2024年12月22日 朝の礼拝「ここに愛があります」

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2024年12月22日 朝の礼拝「ここに愛があります」

日付
説教
堂所大嗣 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 3章16節

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3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 3章16節

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 Ⅰ:「世」は御子を拒んだ
 十六世紀のドイツで最初の宗教改革運動を始めたマルティン・ルターは、今日の御言葉を「小さい福音書(小福音書)」と呼びました。「福音」とは喜ばしい良い知らせの事です。福音書、あるいは聖書全体が「喜びの知らせ」であり、その喜びの知らせが凝縮された言葉として、ルターは今日の言葉を「小福音書」と呼んだのです。
 では、ルターがそのように、聖書の喜びのメッセージが凝縮されていると述べた16節には、何が書かれているのでしょうか。ここで「独り子」と言われているのは、主イエス御自身のことです。そして「世」という言葉はこのヨハネ福音書に繰り返し登場する言葉で、私たちが生きているこの世界と、そこにいる私たち人間のことを指しています。
『その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。』これが、この福音書で最初に「世」について書かれている文章です(1章9,10節)。キリストは「世」の全ての人を照らす「光」としてこの世界に来られたのですが、しかし当の「世」は、このお方を認めようとせず拒んだということが、この福音書の最初のところで明らかにされています。この福音書に繰り返し出てくる「世」は、そのような「世」のことです。たとえて言えば、クリスマスが来てもツリーやパーティーに夢中になって、イエス・キリストというお方をどこかに置き去りにしてしまっているこの世界の姿こそ、ヨハネ福音書が語っている「世」の姿なのです。

Ⅱ:クリスマスに示された神の愛
 しかし、そのような「世」を、神は愛されたと今日の箇所で聖書は語っています。神を忘れて、捨て去った「世」を、神は見捨てられず、捨て去られずに、なおも世を愛されたのです。この「世」とは特定の民族やグループのことではなく、この世界全体のことであり、そこに生きるすべての人が、神の愛の対象なのです。「神は“あなた”を愛しておられる」これがルターが小福音と呼んだ、今日の御言葉に示されている喜びの知らせです。
 そしてその私たちに対する神の愛は、私たちがお金持ちになるとか、人生で幸運に恵まれているということに現れるのではなく、神が私たちのために払ってくださった犠牲の大きさの中にこそ現れているのです。それが、神の御子が二千年前に、ベツレヘムと言う小さな町にお生まれになったクリスマスの出来事です。しかも神は、ご自分の独り子をご自分に逆らい、背を向けている「世」に生きる私たちを救う犠牲の生贄として十字架に架けて殺すために世に遣わされたのです。ここに神の愛があります。私たちが神を信じるということは、「神が存在する」ということを認めることではなく、この神の愛を信じることです。「ここにこそ本物の愛がある」と繰り返し語り掛ける聖書の言葉を信じて、神の愛を受け止めることが「神を信じる」ということなのです。

Ⅲ:暗い闇の中にこそ輝く光がある
 しかし残念ながら私たちは、この世の人生様々な辛く悲しい現実を経験する中で「神の愛」をすぐに見失ってしまい、「神はあなたを愛された」という言葉を信じることが出来なくなってしまうのです。この一年を振り返ってみて、今年も私たちの目に、あるいは耳には、本当に目を覆いたくなるような悲惨な事件や、痛ましい出来事のニュースが数多く飛び込んできました。あるいはそういう世のニュースだけではなく、皆さん一人一人もこの年、様々な辛く悲しい出来事を経験されたかも知れません。そういう暗い現実の「世」を生きていく中で、私たちの目には「神の愛」が見えなくなり、「あなたを愛している」と呼び掛ける神の声が聞こえなくなってしまうのです。それこそが、「世」が、そして私たちが抱えている「闇」なのです。そして私たちは、そういう闇の中にいるからこそ、そこで神の愛に気付く瞬間があるのです。

Ⅳ:神はあなたを愛している
 クリスマスに灯すろうそくの灯りを、もし昼間の時間に見たとしたらそれほど明るくも美しくもありません。しかし、その同じろうそくの灯りを暗闇の中で灯すときに、私たちはそこではじめてその小さなろうそくの灯りの持っている明るさや美しさに目を留めることが出来るのです。世の成功や幸運に恵まれている、世の明るさを生きている人ではなくて、人生の苦しみや不幸の中で絶望している人こそが、その暗闇の中で輝いている神の愛の光に目を留めることが出来る瞬間があるのです。
 神は今日、ここにいる私たち一人一人を心から愛しておられます。ご自分にとって最も大切なものを、いや自分自身を捧げ尽くしても惜しくないと思われるほどに、神は世を、そして私たち一人一人を心から愛しておられるのです。今はまだ、神が注いでおられる愛に気付いておられない方も、あるいは世の様々な苦しみや悲しみの中で、神の愛を見失ってしまった人も、この苦しみと悲しみに満ちた人生の中で、しかし神の愛を、本物の愛を探し続け、求め続けるならいつの日か必ず、暗い夜の闇の中で明るく輝く本物の愛の光を見出すことが出来るのです。

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