2021年06月06日「異邦人の義」

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聖書の言葉

ガラテヤの信徒への手紙 3章8節~9節

メッセージ

久保田早紀さんが作詩作曲した「異邦人」という曲がありました。耳に

された方も多いだろうと思います。彼女は東京の国立市で生まれ、子ども

の時に近所の教会学校に通っていた経験があり、後にバプテスト教会で洗

礼を受けてキリスト者となりました。芸能界を引退した後も、キリスト者

として音楽伝道の奉仕をしておられます。そのためにバプテスト教会の神

学校でも勉強されたとのことでした。その久保田さんがキリスト教を伝え

る音楽伝道者に成られたということは、日本社会にとって異邦人としての

自覚的な歩みをしておられると思いました。

1.異邦人

 異邦人という言葉は、辞書で見ますと、第一の意味は外国人、異国人と

あります。わたしたちも外国に行けば異邦人になるわけです。日本には現

在外国人が260万人おられるそうですが、閉鎖的な日本社会では苦労が

多いだろうと思います。わたしたちキリスト者は、キリシタンを排除して

きた日本社会では異邦人かもしれません。古代のギリシャでもギリシャ人

はギリシャ語を理解できない人々を異邦人として扱いました。バルバロイ

と呼びましたが、それは日本語では未開人と訳されています。どの社会で

も自分たちと異なる存在はなかなか受け入れられないわけです。

 さらに、辞書には第二の意味もありました。それは、聖書でユダヤ人以

外の人々を呼ぶ言葉と記されています。ですから、歴史を遡りますと、旧

約聖書以来、神の選びの民以外の者たちをユダヤ人が異邦人と呼んできた

ことがわかります。異邦人は同時に異教徒であり、ユダヤ人から見ますと

偶像礼拝者です。旧約聖書では異教徒との結婚も厳しく禁じられました。

それは偶像の影響を受けないようにするためです。そのようなユダヤ人た

ちの宗教的な実践は主イエスの時代も同様でした。パウロがこのガラテヤ

書を書いた時代にはユダヤ人の愛国者たちはローマの支配に抵抗し、外国

人の排斥運動を行っていました。その愛国的なユダヤ人と異邦人キリスト

者との間にユダヤ人キリスト者のジレンマもあったのでしょう。

2.異邦人に開かれた祝福  

 当初ユダヤ人だけであったキリスト教会に、神様はエチオピアの宦官を

招き、ローマ人の兵士であったコルネリウスをもキリスト教へと招き、ペ

トロが遣わされて彼に洗礼を授けました。神様は教会の迫害者でありキリ

ストの敵対者であったパウロを回心に導いて異邦人の使徒としてトルコ、

そしてローマ帝国の諸都市に遣わされました。  

 主イエスは、復活された後に、弟子たちにすべての民を主イエスの弟子

にするようにと派遣されました。こうして、各地に異邦人キリスト教会が

誕生し、主イエスによる神との交わりがユダヤ人だけでなく外国人にも開

かれていきます。

 その異邦人への門戸の開放は、既にユダヤ人の父祖であるアブラハムの

時代に予告されていたことをパウロは旧約聖書を引用して語ります。先週

は、6節のところでアブラハムが信仰によって神に義とされたことを聞き

ました。同じ信仰によって異邦人も義とされアブラハムの子とされます。

ですから、異邦人は割礼とユダヤ人の律法に従う必要はないことをパウロ

は語ります。     

 そして今日のところでパウロはさらにアブラハムに与えられた約束を引

用して、異邦人もアブラハムによっ祝福されることを示します。それは共

に聞きました創世記12:3に「地上の氏族はすべて/あなたによって祝

福に入る」と語られていました。ですから、アブラハムのように神を信ず

る者たちは、異邦人であれ、ユダヤ人であれ、信仰の人アブラハムと共に

祝福されているわけです。

 異邦人も信仰だけで救われ、ユダヤ教が教え実践している律法を行う必

要はありません。ユダヤ人キリスト者は、キリスト者として生きるよりも

ユダヤ教徒として生きている時間が長く、皆既に幼い時に割礼を施されて

ユダヤ教徒として育てられてきました。それだけに、気持ちとしてはどう

しても生まれ育ったユダヤ人としての生きかたに傾いて行きます。その宗

教的な実践、律法の実践を簡単にはやめられず、ペトロやバルナバも、異

邦人キリスト者と食事を共にしていましたが、ユダヤ人の宗教習慣を重ん

ずるユダヤ人キリスト者が来た時には、揺れ動き、彼らとの食卓から離れ

ていき、パウロに叱責されることもありました。

 その問題をパウロはアブラハムに遡って解決しているわけです。異邦人

