2025年04月27日 朝の礼拝「自由へ」

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2025年04月27日 朝の礼拝「自由へ」

日付
説教
堂所大嗣 牧師
聖書
出エジプト記 20章1節~3節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
出エジプト記 20章1節~3節

原稿のアイコンメッセージ

Ⅰ:トーラーは「法律」ではなく「道しるべ」
 旧約聖書で「律法」と訳されている元のヘブライ語は「トーラー」という言葉です。そのトーラーという言葉の中心的な意味は「指図する」で、つまり「道しるべ」のことです。人間がどう生きていけば神と共にあることが出来るのか、その正しい方向性を指し示す「道しるべ」がトーラーの本質であって、単なる法律とか規則ではないのです。
 その「道しるべ」である十戒の最初の戒め(3節)は、直前の2節と続けて読む時に意味がよりはっきりと分かります。今日の十戒の第一戒は、「神は世界にただ一人だ」という客観的な事実を語っているのではありません。この聖書の神によってエジプトの奴隷の苦しみから解放され、救い出されたイスラエルの民が仕え、礼拝するのは、主なる神である私以外にいるはずがないということなのです。
しかも、神はこのことを民に強要されたのではありません。出エジプト記19章で神は、ご自分が彼らが神として信じ、仕えるのに相応しいお方であることを示した上で、その私と十戒という契約を結びなさいと招かれたのです。それに対してイスラエルの民は「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と答えて、自由な意志において神に誓約したのです。そのご自分との契約関係を結んだイスラエルに対して、彼らがどう生きれば、神の民として相応しく生き、約束の地で祝福を受けることが出来るのかを示す道標として与えられたのが十戒であり、旧約聖書の律法なのです。
 
Ⅱ:命へ至る自由へ招く律法
 その十戒の第一戒を原文通りに翻訳すると『わたしの顔の前に他の神を置いてはならない』という訳になります。言葉を変えるなら、ここで神は「あなたは他の誰かの前で生きるのではなく、このわたしの眼差しの前で生きなさい」と呼び掛けておられるのです。私たちが普段意識している周囲の人々の目や評価、世の常識や価値観はあくまで、時代や状況によって変わる相対的な規準です。しかし神は、何ものかによって変えられることのない絶対的なお方です。その神が人生や生活のすべての領域、すべての時間を見ておられ、自分がいつも、神のみ前に生きていることということを覚えて生きる時に、人は始めて他人の評価やこの世の価値観から自由になることが出来るのです。
 たとえば、幼い子どもが赤信号を無視して飛び出していくのを必死に止める親の行動は、子どもから見れば、自らの自由を奪おうとする行動に思えます。しかし赤信号を渡る自由は「死」へと繋がっている自由です。親はその事を知っていて、子どもの命が危険を守るために「赤信号を渡ってはいけない」と教え、時に真剣に我が子を叱るのです。
 神がご自分の民に与えられる戒めもまた、人を束縛して、不自由にするためのものではなく、人が命を失うことがないように、むしろ本物の命に至る自由へと導くために与えられたものなのです。
 
Ⅲ:私たちを自由にするキリストの愛
 十戒は私たちを不自由にするのではなく、むしろ真の自由へと解放する、自由への道しるべです。その自由の根底をなすのが「あなたには私のほかに神があってはならない」という戒めです。
 聖書において「神を信じる」とは、神がこの「私」を真実の愛をもって愛してくださった、そのこと知り、その神の愛を受け入れることです。そしてその神の愛に対して、私たちもこのお方をただ一人の神として愛するということが聖書が教える「神を信じる」ということなのです。
 この十戒の第一戒に示されている神の愛は、新約聖書の時代において、神の独り子であるイエス・キリストというお方によって、より鮮やかに私たちに示されました。私たちが神の真実の愛に応答する方法は、もはや十戒を完全に守ることではありません。神の愛そのものであるイエス・キリストを信じて、このお方をわたしの主と呼んで、愛することです。

Ⅳ:「十戒に生きる」とは「神の愛に生きる」こと
 私たちの周りには、この世の成功や幸福を約束する神々がごまんといます。しかしそれらの「神々」中に、独り子の命をすら与えるほどの真剣な愛で、私たちを愛してくれる神がいるでしょうか。赤信号を飛び出していく私たちに代わって、自分の命を投げうってくださる神が、イエス・キリストの他にいるでしょうか。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
この第一の戒めは、主イエス・キリストを私たちに与えてくださった、その神の真実の愛に留まって、この神の愛のまなざしの中で、神と共に生きるようにように呼び掛けておられる、神の真剣な愛の招きの言葉なのです。「十戒に生きる」とは、この神との愛の交わりに生きることです。そしてこの神との真実の愛の交わりに生きることにこそ、この世の何ものにも支配されない本当の自由な生き方があるのです。

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