2022年10月09日 朝の礼拝「あなたを祝福するために」

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2022年10月09日 朝の礼拝「あなたを祝福するために」

日付
説教
堂所大嗣 牧師
聖書
使徒言行録 3章11節~26節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:11 さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ、一斉に集まって来た。
3:12 これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。
3:13 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。
3:15 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。
3:16 あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。
3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
3:18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、この/ようにして実現なさったのです。
3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
3:20 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。
3:21 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。
3:22 モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。
3:23 この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。
3:25 あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。
3:26 それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 3章11節~26節

原稿のアイコンメッセージ

1. 驚きの中で「見つめる」もの
私たちの信仰生活において、時に予想もしないような驚くべき出来事が起こります。長年お寺で住職をされていた方が70歳を過ぎて洗礼を受けたり、周囲の反対を押し切ってまで熱心に教会へ通う姿を目の当たりにするとき、私たちは「まさかあの人が」と驚きを覚えます。
 使徒言行録に記された、生まれつき足が不自由だった男性の癒やしも、まさにそのような出来事でした。四十年間、一度も立つことができなかった彼が、ある日突然、躍り上がって歩き出し、神殿の中で神を賛美したのです。その光景を見た人々は驚愕し、奇跡の当事者であるペトロとヨハネのもとへ集まってきました。
 ここで注目すべきは、人々の「眼差し」です。神殿にいた人々は、ペトロたちの「力」や「信心」がこの奇跡を起こしたのだと考え、彼らを特別な存在として「じっと見つめ」ました。しかし、ペトロはその眼差しを拒みます。「なぜ、わたしたちを見つめるのですか」という彼の問いかけは、私たちの人生に起こる素晴らしい出来事――合格や結婚、新しい命の誕生といった「喜びの瞬間」に、私たちがどこを見つめるべきかを教えています。
 大切なのは、奇跡のような出来事そのものや、それをもたらした人間を見つめることではありません。その背後にある「真の源」を見つめることです。ペトロは、人々の誤った眼差しの方向を正し、真に仰ぐべき御方へと心を向けさせようとしたのです。

2. 拒絶される救い主と諦めない神の愛
ペトロが人々に示した「見つめるべき方向」とは、十字架にかかって死なれたイエス・キリストという御方でした。しかし、ここには悲しい矛盾があります。神が人間を救うために、最大の栄光を与えて遣わされた救い主を、人間は徹底的に拒んだのです。当時の人々は、ピラトが釈放しようと決めていたにもかかわらず、聖なる正しい方であるイエスを拒み、代わりに「人殺しの男」であるバラバを釈放するよう要求しました。これは、単なる過去の歴史ではありません。私たち人間は、神が差し伸べてくださった救いの御手を、「助けなどいらない」「自分には関係ない」と言って、何度も何度も払い除けてきたのです。
 もし私たちが、倒れている人を助けようとしてその手を払い除けられたなら、腹を立てて「勝手にすればいい」と立ち去ってしまうでしょう。しかし、神は違います。人間がその不従順によって救い主を殺してしまったにもかかわらず、神様は私たちを救うことを決して諦めませんでした。神は、私たちが見捨てたイエス・キリストを死者の中から復活させられました。それは、私たちが拒絶し続けたその手を、神の方が握り直し、もう一度私たちに差し伸べてくださったという、驚くべき愛の証左なのです。

3. 「契約の子」に注がれる特別な祝福
なぜ神様は、これほどまでに反逆し、救いを拒み続ける私たちのために、独り子の命という莫大な犠牲を払い続けてくださるのでしょうか。それは、私たちが立派な信仰を持っているからでも、私たちの内に誇れるものがあるからでもありません。その理由はただ一つ、私たちが神の「契約の子」とされているからです。神様は「私がこの者たちを必ず救う」と、古くから約束してくださいました。イエス様がこの地上に来られ、黙って十字架にかかり、そして死を打ち破って甦られたのは、すべて今ここにいる「あなた」という契約の子を祝福するためです。
 私たちの罪がイエス様を殺してしまったという事実は揺るぎません。しかしペトロは、人々がそうしたのは「無知であったからだ」と語ります。イエス様ご自身も、十字架の上で「彼らは何をしているのか知らないのです」と執り成しの祈りを捧げられました。
 私たちがかつて神を拒み、イエス様を遠ざけていたのは、その真理を知らなかったからです。神様はその「知らずに行ったこと」を憐れみ、復活の証人である弟子たちを通して、改めてその愛のメッセージを届けられました。私たちがどれほど不信仰であっても、神様は私たちが「悪から離れ、祝福にあずかる」ことを何よりも願っておられるのです。

4. 「無知」を終えて、悔い改めへ立ち帰る
 しかし、御言葉を聞いた今の私たちは、もはや「知りませんでした」と言い訳をすることはできません。ペトロが足の不自由な男性の癒やしを通して、その力の源がイエス・キリストにあることをはっきりと指し示したように、私たちもまた、自分たちの人生を支え、祝福へと導く御方がどなたであるかを知らされました。イエス様の十字架と復活が、他ならぬ「私の罪」のためであり、私を「契約の子」として祝福するためのものであったと知った今、その差し伸べられた御手を払い除けることは、神様をどれほど悲しませることでしょうか。
この福音を聞いた私たちがなすべきことは、たった一つです。それは「悔い改めて立ち帰る」ことです。
「悔い改める」とは、単に反省することではありません。自分の力や世俗の喜びにばかり向いていた「眼差し」を、私を愛してやまないイエス様の方へと正しく向け直すことです。自分の罪が消し去られるように、神様のもとへ立ち帰ることです。神様は今も、あなたを祝福するために両手を広げて待っておられます。私たちはこの大きな愛に応え、日々、主を見つめながら、救われた者としての新しい歩みを始めようではありませんか。

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