の祝福はアブラハム以来の神の約束であるということです。そしてその約

束をパウロは福音と語りました。その内容は、神は異邦人を信仰によって

義とされるという約束です。この信仰は、もちろん旧約聖書では神への信

仰ですし、パウロの時代で言えばアブラハムの契約を成就される主イエス

・キリストへの信仰です。

 しかし、それはアブラハムの時代には「見越して」のことであり、「予

告」の段階でした。アブラハムの子ではイサクがユダヤ人の家系を辿りま

すが、ハガルとの間に生まれたイシュマエルは異邦人の家系となります。

またイサクの息子の代ではヤコブはユダヤ人の家系を受け継ぎ次にバトン

を渡しますが、双子の兄のエソウはエドム人の始祖になります。

 異邦人を信仰によって義とされるのはまだ遠い将来のことであり、それ

はアブラハムの子孫が星の数のようになり、やがて国家を築き神の民とし

ての歴史を重ね、主イエスの到来を待たねばなりませんでした。その間、

神はユダヤ人と異邦人を区別するように律法で定めたわけです。

 アブラハムから生まれる選びの民ユダヤ人が異邦人と関係を結び、婚姻

し、やがては民族的にも雑婚となり、周辺諸民族と同化して歴史の中で埋

没し消滅しないようにとの配慮からでした。しかし、その予告はついに主

イエスによって実現し、主イエスを信ずる異邦人は、アブラハムと共に祝

福され、もはやユダヤ教の律法を守る必要はなくなりました。

3.具体的な祝福

 ギリシャ語で祝福するという言葉はお祝いの挨拶、相手に対する尊敬や

称賛を伝えることを意味しています。しかし、ここで神がアブラハムに約

束した祝福は、気持ちや言葉だけではなく実態が伴っています。アブラハ

ムに対しては子孫の繁栄と土地の付与が約束されています。ですから、祝

福は具体的です。それは恵みと平和を授け、繁栄することを意味していま

す。それは諸国が、利益、幸福を個々人も社会も、共有することを意味し

ています。

 実際、アブラハムとサラは高齢の夫婦二人だけで、誰も知らない土地に

導かれて、新しい歩みを始めます。彼らは異邦人として他国で生活をして

いくわけです。そこで彼らは神の約束を信じて歩みました。その約束はや

がて旧約聖書の歴史の中で長い年月をかけて国家になりました。そしてつ

いに神は約束の祝福の基である主イエスを遣わされました。そして異邦人

であるわたしたちも主イエスを信ずる時に同じ祝福に与ることが約束され

ているわけです。

 ここで祝福すると訳されている言葉は8節も9節も共に受動態です。で

すから、神によって祝福されるということが強調されています。そして8

節は未来形ですが、9節は現在形で語られています。アブラハムに語られ

た時は将来の約束でしたが、9節で主イエスを信ずる信仰によって生きる

異邦人キリスト者に対して、神の祝福は既に現実のものとなっているとパ

ウロは現在形で語りました。

 異邦人もただキリストを信ずるだけでアブラハムと共に祝福されている

のであり、それは割礼やユダヤ人の律法を条件としているのではないとい

うことです。その祝福は地上においては教会の一員とされて成就し、やが

て最後の完成の時に実現する新しい天と新しい地の相続において実現しま

す。

 パウロはアブラハムと神との契約が今や主イエスによってわたしたちに

開かれており、旧約聖書と新約の時代との連続を明確に語ります。ですか

ら、異邦人キリスト者は、主イエスへの信仰だけで十分でありユダヤ教徒

のキリスト派のようになる必要はないことを語るわけです。

 わたしたちも主イエスに結ばれて、主イエスと共に生きることで日本社

会では異邦人として歩んでいます。ガラテヤの人々も、ギリシャの神々を

拝み、ローマ皇帝を拝む当時の社会の中で、同胞に対しても異邦人として

生きる者となりました。それは、彼らもわたしたちも、「わたしを愛し、

わたしのために身を献げられた神の子」をまことの救い主として信じて受

け入れたからです。しかし、実は御子主イエスの十字架によって、神がわ

たしたちを受け入れてくださるわけです。

 神は今もわたしたちを招き信仰を与えてくださいます。久保田さんも歌

手として活躍しましたが労苦する中で日曜学校で歌っていた賛美歌を思い

出し、慰めを与えられて再び教会に行くようになり、洗礼を受けました。

今は音楽伝道に導かれ、神のために歌う幸いを与えられているとのことで

した。わたしたちも仕事や勉強にしても神のために、神の栄光のためにす

る道が信仰によって開かれています。そしてそこに幸いな人生が用意され

ています。それが異邦人にまで開かれた神の救いです。祈ります。