来て、見なさいと招かれる主イエス | ヨハネによる福音書 1章

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ヨハネによる福音書 1章

するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 1章46節

来て、見なさいと招かれる主イエス

ナタナエルはフィリポから主イエスのことを「ナザレの人で、ヨセフの子イエス」と聞いたとき、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と答えました。これは当時のユダヤ人社会の、一般的な見方でした。ですから、会いもしないうちに、主イエスについて判断してしまうのです。

私たちの社会でも、世間一般の見方があります。そのために聖書をよく読む前に主イエスのことを、「救い主ならこうあるはずだ」と判断してしまうことがあります。しかし、それでは主に出会うことはできません。

主イエスはナタナエルが御自分のところに来て「見る」前に、すでに彼のことを「見て」知っておられました。主はナタナエルの人生と、そこにある飢え渇きをご存じなのです。主の言葉を聞いて驚くナタナエルに、主はもっと偉大なことを見ることになると告げられました。それは、天への道が開かれるということです。

主イエスは、私たちが主を知る前から私たちを知っておられ、そのまなざしの中で私たちを御許に招いてくださったのです。私たちは、「来て、見なさい」という招きに応えて主を礼拝し、御言葉に聞き続けるとき、「もっと偉大なこと」、すなわち天が開かれるという、永遠の救いを見せていただけるのです。

【祈り】

主よ、あなたはわたしを弟子として招き、救いの完成を見させてくださいます。感謝します。

金原 義信(豊明教会)