、偶像礼

拝に堕落して、神様の裁きを受けることになりました。神の呪いの予告(

申命記28:15 参照)と呪われた結果(申命記29:27)が語られ

ています。ユダヤ人は国を失い、神殿は破壊されて外国に連れ去られてし

まうということでした。それが紀元前587年のバビロンによるユダ王国

の滅亡とバビロン捕囚で実現します。

 その後、バビロンがペルシャに滅ぼされて、ユダヤ人は再び祖国に帰還

が許されて、第二神殿が再建されますが、ユダヤはペルシャ帝国の支配下

にあります。そのペルシャがギリシャに滅ぼされますと今度はギリシャの

支配下に入れられ、一時期は独立もしましたが、紀元前63年にローマ帝

国の属州となり、パウロの時代もユダヤにはローマ総督がおりました。こ

の時期ユダヤはローマ帝国の支配下に置かれていました。外国の支配はユ

ダヤ人にとっては、祝福か呪いかと言われれば、呪いを受けている状況で

もありました。

 しかし、呪いは、悔い改めれば祝福に変えられます(申命記30:2-

3)。ローマ帝国の支配のもとにありますからまだ完全に回復されたわけ

ではありません。そのような状況であれば、神の声にますます熱心に聞き

従うしかないとかつてのパウロも思いましたし、ファリサイ派のユダヤ人

たちも熱心に律法を守りました。そのユダヤ人の指導者の影響を受けてい

るユダヤ人キリスト者も同様で、キリスト者ではありますが、アイデンテ

ィティはユダヤ人ですから、割礼の強調に代表されるユダヤ人の律法を異

邦人にも勧めました。 

     

4.呪いの解決

 しかしながら、その呪いの解決を神がご自身の御子を遣わされることに

よって解決されます。それが主イエス・キリストの十字架の犠牲でした。

13「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法

の呪いから贖いだしてくださいました。『木にかけられた者は皆呪われて

いる』」と書いてあるからですとパウロは語ります。

 ここでのわたしたちは、異邦人と、ユダヤ人キリスト者を含むユダヤ人

です。ユダヤ人も、バビロンに捕囚とされるという神の厳しい裁きを受け

て申命記の呪いが実現しました。再び祖国に戻されましたが、外国の支配

下にあります。熱心に律法を守りましたが、その熱心は、自分たちに遣わ

された救い主を拒絶し、十字架にかけて処刑し、またキリスト者を迫害す

る熱心になりました。神を愛するつもりで、神の御子を十字架で処刑する

のはいかにも的を外した信仰であり実践であり、神からすれば大罪です。

 そして、ユダヤ人キリスト者はキリストを救い主と受け入れましたがア

ブラハムに約束された異邦人の祝福を理解できませんでした。異邦人キリ

スト者を排除しました。それも神の御声に聞き従う歩みではありません。

ですから、ユダヤ人もユダヤ人キリスト者も呪いの中に置かれています。

 その異邦人とユダヤ人に対する呪いを祝福へと変えるために、主イエス

が神の怒りと呪いを十字架で引き受けてくださいました。ここに、新しい

契約の成就が示されており、主イエスによってアブラハムに語られた約束

が成就し、主イエスによるならば異邦人も神の契約に入れられ、祝福され

ることが現実のものとなりました。

 そのキリストの犠牲は、贖いであると語られています。贖うという言葉

は、買い戻すという意味の言葉です。当時は奴隷の売買が行われていまし

た。甚だしい人権侵害が横行していた時代です。その奴隷を購入して解放

する人はありません。しかし、神は呪いのために放逐された者を買い戻す

ために主イエスを遣わしてくださいました。

 その主イエスの十字架の犠牲がわたしのためであったと信仰によって受

け止めてわたしたちは救われ義とされます。助けを認めて呪いの状態から

出て来なければ解放されません。そのためにイエスの福音を聞いて、聖霊

がわたしたちの心を開いて受け入れることができるようにしてくださいま

す。終わりの時に聖霊が注がれるという約束は旧約聖書に語られています

(ヨエル書3:1、イザヤ32:15、44:3b他)。

 これらの旧約聖書の預言が成就し、既に使徒言行録で聖霊が降り、その

聖霊は異邦人にも注がれて、異邦人もキリストを救い主と信じました。初

代の教会において、またガラテヤの諸教会においても聖霊の働きは何か奇

跡のような特別な働きがなされたようです。しかし、それは主イエスを信

ずるためのことです。人々は、キリストの十字架の説教を聞き、毎週日曜

日に集まって主イエスの名によって「アッバ、父よ」と祈り始めました。

 それまで、ローマ皇帝を礼拝し、ギリシャの神々を拝んでいた人々が、

それを止めてめて日曜日毎に集まり礼拝が始まりました。わたしたちも同じよ

うに主イエスの福音を聞いて、聖霊によって主イエスに祈り、聖霊の導き

によって生き始めています。そこに、わたしたちにも注がれている聖霊の

働きがあります。主イエスがわたしたちのために呪いとなって、わたした

ちを罪の呪いと滅びから救い出してくださったからです。祈ります。