Ⅰ:アヴァ・マリア!
教会のクリスマス礼拝にようこそお越しくださいました。カレンダーも最後の一枚となり、街には「メリークリスマス」という明るい挨拶が響いています。日本では宗教的な意識を越えて、家族や友人と温かな時間を過ごす日として定着していますが、その「おめでとう」という言葉の源流には、二千年前、ある一人の少女が受け取った驚くべき知らせがありました。
人類で最初にクリスマスの「おめでとう」を聞いたのは、イエスの母となるマリアでした。天使ガブリエルは彼女の前に現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と告げました。この「アヴェ(おめでとう)」という挨拶は、今も多くの賛美歌や曲の中で歌い継がれています。 しかし、この時のマリアにとって、それは決して手放しで喜べる言葉ではありませんでした。彼女は激しく戸惑い、この挨拶が何を意味するのかと考え込みました。そこには、私たちの想像を絶する「恐れ」と、神の「計画」との出会いがあったのです。
Ⅱ:理解を越えた招き
天使はマリアに「恐れることはない」と言い、彼女が身ごもって「神の子」を産むことを告げました。当時、マリアはヨセフという男性と婚約中の十代前半の少女であったと考えられます。結婚前の妊娠は、単なるスキャンダルではありません。当時の律法では「不貞の罪」として石打ちの刑、すなわち死罪に処される可能性さえある出来事でした。マリアの「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」という問いは、理知的な疑問というよりも、人生が根底から覆されることへの不安と恐怖に満ちた心の叫びだったはずです。
この恐れに対して、天使は「神にできないことは一つもない」と告げ、高齢で不妊であった親戚エリザベトが身ごもっている事実を示しました。 マリアは、自分に起ころうとしていることのすべてを理解し、納得したわけではありません。周囲の目、婚約者への説明、自分の命、そして神の子を育てるという重責。分からないことだらけの中で、彼女は震えるような声で「お言葉通り、この身になりますように」と答えました。これは理屈による納得ではなく、自分を遥かに超えた存在への「全き信頼」の告白でした。
Ⅲ:苦難を貫く「共におられる神」
天使の「おめでとう」という言葉の後、マリアを待っていたのは、決して平坦な「幸福な人生」ではありませんでした。出産後、夫ヨセフはおそらく早くに亡くなり、彼女は未亡人として苦労を重ねました。さらに、成人した長男イエスは「神の国」を説くために家を出、人々から「悪霊に取り憑かれている」と誹謗中傷を受けるようになります。最後には、最愛の息子が国家反逆罪で十字架にかけられる場面を、母として目の当たりにするのです。自分の腹を痛めて産んだ子が、無残に殺されていく。その凄惨な光景の中に、一体どこに「神の恵み」があったのでしょうか。
しかし、物語は十字架で終わりません。マリアは、息子イエスの復活という、死の絶望さえも命に変える神の全能の力を目撃することになります。 「神にできないことは一つもない」という言葉の本当の意味を、彼女は長い涙の歳月を経てようやく悟りました。それは単に「処女が身ごもる」という物理的な奇跡のことだけではなかったのです。どんなに深い闇や苦難の人生であっても、神は確かに共にいて、最後には必ず勝利と救いをもたらしてくださる。その確信へとマリアは導かれたのです。
信仰とは、すべての謎が解けて人格者になることではありません。クリスチャンになったからといって、人生の痛みや不条理がなくなるわけでもありません。むしろ、信じるからこそ深く悩み、傷つくこともあるでしょう。しかし、それでも「神は今、私と共にいてくださる」「神にはできないことは何一つない」という御言葉を握りしめ、暗闇の中に一歩を踏み出すこと。それが信仰の旅路です。私たちは、自分の人生をかけて、この御言葉の本当の意味を探し求めていく旅人なのです。
Ⅳ:私たちの信仰の旅路
教会は、立派な人が集まる場所ではなく、自分の弱さや限界を知っている人々が「それでも神は愛してくださる」という希望を分かち合う場所です。 私自身も一人の弱い人間に過ぎません。すぐにうろたえ、神様への信頼が揺らぐこともあります。しかし、そんな私だからこそ言えるのは、神は私たちの弱さをすべてご存じの上で、決して見捨てることなく、今日も共にいてくださるということです。
クリスマスは、神ご自身が私たちの弱さの中に降りてきてくださった日です。私たちの確信が揺らいでも、神の愛は決して揺らぎません。「お言葉通りになりますように」と自らを委ねる時、私たちの人生は、自分の小さな力だけに頼る虚しさから、全能の神と共に歩む新しい人生へと方向を変えることができます。今、この場所に共にいること自体が、神様の大きな導きであり恵みです。この不条理な世界で、本物の救いと安らぎを求めるすべての人に、神の愛という最高のプレゼントが豊かに注がれますように。