2025年09月28日 朝の礼拝「新しい家族のかたち」
- 日付
- 説教
- 堂所大嗣 牧師
- 聖書 出エジプト記 20章12節
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
出エジプト記 20章12節
Ⅰ:隣人愛の原点として
伝統的に、十戒の最初の四つの戒めは「神を愛する」掟について、第五戒から第十戒までが「隣人愛」について教えていると言われます。
そこで後半の「隣人愛」についての教えの最初に「あなたがたは殺してはならない」ではなく、「あなたの父母を敬え」という戒めが置かれているです。
その理由は、多くの場合「親子関係」が、人が最初に経験する人間関係であるからです。私たちは人である限り、例外なく肉の両親を持っています。そしてその親との関係が、その後築いていく様々な人間関係の原体験となるのです。「親との関係を健全に保つ」ということは、十戒後半のテーマである「隣人愛」の出発点となるのです。ですからこの第五戒は、親子関係だけでなく、すべての人間同士の関係を総括している教えでもあるのです。
Ⅱ:親子関係に現れる人間の罪深さ
しかし、世の中には不幸にして自分の親を尊敬することができない人もいますし、あるいは成長して大人になっていく中で、親もまた多くの欠けや弱さを持っている「普通の人」であるということが分かってくるにつれて、段々と親に対する尊敬というものが薄れていくのではないでしょうか。あるいは自分自身が「親」として立たされた時に、自分もまた子どもから尊敬されるに値するような立派な親であると胸を張ることは出来ない欠けの多い親であるということを認めざるを得ないのではないでしょうか。そのように、親子の関係には、人間の堕落した罪の現実というものが、最も悩ましい形で表れてくることにもなるのです。
そしてこの第五戒が教えているのは正に、そういう欠けや罪を持つ不完全な存在である「親」に対して、相手の権威を認め敬意を保ち続けさないということなのです。主イエスが山上の説教の中で「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか」と言われたように、聖書が教える「隣人愛」とは、自分にとって都合の良い、愛しやすい人に対して親切にする、ということではありません。性格的に合わない、人間的に好きなれないと感じる人のことを、無理に好きになろうとすることが「愛する」という事でもないのです。聖書の教える「隣人愛」とは、そういう私たちの「好き」とか「嫌い」という感情とは異なるものです。むしろ、そういう私たちの人間的な感情においては愛することも、受け入れることも困難な相手を、それでも尚「愛そうとする」意志のことなのです。それを聖書は「愛」と呼ぶのです。
Ⅲ.神のご計画を信じて
そしてもう一つ付け加えるなら、子どもは、どの親のもとに生まれてくるかを自分で選ぶことは出来ません。それは人間ではなく、神のご意志によって決定されることだからです。ですから、神の意志によって与えられた「親」を敬うということは、「神を敬う」ということでもあるのです。その意味で第五戒は「隣人を愛しなさい」という第二の掟の土台であると同時に、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」という第一の掟の具体的な実践でもあるのです。
もちろん、世の中には不幸にして親子の間に深い傷や断絶があり、自分の親を到底敬うことが出来ないという人もいるでしょう。そして、そういう私たちが抱えている人間関係の痛みは、親子関係だけではありません。夫婦、友人、職場の上司や同僚…、自分を傷つけた「どうしても愛することの出来ない相手」に怒りや憎しみを抱き続け、てそういう自分自身の弱さに苦しむということがあるのではないでしょうか。そして今日の第五戒は、まさにそういう「愛することが困難な相手」との出会いにも「神のご計画」があると信じて、相手を受け入れていくということを教えているのです。
Ⅳ.隣人を愛する祝福
神によって与えられている出会いのひとつひとつを私たちがどのように受け止め、どのような関係を築いていくのかによって、地上の生涯は恵みと喜びに満ちたものにも、怒りと憎しみに満ちたものにもなります。この戒めを通して神は、私たちが与えられている人間関係を「神からの祝福」として受けとめて生きるの人生は、本当の意味で喜びと幸いに満ちた人生になると約束されているのです。
しかし、罪人である私たちには、愛することが困難な相手を、なおも隣人として愛するということは困難です。だからこそ私たちは、その罪深さと弱さを素直認めて、キリストの十字架によってその罪と弱さを贖っていただき、赦していただくということが必要なのです。私たちは、「親子」「夫妻」「友人」という私たちに与えられている人間関係を、神に逆らい、神の戒めを守ることも出来ない「愛する価値も救う価値もない」私たちを救うために、ご自分の命を投げ出してくださったキリストの愛の光の中で、自分と相手との関係をもう一度捉え直すということが出来るのです。
もちろんそれは一長一短で出来るのではありません。痛みを覚えている人間関係をキリストの恵みよって回復していただくには時間が必要です。忍耐強く御言葉に聞き続け、祈り続けることが不可欠です。しかし、主がいつの日か私たちを「愛することが出来ない相手」をキリストの赦しの中で「隣人」として受け入れて、その相手を心から赦すことが出来るようにしてくださるなら、その忍耐と祈りは報われるのです。その時私たちは、主にあってすべての人と「愛する隣人」として関係を結び直すことが出来るのです。第五戒は、そのような豊かな祝福を私たちに約束している、福音の言葉なのです。
