2026年03月01日 朝の礼拝「愛こそすべて All you need is Love」

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2026年03月01日 朝の礼拝「愛こそすべて All you need is Love」

日付
説教
堂所大嗣 牧師
聖書
マタイによる福音書 22章34節~40節

聖句のアイコン聖書の言葉

22:34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
22:35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
22:38 これが最も重要な第一の掟である。
22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 22章34節~40節

原稿のアイコンメッセージ

Ⅰ:律法の中心としての二つの掟
 本日私たちが耳を傾けるのは、マタイによる福音書22章後半に記されている、主イエスとユダヤの宗教指導者たちとの三番目の論争です。これまで、ファリサイ派、ヘロデ派、サドカイ派と続けて主イエスを試みる問いが投げかけられてきましたが、主イエスはそのすべてにおいて、彼らの問いの背後にある神理解の歪みを明らかにしてこられました。
 そして今日の箇所では、律法学者が「律法の中で、どの掟が最も重要か」という問いを投げかけます。ある意味でこの問いは、これまでのような揚げ足取りではなく、律法理解の核心を問う、きわめて本質的な問いでした。
 律法学者が言う「律法」とは、モーセ五書全体を指します。そこには六百を超える戒めが含まれており、それらを正しく理解し、生活に適用することは容易ではありませんでした。そのため、律法学者たちは、律法全体を貫く中心、要となる掟は何かを常に議論していたのです。
 この問いに対して主イエスは、まず申命記6章5節の言葉を引用し、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と語られます。これは、ユダヤ人にとって最も親しみ深い「シェマーの祈り」の中心的な言葉でした。
 しかし主イエスは、それだけで終わられません。続いてレビ記19章18節の言葉を挙げ、「隣人を自分のように愛しなさい」と言われ、「第二も、これと同じように重要である」と宣言されます。
 ここで主イエスが示されたのは、第一と第二の掟に優劣があるということではありません。この二つは切り離すことのできない一つの現実であり、律法全体、さらには「律法と預言者」、すなわち旧約聖書全体が、この二つの掟に基づいているということです。聖書全体のメッセージを一言で言い表すならば、それは「愛しなさい」という言葉に集約されるのです。

Ⅱ:神への愛と隣人愛
 主イエスが示された二つの掟は、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」が本来分けられないことを教えています。神を愛していると言いながら隣人を顧みないことも、隣人を大切にすると言いながら神を無視することも、本来あり得ません。
 主イエスは後に、「最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたことである」と語られました。目に見えない神への愛は、目に見える隣人への愛として具体化されるのです。
 しかし、律法学者やファリサイ派の人々は、律法の細部を厳格に守ることに熱心でありながら、正義、慈悲、誠実といった、神が本当に求めておられる事柄を後回しにしていました。彼らが実際に愛していたのは神ではなく、「律法を守っている自分自身の正しさ」だったのです。主イエスは、彼らのこの自己愛を厳しく指摘し、真の隣人愛へと目を向けさせようとされました。
Ⅲ:十字架に示された愛
 「心を尽くして神を愛する」とは、抽象的な感情の高まりを意味するのではありません。申命記が示すように、それはまず、神が先に民を選び、奴隷の家から救い出してくださったという救いの出来事に基づいています。
 神は、罪と死に捕らえられていた私たちを、御子イエス・キリストの十字架によって救い出されました。神ご自身がすべてをかけて私たちを愛してくださった――その愛が、十字架において具体的に示されたのです。
 この神の愛に触れた者として生きるとき、「隣人を愛する」という掟もまた、新しい意味を帯びてきます。隣人愛とは、単に好意を持てる人を大切にすることではありません。むしろ、自分にとって受け入れがたい相手、傷つけられた記憶を呼び起こす相手をも、神が愛しておられる存在として受け止め、赦していくことです。聖書の言う「愛する」とは、まさに「赦す」ことなのです。

Ⅳ:自分を愛するように
 「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉は、「自分を赦すように隣人を赦しなさい」と言い換えることができます。しかし私たちはしばしば、自分自身を赦せず、受け入れられずに苦しみます。そのとき、他者への愛もまた失われていきます。
 だからこそ私たちは、まずキリストにあって自分が無条件に愛され、赦されている存在であることを、御言葉を通して繰り返し確認する必要があります。キリストの愛に生かされるとき、私たちは自分をすり減らす愛ではなく、内に注がれた神の愛を分かち合う愛へと招かれていきます。
 御言葉に聞き続け、神の愛を受け取り直し、その光をもって今日出会う隣人を見る――そこにこそ、主イエスが示された新しい生き方があるのです。

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